鈴虫さん有難う

鈴虫さん有難う


11月の15日今年最後の2匹がお亡くなりになりましたので、早速に野辺の送りを致しました。引き続き来年の転生を願っております。今年もあの暑い夏の夜によう泣いてくれまた。

このところ私は耳鳴りの為蝉の声が聞こえておりましたが、それをカバーするようにリーンリーンと一生懸命に奏でてくれ幾度となく夜中にコンサートを聞く機会を得ました。

 この春は例年よりも遅く6月に入っての孵化でした。それはそれは三つの入れ物のプラスチックケースの地中から、出てくるは出てくるは・・・・その数ざっと3,000匹以上、その蠢きは網の佃煮の如きなり。
粉餌とナスを厚さ7~8ミリに輪切りにして与えると翌日には表皮部だけが円形に残り法華の太鼓のようになっていました。

 京都嵐山の渡月橋を渡った先に西芳寺(苔寺)がありますがその手前に臨済宗の華厳寺と云うより鈴虫寺という寺があります。皆さんご存知でしょうがこの寺では、一年中、りーんりーんと鈴虫の鳴き声が聞こえることで有名です。
その為冬の時期は少し減りますが観光客の数は絶えることが無いそうです。
そうすると季節は常に夏なんですね・・常夏?
 どんな育て方をしたらそんなことが出来るのかと思っていましたが・・・・・・どうやら長い年月をかけて次々と時期をずらせて生やしておられるとの事。いろいろと苦労もおありでしょうけれど面白いことですね。
 我が家では今の時期を終わると手厚い養生をして来年の春に再度生まれ変わって来られることを楽しみにしております。
                         八大

七五三と七つの祝い


七五三
写真:  今日11月15日は、春日部八幡神社の社頭は晴れ着姿で七五三を祝うたくさんの親子連れで賑っておりました。
 七五三は、古くからの風習である三才の「髪置き」五才の「袴着」七才の「帯解」に由来するといわれています。
 「髪置」は男女児ともに行われた儀式で、この日を境に髪を伸ばし始めました。また「袴着」は男児がはじめて袴を着ける儀式で「帯解」は女児がそれまでの幼児用の付紐をやめ大人の帯を締める儀式です。
 子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、これまで見守って下さったご先祖様や氏神様にお参りをして感謝の気持ちを表し、これからの健やかなる成長をお祈りをします。
  旧暦の10月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月でありその月の満月の日である15日となったという説もあります。現在のように、七五三を1115日に盛大にお祝いするようになったのは江戸時代からのことで、五代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから、それが庶民に広まったともいわれています。
写真
七つの祝い
 今とは違い当時は医療が進んでいなかったために乳幼児の死亡率も高く、子供を七五三の年齢まで無事に育てることは並大抵なことではなかったと云われています。
「七つまでは神の子」と言われて、それまでの子供の成長は神さまにお任せするしかありませんでした。
 七才になって子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、氏神様に報告し氏子として認められることになります。その祝いが七つの祝いでありますが、男の子は家の後継として相続を急ぐこともあり五つで祝う処もあったようです。
                           八大


シロツメクサ(白詰草)



近くの公園で芝生に腰を下ろすと、なんと目の前に四つ葉のクローバーがあったのだ! ラッキー!
日本名では聞きなれない名前ですがシロツメクサ(白詰草)と云われます。何でそんな名前が付くの? 公園や牧場に沢山見かけるのに・・・ネ。

江戸時代後半は鎖国の世でありましたが、長崎の出島を通
してオランダから献上されたガラス製品の包装にクローバーを乾燥させて緩衝材として詰められて来たことに由来するとのことだそうです・・・・・ へ~ですよね。

四つ葉のクローバーを見つけると幸せが訪れると言われ
ていますが花言葉で云うと我が国では「希望・信仰・愛情と幸福」を表すと言われますが、一方欧州や米国では、「名声・富・満ち足りた愛・健康」と四枚が揃うことで「真実の愛」を表し幸運をもたらすとも言われています。
「四つ葉のクローバー」の画像検索結果
自然界では一万分の一とも十万分の一の確立と云われていますが、五葉、六葉、七葉、八葉も稀に確認されているそうです。信じられないことに日本で五十六葉も見つかったとの事ギネスものであり、その確率は天文学的な数字になりますよね。


早速、幸せを運んでくれるという十万分の一のシロツメグサを押し花にし密かに手帳に忍ばせ、薄くなった白頭を搔きながらも次なる目標に挑もうとしております。


                            八大


レバノン杉


 先日小石川植物園を散策しました。園の中ほどにヒマラヤ杉の大木があり見るからに堂々として威圧感がありました。足元を見ると鳥のいたずらかも知れませんが、青々とした2cm程のどんぐりのようなものが落ちていました。帰宅して調べると雄花であることがわかりました。

 日本ではヒマラヤ杉と呼ばれておりますが中東の地、チグリスユーフラテス河の上流に栄えたメソポタミヤ地方ではレバノン杉と呼ばれています。
 紀元前2500年頃古代エジプト・古王国時代、ファラオであったクフ王のピラミット近くで「太陽の船」と呼ばれる40Mを超える大型木造船が1954年に発見されているが、材料はレバノン杉が使われていました。その30年後吉村作治先生達が電磁波レーダーを使って第二の船も発見されております。
 現在では長い間の乱獲のためその数は激減しており、この地域のレバノン杉は保護対象となっているそうです。
 又この大木の杉はレバノンの国旗に描かれていて国民の宝となっています。
 長い歴史の中で遠く離れた大地に同じ空気がどこまでも繋がっていることを思うと、この小さな雄花を身近なものとして愛おしく感じらます。                              
                        八大


秋彼岸の頃


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9/11 古利根川の土手
先週の11日に古利根川の遊歩道を散歩していたら、八幡橋際の土手に今年初めて早くも彼岸花が、初お目見えして下さった。チョット早いけれど「毎年お目に掛かれて有難うさん」とツイ感謝の言葉を掛けました。
 昨日、Gゴルフ愛好会が雨のため後日に延期になりましたので、権現堂の曼珠沙華祭りに足を延ばし赤い絨毯を見てきました。雨に濡れて真っ赤な色が鮮やかで、これを地獄花と云う人の心が知れない。

 「暑さ寒さも彼岸まで」と云いますがこの時期になるとめっきり涼しさが増します。お墓参りに行くと秋の七草が見かけられます。

また空を見上げると小さな雲片が群れとなって魚の鱗のように見えて壮観です。これは巻積雲と云って鰯雲、鯖雲などと呼ばれているが秋刀魚雲とは云う人無し。


9/21 権現堂の赤絨毯。
 また秋彼岸になくてはならないもが、粒が残った「半殺し」のお餅にあんこをまとった「お萩」これは春の彼岸に食べる「ぼた餅」と全く同じものですよね。
 それは十八世紀に発行された百科事典に
「牡丹餅およびお萩は、花の形・色をもってこ
れを名づく」とあります。
 なおぼた餅やおはぎを食べる習慣が定着し
たのは、神仏混交の世、先祖供養の一環であると同時に春は豊作を祈念し、秋は収穫に感謝するための神様への供え物だったからだと云われています。

 さあ季節は「天高く馬肥えるの秋」ですよ!
                       八大
琵琶湖・長浜のホトケたち

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 先日、久し振りに上野の芸大美術館にて観音菩薩の展覧会を見る機会がありました。 
 湖北・長浜の地には平安時代から江戸時代に至る観音像が百を超えて伝存しているそうです。
 この地は平安の後期から室町・戦国時代にかけて度重なる戦乱の中、観音像は大きな寺に守られてきたのではなく人々の暮らしの中に根付きそこに住む人々の信仰や生活と深く結び付きながら現在も大切に守られて来ております。
 時には戦乱に巻き込まれることが多く、一時の災難を逃れるため土の中に埋められたり水に浸けられたりして難を逃れることも度々あったが信仰心ある村人たちによって救われて来ました。その結果なかには腕や足が喪失されたり火災による焦げ跡が残っている像もありました。  
 法華経で観音菩薩は衆生を救済するために三十三に変化してこの世に現れたと云われ、その麗しい顔立ちは最も親しまれている仏さまであります。
 展覧会で多くの仏像を見られるのもよろしいですが終わった後に、それぞれの仏さまがお戻りになられたお堂に尋ねてみるのも楽しみであります。
                                     八大

四人の韋駄天


        
虞美人草
                

写真:

今朝、古利根川の散歩コースに私に話しかけるように咲いていました。
 なんと可愛いヒナゲシなんだろうと・・・虞美人草とも云うんだよね。
 花言葉は 「思いやり 陽気でやさしい」               
 虞美人草にこんな話があります。
 中国秦末の武将に項羽には虞と云う愛人がいました。
 項羽が劉邦に敗れて垓下に追い詰められた時に死を覚悟した項羽が
 詠った垓下の歌に合わせて虞は舞った後自刃した。
 彼女を葬った墓に翌夏、赤いこの花が咲いたという言い伝えがあるこの花を虞美人草と      云うようになった。           
                     6/1   八大
なつつばき(夏椿)



猫の額の一角にこの時期毎年咲いてくれていますが、咲くとその日のうちに散ってしまうような短命の花で、なんか人の世の無常・はかなさを感じさせる花です。
伝え聞くところによると、釈迦がインドのクシナガラで入滅すると近くにあった沙羅樹が一斉に花を咲かせ、たちまちに枯れてしまい辺り一面が真っ白になったと言われたおります。
沙羅双樹とも表されていますが、たまたま二本或いは四本の木があった事からそう言われているようです。



お経の中あった沙羅樹の代用として日本各地の寺院が「なつつばき」を植えられたので沙羅樹と呼ばれるようになったと言われています。                             八大
蓮 について




 
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先日久し振りに内牧公園の蓮田を見に行きました。少し盛りを過ぎていましたが今年も多くの皆さんを楽しませてくれたようで今日もカメラを持った親子連れがおりました。
 ハスは古名を「はちす」と云いますがハスの花床が蜂の巣のように見えることに由来して、そのはちすがなまって変化したのが「はす」のようで水中で根が連なっているので「蓮」と書きます。
 花言葉には沢山あるようですが私の一番好きな言葉は「清らかな心」です。
 仏教では泥水の中から生じ、清浄な美しい花を咲かせる、はすの姿が智慧や慈悲の象徴とされお釈迦様の教えにつながりがりを感じさせます。
 はすは朝開いて夕方に閉じますが三回繰り返し四日目には散りこぼれて一年を終わるようです。
写真また善い行いをした者は死後に極楽浄土に往生し、同じはすの花の上に身を託し生まれ変わるという思想があり「一蓮托生」と云う言葉の語源にもなっています。この頃ではその言葉を悪い意味に使うことの方が多いことは残念なことです。                           八大
                


ハイビスカス(和名・仏桑花)

 玄関前に咲くハイビスカスは今年も咲いては散り咲いては散り、どうしてこんなに私を楽しませてくれるのでしょうか不思議な花です?

 早朝に咲いてその日のうちに散ってしまう一日花で、日当たりの良い場所では水さえ切らさなければ次々とつぼみを付けて9月中頃まで咲き続けてくれます。
 ハイビスカスは米国ハワイの州花として歓迎のレイにも使われておりあまりにも有名です。 
 沖縄ではこの花を昔は後生花と呼んでおり、亡くなった人の「後生の幸福」を願って墓地に植える習慣があったそうで儚い思いの残る花だったそうです。
 同じアオイ科でよく似ている木槿(ムクゲ)はチョット小ぶりですが、韓国では人の世の短い栄華のたとえで「槿花一朝の夢」と表現して国花になっています。今の女性大統領の名前は‘朴槿恵‘と云いますが、国花にちなんで父親の‘朴正煕‘が名付けたそうです。
 それぞれの国や地域によって言い伝えがあり儚さに繋げるかハレに繋げるか、一日花に感じる思いに違いがあるのも面白いことですね。
 花言葉は「新しい恋」と云うらしいですよ、皆さんも若いころを思い起こしてみると・・・イイかもね。
                                                        
                                                       八大



                      
夏越の祓い(茅の輪くぐり)

「水無月の夏越の祓いする人は、千歳の命延ぶると云うなり」


全国各地の鎮守社では毎年六月三十日に「大祓い」の行事を行いますが、今年前半の穢れや災いごとを払うとして茅の輪くぐりを行います。その昔素戔嗚尊(スサノオノミコト)が身分を隠しての旅の途中一夜の宿を探したところ裕福な巨旦将来の家で断られたが、貧乏であった蘇民将来の家に心優しい御もてなしを受け泊めてもらった。その善行の御礼にと云うことで「もしも疫病が流行したら茅の輪を腰に付けると免れる」と云われた。東北の田舎に行くと今でも玄関の柱に蘇民将来の木札を見つけることがありますよ。


そんなことから無病息災を祈る行事として鎮守社に取り入れらたものと思われます。
                                                        八大

茅の輪くぐり
春日部八幡宮
神明宮
                                                        
写真:
定家鬘

定家鬘(ていかかずら)藤原定家は百人一首に出てくる秀でた歌人ですが、その人の名の付いた

つる草の名前が定家鬘です。
式子内親王を愛した藤原定家が彼女の死後も忘れられず、つる草に生まれ
変わって式子内親王の墓石に絡みつくという話があります。
よく女性は怖いと言われることもありますが、男もいるんですね~。
毒のある植物ですが今の時期可憐な香りを出して飛んでいる虫を誘っています。
                                            八大

紺珠

紺珠(かんじゅ)とは
 私は二十歳の頃詠んだ、森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』の文中に紺珠という備忘録を持っていることに興味を持ちました。その後いろいろ手を尽くして紺珠の意味を調べて結果・・・それにあやかり自分の備忘録として半世紀以上名前を借りて使わせて頂いております。
紺珠と張説
 張説という少年は勉強と人助けが大好きであった。ある日張説が助けた老人は青色に薄い紅が浮かび上がる珠をお礼に与えた。最初は貰うのを断ったが老人はこの珠の説明を始める。
 老人が云うには紺珠は勉強や執筆活動に於いてこの珠を手に握っていると自分の記憶について思い出すことが出来るという。更には日頃から愛でていれば神経が磨かれ一度見たことは絶対に忘れることなく思い出せるというのだ。老人はそう伝えた後紺珠を彼の手に捻じ込むように渡し虚空に消えた。
 老人が消えるのを見て張説はこれは神が私に与えた報いなのだと思った。それ以降彼は大切に死ぬまで肌身離さず紺珠を携帯した。その後の彼は朝廷の役人になり、筆においても文においても詩においても中国中にその名を轟かせたという。(当時のメモより)
 今の時代紺珠など持たなくても何十年もの歳月を積み重ねた日記が、例えばブログのようなデータになっていれば検索機能を使ってすぐに当時の言葉にたどり着くことが出来る。それどころではないインターネットは全世界の人々の記憶を、何の労もなく自らのモノとすることが出来る。
 これからもインターネットという巨大な記憶装置は私たち人類の生活にとって無限の可能性をもたらしてくれることでしょう。                                                                 平成28年2月  八大