春待つ心の準備

  小雪の畔を歩く
  枯葉の元に蕗の芽
  寒くないかと問う 
  何時もの春と答う

  春の枝に花あり
  夏の枝に葉あり
  秋の枝に果あり
  冬の枝にあり

  花散りて後に
  葉落ちて後に
  果失せて後に
  芽は枝にはる

  春陽の頃は近し
  日出と共に覚醒 
  朝の光に感謝し
  希望と共に動く

  (内村鑑三の言葉も参考にした)
                      平成30年12月        八 大









 枯 葉

 我が家の窓辺にある山法師の葉が舞い散る今朝は、冷たい北風にほとんどの葉が散ってしまい何と可哀そうな姿になってしまった。それはベルナール・ビュッフェの絵画を見るようです。
あれほど夏には青々と繁っていた葉も枯れ果て裸木になり寒々として可哀そう。
これも大自然の成す技なんだと分かってはいますが・・・ふと思い浮かんだこと、それはイヴ・モンタンが語り掛けるようなシャンソンの調べが流れていた。
 それは私が生意気盛りの高校生の頃に10歳ほど年上の兄貴分から近くの銭湯に誘われた帰りに初めて入った田園と云う純喫茶へ連れて行かれた時です。薄暗い店内に目が慣れてきたときに流れていた曲がシャンソンのスタンダード「枯葉」だったことを今でも鮮明に覚えています。
 駆け出しの頃はそれほど売れては無かったらしいが師と呼ばれるジェリエット・グレコに見いだされて大スターにのし上がった。その後は幾多の浮名を流し一世を風靡しました時季がありましたが、多くの歌手にバージョンョンアップされていることは皆さんご承知の通りです。

フランス語で語りかける哀愁を帯びた甘い囁きを想像して見てください。

ああ、きみがしっかり覚えていてくれたらな
僕たちが友だちだった楽しかった時のことを
あの頃は人生はずっと美しかった
太陽も、今日よりずっと燃えていた
秋の公園のベンチ

シャベルに集められた枯葉
あのさ、僕は忘れてなんかいないよ
シャベルに集められた枯葉
思い出と後悔も

北風が葉っぱを運び去る
忘れ去られた冷たい夜に
あのさ、僕は忘れてなんかいないよ
君が僕によく歌ってくれた歌のことを

                      平成30年12月       八 大
























直角靴下 なんて聞いたことありませんよね?

今無印良品で売られている靴下は全て、「足なり直角靴下」になっているそうです。実際に足首の部分が直角になるように製造されているので突っ張り感がないので履いて立つと、全く靴下からのストレスを感じません。

重ねてみました。上が一般的な靴下。下が直角靴下です 靴下の『角度』は、はき心地に大きく影響してきます。靴下がズレたりもたついたりするのは、足の角度と靴下の角度がぴったり合っていないからなんだそうです。

市販されているユニクロの靴下は、ほとんどの場合120度の角度が付いた「くの字型」ですので、上側に少しのもたつきが感じられる。
 それに比べると直角靴下は足の形にしっかりとフィットするので靴下のずれ落ちがありません。

 そう言えば今まで履いていた靴下は、ずり落ち防止のために口の部分のゴムが強めに働いていて、足に赤く跡が付くこともありました。

このところこの話を聞いたので「足なり直角靴下」を愛用しています。

チェコのおばあちゃんがヒントをくれた

チェコに住むルジェナおばあちゃんが編んだ靴下は、靴下のかかとは、90度に編まれていました。
「チェコは雪国なので、出かけるときはブーツの下に分厚い靴下をはいてしっかり防寒するんです。チェコのおばあちゃんは、自分の家族が少しでも心地よく過ごせるように、どうしたら靴下がブーツの中でずれ落ちてこないか考え抜いたといいます。そしてたどり着いた結果が直角に編むことでした」
「足なり直角靴下」が生まれたそうです。

                   平成30年11月          八 大














 神宮外苑のイチョウ並木
 明治神宮外苑のイチョウ並木の黄葉が見頃を迎えている。11月29日現在でのイチョウの色付きは既に8割~満開で見事な黄金の輝きを見せくれています。
20年ほど前から開催されている「いちょう祭り」ですが、外苑イチョウ並木噴水池周辺には飲食40店舗が出店していますが、夜間にはライトアップも行われているとの事。実行委員会によると、同時期の来街者は約180万人に上るという。
天気にも恵まれ陽気となった28日午後にも、黄葉を一目見ようと多くの家族連れや観光客がカメラをもって訪れ、色付く並木を背景に写真を撮る姿がそこここに溢れていた。



 あれは何だったのか? 
 太平洋戦争の戦局悪化を受けて戦死者が増加したため兵員の補充のため、学生の修業年限の短縮をして入隊の措置をとった。確か昭和18年出陣学徒を前にここ明治神宮外苑競技場にて学徒出陣式が行われ当時の首相も出席して7万人が集められ出陣壮行会が行われたのが明治神宮外苑の地だったと云う。
この暖かなイチョウの黄葉を眺めながら昔日を思い起こし複雑な思いがよぎった。
                      

                        平成30年11月      八 大

                                          
    

  























 
 






月と星
 昨夜の満月を見られましたか? 
この時期の星座の輝きは先月十五夜の月とは一味違って素晴らしかった。
夜半を過ぎようとする頃西の空に月輪は輝き隣りの家の屋根に沈もうとする寸前でしたが、十五夜の月より一回り小ぶりな姿で神々しく黄金の光を放っていました。東の方角には明けの明星が輝き、また頭上に目を移すと北斗七星がくっきりと見えた。
まるでその恰好は土俵の下で力水を付けているような姿に感じられた。
更に目を凝らしてみると虚空一面にかすかな光を放つ無数の星座
群がみえた。
見上げているとふと金子みすゞの詩「星とタンポポ」の一節が思い浮かんできた。
それは次のような詩です。


 

「星とタンポポ」

青いお空の底深く、
海の子石のそのように         
夜が来るまで沈んでる、
昼のお星は目に見えぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ  
  見えぬものでもあるんだよ。  

ちってすがれたたんぽぽは、
かわらのすきに、だぁまされて、
春がくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  みえぬけれどもあるんだよ。
  見えぬものでもあるんだと。



 金子みすゞとは、26歳の若さでこの世を
去った童謡詩人。
その生涯に、500あまりの童謡詩をつ
くる。西條八十に認められながらも、夫
に詩作を禁じられたり不治の病を負った
悲しみから自殺をとげているが、我が子
が話す言葉を丹念に書き留めて言葉の持
つ神秘さや奥深さに感動していた。
もっと長く生きて詩を作りたかったに違
いないと思った。               
   
                  
                   
                    

                     平成30年11月          八大

  




 五浦の六角堂と岡倉天心

 あの東日本大震災から7年の歳月が過ぎた先ごろ五浦の六角堂に足を運びました。地震と大津波に飲み込まれた六角堂は土台だけを残して無残にも姿を消しましたが、わずか一年後に原型の復旧がなされ白波の打ち寄せる断崖に再建され前の姿と変わらず依然として波の音の中に威容を見せていました。錣吹風を感じさせる赤い腰回りの六角堂は小さいけれど外海に向かって威容を誇っています。
 天心がここに座って太平洋を望み東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動した姿が思い起こされます。

 すぐ近くに茨城県天心記念五浦美術館がありますが日本近代美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心の偉業は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め美術運動家として大きな功績を残しました。その活動には、日本画の改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館の日本美術部長を務めるなど、目を見張るものがあります。
 
å…­è§’å ‚ また天心は明治の初め新政府の神仏分離令によって廃仏毀釈が盛んになり多くの仏像等の美術品が破壊されたり、海外に流出される事を憂い古美術品の保護に関心を持ったそうです。その頃アーネスト・フェノロサとの出会いから、明治17年法隆寺夢殿を開扉し、秘仏であった救世観音像に出会えたことは「一生の最快事なりと云うべし」と熱く語っていたそうです。このような文化財保護に関する調査保護活動は「古社寺保存法」に反映され現在の文化財保護法制定に受け継がれ今日の文化財保護の礎
になっています。

 天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む五浦に居を構える一方、横山大観、菱田春草、下村観山ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活していました。

                  平成30年11月            八大




 ソシエテ 5・0

 最近多く聞かれるようになった言葉に「ソシエテ5・0」があります。
仮想空間と現実空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会を云うそうです。
 これからの社会の変化について・・・聴きましたのでここに記します。

 IoT、AI、ロボットを中心とした先端技術によって社会課題を解決していこうという、日本政府が提唱する科学技術政策の基本指針の一つですが、人類史上5番目の新しい社会(Society)と表現されているとおり、私たちの生活の姿、そして社会の在り方までをも変えうるイノベ-ションによって、今後の日本はもちろん、世界を大きく左右する可能性を秘めています。 
 IoTに五感、AIに頭の役割を担わせ、人間の仕事の一部をロボットに実行させる社会
  1. IoT等で集めた山のようなデータを、
  2. AIで処理、判断させ、
  3. ロボット(機械)等に実行させる、社会です。
これまでの人類の社会の変化を整理すると




狩猟社会(Soceity 1.0)⇒農業社会(Soceity 2.0) :農耕革命
農耕革命では農業の発明により、食料の生産手段が狩猟採集から農業へと変わりました。その結果、人類は定住生活が可能となりましたが、余剰食糧の多少により貧富の差が生じ、社会における階層が生まれました。
農耕社会(Soceity 2.0)⇒工業社会(Soceity 3.0) :産業革命
18世紀末の産業革命は蒸気機関の発明を端緒とみなされたもので、これまで人や家畜に頼っていた動力が機械に変わりました。20世紀初頭の電気の発明に至るまでの一連の過程で、人類は圧倒的な生産性の向上と移動時間の大幅な短縮等、生活の利便性向上を実現しました。生産要素として人+資源が重要となり、近代資本主義が成立しました。
工業社会(Soceity 3.0)⇒情報社会(Soceity 4.0) :情報(IT)革命
1994年ごろからインターネットが広く一般に使われるようになり、ブラウザを介して世界中の情報がいつでも、どこでも手に入るようになりました。電子商取引(EC)の発展は人々の購買行動を変え、小売業は大幅な構造改革を迫られました。
情報革命は生産性革命にも大きく寄与しています。1994年から2014年の間の20年間のGDPの伸びは、「失われた20年」の中にいた日本を除く先進主要国では2~3倍、インドでは6倍、中国では18倍となっています。
情報社会(Soceity 4.0)⇒超スマート社会(Soceity 5.0)
Society 4.0までの社会では、「人」が自らサイバー空間にアクセスして情報を得る必要があるのに対し、Society 5.0では、情報をIoTで収集し、AI、ロボット等が処理、実行するまでを自動で行うようになります。
このように、人が行っていた作業の機械化、自動化が進められることで、生産性が爆発的に向上します。この社会変革はここまで挙げた三つの革命に匹敵し、変革実現後の社会はこれまでの情報社会(Soceity 4.0)とは別物であるということから、変革実現後の社会のことを「Society 5.0(ソサエティ5.0)」と表現しています。

(1)生活の各場面で、AI、ロボットの恩恵を受けることが可能に

現在、AIやロボットを利用するサービスはまだわずかですが、Society 5.0実現後は、私たちの生活、産業の各分野で、どんどん増えていきます。
例えば健康・医療・介護分野では、AIによる遠隔医療、介護ロボット等が活用されます。
金融分野では、Fintechの発展とともに、AI判断を根拠とする投資が行われます。農林産業分野ではデータ分析に基づいた安定生産が計画され、作業は無人農機、ドローンにより自動化されます。そして移動分野では、まず公共交通機関等の車両の自動化が先行して進み、宅配もドローンにより自動化される見込みです。

(2) 2020年ごろには、一部のサービスが実現

  政府のロードマップでは2020~25年ごろと見込まれていますが、政府広報では「すぐそこの未来」と表現されています。政府は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが一つの目標タイミングとして重要であるとしているのです。
 例えば自動車分野では、高速道路(新東名)でのトラックの後続無人隊列走行、地域では無人自動走行による移動サービス(小型カート等による移動で、ルートは限定)の実現が目標とされている。

 5.0”の意味とは

これまでの人類の歴史では、科学技術のイノベーションが人間の生産活動を根本的に変え、その結果、社会構造までが大きく変化してきました。人類史の最初の社会である狩猟社会を一つ目の社会とすると、現在はSociety 4.0(情報社会)にあたりますが、IoT・AI・ロボット等が活躍する社会は、Society 4.0に続く人類史上五つ目の社会となることから、Society 5.0と命名されているのです。

iot とは「internet of things]の頭文字をとった略語で、読み方は「アイオーティー」となります。直訳すると「モノのインターネット」、つまり、インターネットによる情報伝達機能を「モノ」に対して組み込むことで、モノとモノ、モノとヒト、最近ではモノとコトも、インターネットでつなぐ仕組みを表せるそうです。

IT は「Information Technology」の略であり、情報技術という意味を持ちます。インターネットなどの通信とコンピューターを駆使する情報技術をIT技術と呼んだのです。
         平成30年10月                  八 大














 

「深大寺白鳳仏」の画像検索結果深大寺
 私達多くの人が一度は訪れたことがあると云われる奈良時代の白鳳仏で知られる深大寺ですが意外と思われるのが昨年の三月に国宝に指定されたことであるりますが国宝の指定までにはそれなりの経緯があったそうです。
 こんなに素晴らしいお釈迦仏が何で今頃になってから「国宝」になったとは、お釈迦様でも知らなかったでしょう。
 よくお姿を鑑賞するとお顔に微笑みを浮かべたお顔は法
隆寺の夢違観音や鶴林寺の聖観音像に共通するものがあり、今までの時の流れをまったく感じさせない。
当、釈迦如来像は飛鳥時代の後期(白鳳期)7世紀の作品で高さが60㎝の関東地方では数少ない古代の仏像です。

お顔は童顔で眉から鼻に連なる線と並行して流れる衣文、適度に張りつめた肉付けなどは厳しいお顔の飛鳥寺大仏に
比べると何とも癒される親しみやすい仏様でこの時代の特
色を表していると云われている。
 釈迦如来のお姿の多くは「立像」や「座像」が主流
ですが椅子に座った形の「椅像(いぞう)」であります。

 また江戸時代より名物の深大寺蕎麦は評判でありますが、蕎麦は勿論ですが何と云っても深大寺湧水からの贈りでしょう。
喉ごし爽やかお店の水車が自慢の呼び込みにも一役買っているようですね。

                 平成30年10月              八大








 とうがらしの日

 本日10月4日は「とう(10)がらし(4)の日」として、10月1日~10日までの10日間、新宿内藤とうがらしフェアと題して新宿周辺ではイベントが行われています。
f0097970_1810433.jpg内藤とは
江戸時代、新宿御苑に屋敷を構えていた信濃の国・高遠藩の藩主、内藤家のこと。
当時、内藤家の敷地内で栽培される唐辛子は、料理の薬味として江戸の人々から愛されていました。
近隣の農家もこぞって唐辛子を栽培し、秋になると新宿から大久保までが収穫を待つ唐辛子で赤く染まって見えたそうです。


『唐辛子の用途』

食用




薬用

果実は香辛料として有名だが、薬用として使われることがある。すりつぶして温湿布剤に配合したり、筋肉痛、凍傷にも使われる。

防虫・抗菌効果

トウガラシには防虫効果がある事が古くから知られており、書物の保存、雛人形、五月人形などの物品保存などにも使用されてきた。また米の保存など一部食品保存に用いられていた事もある。

葉物野菜

花をつけた頃から実が未熟な頃にかけて茎ごと収穫し、葉物野菜の葉唐辛子して利用される。





                    平成30年10月           八  大



中秋の名月

そろそろ今年も中秋の名月がやって来ますが今年は924日です。
「中秋の名月」とは、太陰太陽暦の815日の夜に見える月を云いますが農事暦との結びつきで、「芋名月」とも呼ばれています。
平安時代に中国から伝わった風習は今でも私達日本人の心の中に身近に残っています。今年は924日が中秋の名月で翌日の925日が満月と1日ずれているそうです。今年のように、中秋の名月と満月の日付がずれることは、しばしば起こるそうです。この時期の「お月さん」は晴れていればて、明るく神々しく見えて自然と襟を正して祈りたい気分になります。また、「十三夜」を「豆名月」「栗名月」とも呼ばれており子供の頃を思い出しますが今年の十三夜は、1021日です。
先ほど、今朝のテレビで月旅行が現実になる夢のような話が飛び出してきました。
米宇宙ベンチャー「スペースX」の最高経営責任者(CEO)が昨日、月周回旅行計画について、2023年に実現すれば民間人として初めての月旅行になる事を発表した。時速3,000㎞の速さで6日間の月往復で月の裏側を見てくるという夢のような計画が発表されたことは、何の知識のない小生には「それって「・・・・・どう云うこと」?
今改めて今宵の月に思いを馳せる。

      平成309月          八大




重陽の節句 (九月九日)
 
Kiku yellow01.jpg 旧暦の九月九日は」重陽の節句にあたり別名「菊の節句」ともいいます。平安時代の宮中では邪気を払い長寿を願うため菊を浮かべた酒を飲む風習ありました。天武天皇の重陽の宴を開いた記録もあり、又江戸時代でも大名が江戸城に登城した時には菊花酒でお祝いしたそうです。一方で庶民たちも「お九日」(おくんち)の頃に合わせて収穫祭と称して菊酒の宴を開いていたそうです。長崎では毎年十月九日から行われる「長崎くんち」が特に有名です。
中国では月と日の数字が重なるのを忌み嫌い、その日は邪気を祓って神を迎える風習がありました。それがいつしか「節句」と呼ばれ日本でも定着していった。」中国では奇数が陽なので「九」はその最大数にあたり九月九日は「重陽」と呼ばれています。
 人々が菊花酒を飲むのは菊が霊力を持った不老長寿の花とされているからで、菊の花の香りを移して菊酒も飲んでいたそうです。
重陽の節句は別名「菊の節句」ともいい
ます。
キク 洋菊 スプレー菊中国では邪気を払い長寿の効能があると考えられていましたがっていましたが日本でも菊を飾った宴が開かれ、菊を愛でたり、酒に菊の花びらを乗せた「菊花酒」を楽しんだりしたのです。また菊呉茱萸(ゴシュユ)の実を入れた袋を肘に持ったり、郊外の小高い丘などを選んで菊の花を浸したお酒を飲むことにより厄払いをする「登高」と云う行事もありました。
それに比べて重陽の節句は、菊を鑑賞し、菊花酒などを楽しみながら無病息災や長寿を祈るという、静かで、悪く言えば少し地味な節句であるとも言えますが、しかし菊花は天皇家の紋章であり、最も高貴な日本の国花 なのですから、
はり五節句の中で最も重要な節句
と思いますね。

                       平成309月9日      八大








 虎ノ門の云われ 大逆事件

    江戸城の西に虎之御門と云われる立派な門がありました、当時は青龍・白虎・朱雀・玄武の四獣神が四方を守るという考えがあり、青龍は東、白虎は西、朱雀は南、玄武は北がふさわしいとされていた。 これにちなんで江戸城の西に位置していた門は、白虎の「虎ノ門」と名付けられたといわれている。その後の交通事情から明治6年に今の場所に移り現在に至っています。
文部科学省の正面脇のここ地下鉄虎ノ門駅を出たところにその由来が石碑に書いてあります。目立たない小さな像ですので見落としてしまいそうになりそうです。

 大正12年12月27日時の皇太子裕仁親王が摂政として通常議会の開院式に出席するために皇居を出て5分後虎の門前を通過中群衆の中にいた難波大助(無政府主義者)が警戒線を突破して、ステッキ仕込み式の銃で狙撃した。銃弾は皇太子には当たらなかったが車の窓ガラスを破って同乗していた東宮侍従長が軽傷を負った。
 警護の中にいた私服警察官が飛びついて押さえたそうですが民衆も加わっていた為、誰が犯人なのか大混乱したそうです。(大逆事件)



  世の中は関東大地震と云う未曾有の大災害の直後に加えて左翼人や無政府主義者の横
 行などもあり大混乱を呈しておりました。年を越した10日後新年早々に山本権平内閣
 は総辞職が認められ清浦圭吾内閣が発足しました。
  難波は逮捕された後大逆罪で起訴され大正13年11月13日に判決が確定、3日後の15
 日に死刑が執行されました。その後も親兄弟は勿論の事親類縁者は勿論の事、学校の卒
 業生に至るまで広範囲な取り調べが続いたそうす。
  
  
                     平成30年8月        八 大














「わたあめ」の思い出
 この暑い季節に「わたあめ」の話とは如何なものとは思いますが?


「綿の木」の画像検索結果今年の夏祭りは終わりましたがお神輿や山車に繋がりながら子供たちは「わたあめ」に群がる、何故かあのふわふわ感が楽しくて今でも人気がありますね。

綿が取れることで知られる綿花はアオイ科の多年草で、夏にハイビスカスに似た形の淡い黄色い花を咲かせますが、これが綿の花とは云われてみても実感しません。 花は一日で萎んでしまいますがその二か月後ぐらいに硬い殻の中から真っ白い綿がはじき出されるようにして飛び出して来ます。不思議な花ですね。

「綿の木」の画像検索結果この綿を取り出し繊維として衣類などに活用されて無くてはならない布ですが、紀元前五千年ぐらい前からメキシコで栽培されていたことの痕跡が発見されていたそうです。

古代のギリシャ人はこんな不思議な花を見たことがなかったので「羊毛が生える木」があると云ったそうで後で大笑いになったそうです。

盛んに栽培されるようになったのは案外新しく十五世紀頃になってからで食用の油(綿実油)としても大いに活用されているのはご存じのとおりです。最近では園芸用としても人気があり鉢植えにして楽しんでいる仲間がおります。
                        平成308月       八大 


 縄文のヴィーナス

 「一万年の美の鼓動・縄文」展
kokuhodogu
縄文のビーナス
土偶と一言で云うけれど3,000年~5,000年前の彫刻作品になる訳で、只々貴重品で素晴らしいものですね。
 縄文時代の火焔土器を見て岡本太郎が「芸術は爆発だ」と云って絶賛したことは良く知られたことでしたが素晴らしい物を改めて見ました。


 国立博物館で縄文の展覧会が開催されていますが、5,000年以上も前の本物の土偶や土器などが展示されています。考古学に興味のある方にとっては大変に貴重な発掘
kokuhodogu
仮面の女神
品ですね。

 あの時代に何を思ってこれらの物を造り出したのか「国宝だから素晴らしいんじゃなくて、素晴らしいから国宝なんだ」と今改めて本物に対峙して観ますと何故素晴らしかったのかが分かるような気がします。

 縄文時代の土偶とですから素朴で荒々しいことを想像しますが、一つ一つを見ますとよく観察されており芸術作品
kokuhodogu
合掌土偶
です。
狩猟採取の生活が長く続いた様ですが、こんな時代に生まれた縄文人たちはどんなことを思っていたんだろう、物の本によるとその時代は平和な時代が長く続いたとも聞きましたが。
 縄文のビーナスに対面するとあまりにもふくよかで圧倒されます。お腹の膨らみ具合からして妊婦であることが一目でわかりますし,おおらかな姿からこの時代では平和な時代が長く続いたのではないかと想像できますね。
kokuhodogu
縄文の女神

 現在の私たちは健康第一を合言葉に長命を願ってきた結果
が、血圧が高いの血糖値がどうのコレステロールが高いのと
こうのと悩んでいますが、健康は目的ではなく手段でありま
す、その先に何をしたいのかを早く見つけられるとイイです
ね。
 本当の平和で楽しい生活はあの頃だったのかも知れないと
思いますね。



(国宝の土偶が勢ぞろいしました)
kokuhodogu
中空土偶



     平成30年8月         八大













 槿 (むくげ)


この時期あちこちに今は盛りと槿の花が咲いていますが、朝に咲いて夕に萎れる槿は日本では儚さの象徴とされますが、韓国の国の人々は苦難をしのいで発展していく民族や国民の姿を花に託しているように感じます。
一輪の花は短命ですが一つの木としてみれば次々に咲いて秋まで果てることはないのです。

だが思い出すのは韓国ではムグンファ(無窮花)とも呼ばれて2,013年には親子二代にわたり大統領になったパククネ(朴槿恵)になりましたが、セオウル号等の大事故や政権をゆるがす大事件に発展して政権の座から引きずり降ろされることがありました。

アオイ科の芙蓉族の落葉樹で別名モクゲとも呼ばれている。過去の一時期には短命な花と云うことで「きらい物」「嫌花」として祝儀の席などでは避けるべき花として挙げられていた時期があったと云われたそうですが最近ではその清楚な姿が見直されているようです。

ムクゲは花のはかなさが一期一会の茶道の精神にも合致するとされ、現代ではもっとも代表的な夏の茶花となっている。この語句が「わずか一日の儚いの意に取られて、「槿花一日の栄」「槿花一朝の夢」といったことわざをも生んだ。

俳句では秋の季語であるが、松尾芭蕉は
     「道のべの 木槿(もくげ)は馬に くはれけり」
                という句を詠んでおり、

小林一茶も、
     「それがしも 其の日暮らしぞ 花木槿」
                 という句を詠んだ。

またアララギ派代表的な歌人斎藤茂吉は・・詠む

雨はれて心すがしくなりにけり 窓より見ゆる白木槿(しろむくげ)はな」と

                            
                                      
                       平成308月       八大










 


トキメキを感じよう
       (キメキとは 期待や喜んで胸躍る状態の事)

チコちゃんに叱られる

 歳をとると何故一日が早く感じるのか、不思議に思ったことはありませんか。一日の時間は皆な同じなのに、子供の頃は一日中遊んでいても時間が足りなかったのが、この頃では何もしないうちに時間が経ってしまう。何が違うのか?
 今を時めくNHKテレビで人気の5歳児チカちゃんが教えてくれました。
 その答えはトキメキが無くなっているようです。

バカ言ってんじゃねえよ!
 ボ~ッと生きてんじゃねえよ!
 時間とは心が感じている精神的時間と、時計で決められている物理的時間があるらしい。
 人の話が長く感じられるのは時間を気にしている時には何となく長く感じられる。
 その一方で子供の頃は時間の経つのが遅かった、これは誰しも子供の頃の方が身体の代謝が活発だからなので時間が短く感じられる。

 例えば50歳の人間にとって一年の長さは人生の50分の1程ですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。それは5年しか生きていない人間にとっては、1年は長い時間となりますよね。
「現在進行している時間の体感速度」ではなく「過去を触れかえった振り返った時に感じる時間の長さ」の印象です。

 新しいことをたくさん覚える若いうちは時間が長く感じ、経験を積んできて記憶することが少なくなると時間が短くなるという説もあるらしい。

 毎年1年を振り返った際に、充実感や満足感をしっかりと実感できる、そんな生活を送っていれば年齢に関係なく、時間は平等に流れてくれるでしょうね。

                 平成30年7月         八大