「 春日部市八丁目」の由来
先日、国道四号線の近くでいつもは何気なく見過ごしていた小さな看板を見てビックリ、「春日部市八丁目」という看板に出逢った。この頃ではマイナンバーカードの話ばかりで改めて道路標識を意識していませんでしたが、地域に住む私達にとっては何故か少しうれしい気分です。50年近く住み慣れている場所ではありますが改めて見上げるとこんな看板があったんだとビックリ!
「 春日部市八丁目」の由来
先日、国道四号線の近くでいつもは何気なく見過ごしていた小さな看板を見てビックリ、「春日部市八丁目」という看板に出逢った。50年ぐらい前の話ですが、上野公園の不忍池にハスの開花音を聞きに仲間と一緒に出掛けたことがありました。早朝の夜明け前に陣を取り5~6人の奇特な愛好家の仲間と一緒にその開花音を聞き漏らすまいと真剣に聞き耳を立てていたことを思い出しました。
ハスの開く音については、開花の瞬間にポンと大きな音がするという噺を聞いたことがありました。しかし現実にはハスはゆっくりと花びらを開くので、そのような音は聞こえませんでした。ハスが開花するときの音を聞いた人は幸せになると言われるのは、神秘的なハスが開くことに「運が開く」「幸運になる」という願いを重ねたからなのかもしれませんね。
ここ春日部,内牧のハス田は平成17年に春日部市の公園緑地課で蓮の植栽を始めたことから今日に至るそうで現在では毎年1400株の花が開いて順調に開いて来ており今月中頃までが見ごろとのことです。昨年はひょう害の影響を受け残念な事でした。今朝は早くからアマチュアカメラマンが訪れるて賑やかですね。初夏の季節に鮮やかな橙色のくっきりとした六花弁を咲かせる、「ひめゆり」は夏に入ろうとするこの時期清々しい雰囲気を感じさせてくれます。原産地は日本から朝鮮半島にかけて分布しておりここ関東地方でも多く見かけられます。けれども最近は鹿による食害で自生のひめゆりは減少を続けており日光の戦場ヶ原付近ではその対策に苦慮しているそうです。
我が家のひめゆり |
姫百合はその名の通りユリ科の植物で海外では、特にキリスト教圏では聖なる花として大切にされているそうです。ユリは純潔の象徴で聖母マリアのシンボルとされているからです。
六月の誕生花の花言葉は「誇り」「可憐な愛情」や「強いから美しい」と云ったもので、美しく気高く咲く姫百合にふさわしい言葉ですね。
水張月 八 大
トルコキキョウ |
原種の多くは紫色の花をつけるが、白やピンク黄色なども見かけられます。トルコという名前の由来は花の形がターバンに似ているからだとか、元々のトルコギキョウの花色である青紫色がトルコ石や地中海の海の色を連想させるからだとも云われていますが、はっきりとはわかっていないようです。
日本へは昭和の初め
野生のトルコキキョウ |
小淵観音 |
元山大師の説明 |
元山大師とは平安時代に活躍した天台宗の偉い僧侶であった良源(りょうげん)のこととして知られており、1月3日が命日であることから、今日では「元三大師」という名で親しまれるようになったと言われています。鬼の姿をして疫病神を追い払った事から元山大師のお札は疫病退散のご利益があると云われました。大変頭がよく、天台宗の総本山である比叡山で様々な功績を収めたと伝えられており、おみくじの起源をつくったのも元三大師だと言われています。
令和5年 皐月 八 大
今年のヤマホウシ |
我が家の対岸から古利根川超しに見えるヤマホウシは存在感があり、瞬時ではありますが我が世の春を満喫させてくれています。水面には「鳰」の母娘らしい姿が小忙しく纏わりついている姿は子供の頃の自分を思い出させる、こんな風景どこかで見たようで懐かしさを感じられます。
令和5年 皐月 八大
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とんぶり |
主な産地は秋田県ですが、名前の由来については「ぶりこ(ハタハタの卵)に似た、唐伝来のもの」を意味する、「とうぶりこ(唐ぶりこ、唐鰤子)」が省略され、転化したものとする説が有力のようである。嘗ては秋田、山形などの一部の地域で食用にするにするに過ぎなかったが近年では生産量が増大しているそうです。蒸して水に晒して皮を除き大根おろしや、とろろ芋に和えてたべます。
とんぶりその物に味はないが、大根おろしや納豆などを混ぜてアツアツの白飯にのせて食べると凄く美味しい。シンプルではありますが酒のあとの〆などに最適でありますね。またスパゲッティー等の麺にと合せると醤油やポン酢、ソースなどが絡まって、和風の料理の添え物になってより美味しく食べられます。
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コキアの紅葉 |
令和4年 神無月 八 大
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畦道のサフラン |
サフランと云う花はアヤメ科の多年草で、そのめしべを乾燥させた香辛料を云います。イランが原産地と云われますが諸説あるようです。地中海のある島で発掘された壁画には青銅器の時代から栽培がなされたと云われ古い歴史があるようです。耐寒性の秋植えの球根植物で、原産地はヨーロッパ南部地中海沿岸で晩秋に咲き、花を薬用やスパイスとして用いるサフランに対し、クロッカスは早春に咲き観賞用にのみに栽培されるため、花サフランと呼ばれているそうです。球根は球形が4㎝ぐらいで細長く、花の終わった後に茎がよく伸びます。花はほとんど地上すれすれの所に咲き、黄色・白・薄紫・紅紫色・白に藤色の絞りなどがあります。
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クロッカス |
古い歴史を持つ花で旧約聖書にも記述されており、彼のクレオパトラがサフランを入れた馬乳のお風呂に入っていたなどと云う伝説があるほどです。そんなサフランは料理に鮮やかな黄色とほのかで上品な香りを付けるスパイスとして、パエリア、リゾット、ブイヤベースの他サフランライスなどに使われています。
またサフランは世界一高価なスパイスとしても知られており、高価な物では1グラムが1,600円ぐらいするそうです。そうは言 令和4年 神無月 八 大
ウクライナ問題 ウクライナへの侵攻が始まったが多くの人達はこの戦争は一週間ぐらいで終わってしまうだろうと思われたがナントナント今現在8か月を過ぎようとしています。戦況当初大幅に攻め込まれていた状態で一進一退が続いていましたが米国とEU諸国の軍事支援を受けて盛り返し、攻め込まれていた領土を再び取り戻しにかかり勢いを増している状況です。寧ろここに来てロシア側からの停戦交渉の話が出て来ましたが、戦争前の状態まで押し戻す事が最低ラインです。ここは踏ん張りどころ「ウクライナ頑張れ!」
統一教会問題 宗教の問題は歴史を遡って見るまでもなく大きな問題ですが、基本的に信教の自由という大原則があります。世間話をするにしても相手と場所を選んで行わなければならないと思います。ここに来て思いもよらないマインドコントロールと云う言葉が出て来ていますが難しい問題であります。統一教会の関係者が「自分は統一教会の人間である」ことを隠した状態で一般の人に言葉巧みに勧誘を行い入信を迫っているとのこと。またお布施と称して信じられないような高額な献金をすることによって家庭環境が崩壊されている事が問題となっています。合同結婚式や親子の絶縁にまで至ったことが大きな社会問題となり、ようやく国会でも取り上げられていくようです。
睡眠不足の話 喧々諤々思いの丈を出し合った後は、最近はよく眠れないことが多いけれどどうしたらよい眠りが出来るのか何か良い方法はないのか教えて欲しいとのこと。良い眠りが出来ない人の理由は「何となく夜更かしをしてしまう」「テレビの見過ぎ」「運動不足かもね」と続く。私達高齢者にとって大切な事は「上手に眠る事」だそうです、その為には毎日10,000歩を目標に歩くことだそうです。止むを得ず寝そびれた時には味の素から出ている「グリナ」を服用するとその効果がありましたよ。
人間、歳を重ねても自分の身体の維持のために、肉体は常に現状の更新をし続けているそうです。自分から諦めて身を引いて行くのではなく神仏から与えられた生命を有難く頂戴し感謝の心で遊行の時空を謳歌したいものですね。
令和4年 神無月 八 大
「極楽の余り風」って聞いたことある❔
夏の終りの今頃の暑い時期、山道を歩いて汗だくになった体に、ときおり清々しい涼風が木陰を抜けて吹いてきました。「ああ~こんな素晴らしい風はないネ・・・」と感激!(関西では、昔から「極楽の余り風」と言われているとのことです)群馬県太田市の金山城址を仲間と連れ立ってハイキングを楽しんでいた時、途中休憩は市街地が眺められる石垣の上で小汗をぬぐっていました。ここで風を感じましたが何とも言えない涼風でした。これを「極楽の余り風」或いは「極楽のお裾分け」と云うそうです。
「涼しくて心地いい風だね」 「ホントだね、生き返るようだ」 「こんな風をなんていうか知ってる?」 「この風に名前があるの?」 「あるんだよ!」 「死んだお婆ちゃんが教えてくれたんだけど、極楽の余り風って云うんだって」 「へ~そんな風に云うんだ!!!?
とこんな会話があったように思う。そうすると私の習癖で、『酷暑に吹く清々しい涼風がなぜ余り風なのだろうか?』 と、素朴な疑問が湧いてきた。調べて見ると浄土真宗の祖「親鸞」にたどり着いた。親鸞は、猛火・暴風も、徳風・微風に転じられてゆく、すなわち浄土往生を願えば願う中に極楽からのそよ風が吹くと説く。
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(くにまるくん) |
第2次大戦終戦に伴う一時休止もありましたが、昭和28年に再開され民間航空再開40周年にあたった平成4年に、国民の親しみやすいネーミングということで、それまでの「航空の日」から「空の日」へ改称されました。この期間には、全国各地の空港等で航空に関する様々な催し物が実施されるようになりました。
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左側に川久保の藤袴 |
先日の京都新聞にフジバカマと云う植物が絶滅危惧種に指定されており保護の運動が展開されていることが載っていました。何の変哲もない雑草にしか見えない植物でありますが秋の七草の一つに数えられ万葉集にも詠まれていることで保護活動がなされているようです。
藤袴の花の色は藤色を帯び花弁の形が袴のようであることから「藤袴」の名が生まれたと云われているそうです。環境省のレッドデータブックでは準絶滅危惧種に数えられています。フジバカマにはいくつか種類があるようですが、はっきりした区別はなされていません。
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開花した藤袴 |
花の色が藤色を帯び花弁の形が袴に似ていることから「藤袴」の名が付いたと云われています。「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花」と古くから秋の七草の一つにも数えられております。また源氏物語には「藤袴の巻」があるなど日本人には古くから親しまれてきた草花です。藤袴の花言葉は「あの日を思い出す」「ためらい」「躊躇」などがあります。
令和4年 長月 八 大
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無花果 |
イチジクは受粉によって子孫を増やさないで、花が受粉を経ずに実、ひいては種になるという単為結実(たんいけつじつ)なのです。そのため、別に花が外に出ている必要はないのです。何故そのような形になったのか不思議ですね? その答えはイチジクの進化にあるそうです。イチジクはぶどうと共に紀元前から栽培されていた果物でエジプトやトルコが原産地だそうですが、そのころに「イチジクコバチ」と云う名前の小さな蜂がイチジクの底部にある小さな穴から入り内側に産卵をしていました。そうすると、孵った幼虫は養分と外敵から身を守れる空間を確保できます。そうして安全に成長できたわけです。
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イチジクの断面 |
成虫になると、イチジクコバチは花粉をまとって出てきます。そして別のイチジクに自身も産卵します。すると一般的な花のつき方をしなくても内側に咲かせたまま受粉できるので、こうした経緯で現在の花のつき方になっているそうです。昔はハチに花粉を媒介させていましたが現在は先述のように単為結実のため、「食べたらハチがいる」なんてことはありませんのでご安心ください。
旧約聖書の登場人物、アダムとイヴにまつわる話があります。 ある日、蛇にそそのかされ、神の言いつけを破ってイチジクを食べてしまいます。禁断の果実を食べたあと、無垢を失い知恵をつけたアダムとイブは、裸を恥じて局部を隠しますが、それにイチジクの葉を使ったというのです。その姿を見て神はエデンから追放したというので、イチジクの葉が楽園追放の引き金ともいえそうですね。 そのイチジクの葉っぱが恥隠しの意味があったと云われています。
「イチジクの葉」について一言 「恥ずかしいことや嫌なことを、無害なもので隠す」という意味で広く使われています。また、絵画や彫像で、外性器の部分を後から覆い隠すためにイチジクの葉が使われることがあります。これらは聖書の創生期においてアダムとイヴが知恵の樹から禁断の果実を食べた後に、イチジクの葉(fig-leaf)恥ずかしいと思われる物を使って裸体を隠したといわれます。
「無花果(いちじく)」と云う文字は、花を咲かせずに実をつけるように見える ことに由来するそうです。古くから馴染みの深い植物で栄養豊富で美容効果もあることから身近に食用にされて来ました。
令和4年 長月 八 大
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艶やかな女踊り |
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街流し |
「町建御墨付文書」とは その昔、米屋少兵衛という人物が加賀藩より「ここに町を作って良いですよ」という許可証「町建御墨付文書」を頂き、八尾に町を作りました。彼は今で言う銀行のような業わいをしており、藩への上納ができない者へ資金を貸し、後日利子をつけて返してもらっていました。しかし景気もだんだん悪くなっていき貸し倒れが増え、ついに八尾を去り水口村というところに移り住みます。その際藩からいただいた「町建御墨付文書」も持って出ました。
数十年経ち、藩は「町建御墨付文書」の返還を要求。しかし少兵衛の子孫はそれに応じませんでした。困った役人は一計を案じ、桜のころ花見だと言ってたくさんの酒や肴、芸人を伴い水口村の米屋を訪ね大宴会を開きます。宴が大盛り上がりをしている間に、こっそりと米屋の蔵から「町建て」の書類を盗み出し、持ち帰りました。無事書類が戻ったことを祝い、役人は三日間昼夜を問わず、にぎやかに歌い踊って町を練り歩いてよろしいというお触れを出しました。それがおわら風の盆の始まりだといわれています。
八尾の町は坂の多い処、道筋にたくさんの灯りが燈されるれ三味線や胡弓の音が鳴り響いており、静寂の中に何となく上品な美しさがあり自分を夢のような時空に合せてくれます。この時期に何度か訪ねたましたがその思いをこのまま残して置きたいものだと思います。
「風の盆恋歌」 歌 石川さゆり 作詞 なかにし礼 作曲 三木たかし
蚊帳の外から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉
若い日の美しい 私を抱いて欲しかった しのび逢う恋風の盆
私あなたの腕の中 跳ねてはじけて鮎になる
この命欲しいなら いつでも死んで見せますわ 夜に泣いてる三味の音
生きて添えない二人なら 旅に出ましょう幻の
遅すぎた恋だから 命をかけてくつがえす おわら恋唄道ずれに
小説「風の盆恋歌」のあらすじ 高橋 治 原作を借用
高橋治氏の恋愛小説で、胡弓の哀愁を帯びた響きと優雅な踊りと町の雰囲気が調和した素晴らしいものでした。この小説の主人公は、都築克亮と中出えり子と言う中年の男女です。二人は青春時代に金沢の町で共に過ごし、当時お互いに惹かれながらも、それぞれグループの中の別のパートナーと結婚し、それぞれの人生を歩んで来ました。
この2人が20数年を経て、パリで再開を果たす所からドラマが展開されます。このパリでの再開時に、やはり互いに忘れられない存在である事を強く認識します。この再会からさらに数年を経て、越中八尾の「おわら風の盆」の夜にようやく結ばれます。そして年に3日間だけ、この風の盆に合わせて逢瀬を重ねる事を約束します。
都築はこの3日間の為に八尾に民家を購入し、えり子がやって来るのを待つのです。しかし1年目も2年目もえり子は現れる事はありませんでした。それぞれに家庭や家族があり、それがえり子が簡単に八尾を訪れられない事を感じさせられます。えり子が八尾で待つ都築の所を訪れるには、勇気がいる事だったのでしょう。
そんな中で、えり子はようやく八尾を訪れ、再び都築との逢瀬に身を焦がします。そんな逢瀬での2人の心象風景も繊細に描かれています。しかしそんな逢瀬が可能な年月は長くは続きません。そして次の章では、年に3日だけの大人の恋愛を待ちわびる2人が交わす書簡が綴られます。その中に、それぞれの心象風景が精緻に描かれ、そして何とはなしに破局を予感させるのです。
そしてストーリーは大きく転換し始めます。2人は京都での逢瀬を最後に、しばらく音信普通となり、それぞれの普段の人生を送ります。そしてそんな中で都築は原因不明の病に冒されます。そしてある年の風の盆の日に、えり子の娘が突然訪れ、母は死んだと告げるのです。数日後、えり子を亡くし憔悴する都築に電話がかかって来ます。それは何とえり子からでした。娘は母親の不倫を知り、それにピリオッドを打たせるために嘘をついていたのです。電話口に出た都築は病状が悪化し、息も絶え絶えの状態で、それを感じたえり子は八尾に駆けつけますが・・・・・。
令和4年 葉月 八 大