1001匹の家族 が加わる我が家

 昨日の朝、我が家にスズムシが冬眠から覚めてモヤモヤモヤと湧いてきた。その数は1000匹以上?・・と思えるがそれは雲霞の如しと言いますが物凄い数です。こんなにたくさんのスズムシが生まれることの驚きは三年ほどなかったが今回は異常に思えます、コロナからのプレゼントかも知れない。

飼育は非常に簡単で、餌はナスやキュウリを主に与えるが、鰹節や虫の死骸をなどの動物性のタンパク質を与えると、共食いも防げるそうです。プラスチックの水槽で簡単に飼育が出来ます。土を敷いて時々スプレーで湿度を保ってやることが重要です、餌の減り具合を見ながら様子を見ていくと何回か脱皮(7回?)を繰り返し成虫となる。8月の終わりごろからリーンリーンと鳴き始めます。夜は寝床に移動して鈴の音を聴いていると何とも「コンコロモチ」が良くて風流極まりないです。

小泉八雲は虫を愛するのは日本人とギリシャ人のみだと云っていたそうですが、虫の音を聴く文化を持っているのは中国だけではなくヨーロッパなどでも虫の鳴く歌になぞらえた詩や歌があるそうです。繊細な気持ちを持っている民族がいることに愁いを感じています。日本では平安時代から貴族階級の人達が籠に入れて楽しまれていたが、江戸時代中頃より虫売りの手で人工飼育が始まり盛んに一般にも販売もされていたそうです。

1001匹目の家族は毎年現れてくれるカエルさんです。先日紹介した先輩の夫婦カエルは何処かに新居を見つけたらしく暫く会っていません。新人のカエルは大きさが5㎝位で今月になってからアジサイとミョウガの根本あたりを住処にしているらしく、時々散水をするとノコノコ出て来て気持ちがイイのか目を見開いたまま・・・やがて大儀そうに姿を隠します。たくさんの仲間と楽しい気分が味わえるのも幸せなことです。

 令和2年   水無月       八 大
































 
 蟷螂生(かまきりしょうず

 農作業の目安になる七十二候(農事暦)の中にカマキリが出て来るのは何でだろうと、いつも考えていましたが、何年か前に分かりました。それは稲や野菜には手を付けることなく害虫を捕まえてくれるからだろうと思えます。前足が鎌状に変化し、ほかの小動物を捕食する肉食性の昆虫であります。漢字では蟷螂(とうろう)と書くが鎌切(かまきり)です。鎌で切るから鎌切ですよ。

体は前後に細長く、6本ののうち前脚は大半がに変化し多数のがある。頭部は逆三角形で2つの複眼と大顎が発達しており、頭部と胸の境目は柔らかいため頭部だけを広角に動かすことができる。目玉が異様に大きく見え得体の知れない怪獣のようであるが、近寄ってよく見ると何とも可愛らしさも感じられる。毎年のようにデコポンの木に卵を産み付けていたが今年は来てくれなかった。

食生は肉食性でバッタやキリギリス、トンボ、クモ、カエル、トカゲ、ミミズなど捕食するのは生餌に限られ死んで動かないものは食べない。天敵や自身より大きな相手に遭遇した場合には、身を大きく反らして翅を広げ、前足の鎌を大きく振り上げて威嚇体制をとる。全体がもっと大きければその姿は怪獣そのものです。

韓国に「蟷螂の斧(とうろうのおの)」という故事があります。斉の国の君主だった荘公はある時馬車で出かけたが道の真ん中に一匹のカマキリがいて、逃げださず前足をふりあげて馬車に向かってきた。荘公はその勇気を賞して、わざわざ車の向きを変えさせカマキリをよけて通ったと云います。君主が一匹の虫に道を譲ったこの故事は日本に伝来し、カマキリは勇気ある虫とされた。戦国期のには、カマキリの形を取りつけたものがありました。現在の日本では意味が転じて己の無力を知らない無謀さを揶揄する場合に用いられています。

例年ならそろそろ京の都にも毎年恒例の「コンコン・チキチン」と祇園ばやしの音が聞こえて来る筈でしたがコロナ禍のお陰で、あの絢爛豪華な祇園祭も残念なことで今年は中止となりました。「蟷螂山」という山は「蟷螂の斧」の故事を元としたもので、からくり仕掛けで動くカマキリが載っていて人気がありますが、確か昨年は一番くじを引いて長刀鉾の次に巡行に加わっていましたね。
災厄をもたらす疫神を鎮めるために、町中
を練り歩いたことが始まりといわれています。

 令和2年   水無月       八 大




















 麦 秋 のころ

 麦秋って五月末なのに秋ですか? この秋の意味は麦が実り収穫を迎えるところから麦秋と呼ばれています。二毛作の農家では短い秋を過ごしてもうひと仕事となります。雨の少ない時期でしたがもうすぐそこに梅雨がやって来ます。

前回に晩春についての続きみたいになりますが、やはり小津安二郎監督の名作映画にも「麦秋」のタイトルがあります。年頃の娘を持った家族に縁談を心配をしていたら、立てつづけに結婚話が舞い込んできます。生育の早い麦は手間いらずの孝行娘のようなもの、まさに実りの秋を迎えた娘の複雑な思いを原節子が演じています。小津安二郎と云う人は素晴らしい作品を残してくれましたが監督本人は良縁に恵まれず生涯独身で一生を過ごした。

麦に関する農作業の話
もともと「秋」と云う言葉には穀物が成熟した収穫の時機と云う意味があるようです。江戸時代に季語を解説した書物「滑稽雑段」(こっけいぞうだん)の中にも、「秋とは穀物が成熟する時期であり、麦においては実りの季節である初夏が秋と云える」と云ったような内容の解説がされています。
つまり、初夏は「麦の夏」であり、稲穂が頭を垂れる9~10月ぐらいは「米の秋」と云えるでしょう。米と同様に太古の時代から日本人の生活の中で重要な役割を担ってきた麦には、「麦秋」以外にもさまざまな季語があります。
例えば「麦蒔(むぎまき)」は初冬、麦が強く育つように行う「麦踏(むぎふみ)」は早春、青々と育った様子を表す「青麦(あおむぎ)」は春、「麦扱(むぎこぎ)」「麦刈(むぎかり)」「麦打(むぎうち)」など刈り入れにまつわる言葉は初夏。
さらに、麦が熟するこの時期に降る雨を「麦雨(ばくう)」、収穫の頃に吹くさわやかな風を「麦嵐(むぎあらし)」と云います。季節の移ろいを麦にまつわる言葉とともに感じてはいかがでしょうか。

ここで麦秋と云うと忘れてはいけない言葉に「麦酒(ビール)」があります。これは麦がたわわに実り黄金色の穂をつけ刈り取られ麦芽をアルコール発酵させて皆さんに届くというもので・・・これから先は私から説明することではありません。今では皆さんが日常的に愛飲されている国民的潤滑剤である飲み物です。この話は先々のお楽しみにしたいです。

 令和2年     水無月      八 大









 ローズガーデン?

 春日部市、牛島駅を過ぎて豊野方面に向かっていていると中華レストランの向こうに花束が見えたようだったので立ち寄ってみた。大きな屋敷の庭一杯にそれはそれは見事な花が溢れるばかりに広がったローズガーデンともいえるお庭でした。お見事!

お花の好きな人に話を聞きますと、多くのお花は来年の花の為に手入れをして摘み取ってしまうと云いますが・・・その方法もありですかね。
入口の「お知らせ」には明日からその手入れをすると予告が表示がありました。
チョットだけ覗いて̪̪シャッタ~を押させていただきました有難うございました。
お庭の持ち主に拍手です。パチパチパチパチパチ!





















 令和2年  皐月       八 大

 ヨシキリ( 利根の川風~ヨシキリが・・・ )

 今、古利根川を歩くとこんもり繁った葦の中からギギギと泣き叫ぶオオヨシキリの鳴き声がギョギョシ、キチキチ、ゲゲゲと好き勝手に大騒ぎ、漢字では「行行子」と書かれます。繁ってはいるけどあんな細い葦につかまって風に吹かれても俺はこんな風に吹かれてもヘイッチャラダだよっと。

空に向けて真っ赤な口を開けたオオヨシキリの雄, お気に入りのソングポストでにぎやかにさえずります。 美声とは言いがたいですが、きっと自慢の歌声なのでしょうね。 縄張りを確保するため巡回して大きな声で鳴き続けるオオヨシキリですが、昼間だけでなく夜間にも鳴いているそうです。 小さな体に秘められたパワーすごい体力ですね。 

多数がさえずっていると暑苦しいしうるさいと思うこともありますが春のこの時期に繁殖し、冬季には熱帯の地域に渡って行きますが何と云ってもこの時期が繁殖に時期で、数本の葦を束ねてお椀型の巣を作り一夫多妻でオスの周辺にメスが巣を作りハーレムの主に収まっています。カッコウに托
卵させることでも有名ですね。

ヨシキリの話が出たら「天保水滸伝」
三波春夫で一席唸りたくなりましたね。

#♭ 利根の~利根の川風ヨシキリの 声が冷たく身をせめる
     これが浮世か~見てはいけない 西空見~れぇ~ば
             江戸へ江戸へひと刷毛 あかね雲

「滸」は「ほとり」の意で、『水滸伝』とは「水のほとりの物語」
という意味です。

 令和2年  皐月          八 大
















 牛(うしがえる)定家葛


 コロナウイルス緊急事態騒ぎの中で冬眠から目覚めたと思われる、牛蛙(うしがえる)の夫婦が顔を出した。「暫くぶりですねご機嫌は如何ですか・・・やっぱりコロナのことが気になるのかな?」昨年の4月末顔を合わせて以来だから一年ぶりの再会でした。すぐ目の前が古利根川なので時々遊びに来てくれるが流石にここでは鳴いてはくれない。

のっそのっそと重たそうな巨体を引きずるように蹲の水を飲んで物陰に隠れて行きました。その大きさは15㎝~20㎝位になりますが、そのキョトンとした可愛らしい目を見ると今年も会いに来てくれたことを嬉しく思います。かすかに聞こえたその鳴き声の背景には今まさに定家葛の香りと共に穏やかな時間が流れており、しばらくその光景を眺めていました。やがて、あの独特なブオー・ブオーと云う声が聞こえるのも待ち遠しく思います。

水草の繁茂する流れの緩やかな河川、沼、湿地などに生息する蛙であるがその行動は夜行性で警戒心が強く中々見つけることは難しい。でも我が家にきてくれる牛蛙さんはここ十年ぐらいは毎年来てくれるので楽しみにしておりました。夜行性で強い警戒心により日中も暗所を好むため、しばしばアシの茂み、岸辺の土管や暗渠などに潜み水中から目鼻のみ出して外敵が近づくと跳躍して逃げる。夜間は上陸したり継続的に鳴くなど、活動がより活発となるようです。その鳴き声は「ブオー、ブオー」というもので、和名の由来にもなっている牛蛙の声は非常に大きく3百メートルぐらい離れても聞こえ、時に騒音として問題になるほどである。

食性は肉食性で水中、水面、陸上、いずれでも捕食行動が出来ると云い、日本ではカマキリ、バッタ、トンボ、ヤゴ、ゲンゴロウ、タガメなど何でも食べてしまい、また水面に落下して動けなくなった昆虫なども餌となるため、死骸であっても目の前に落ちてくるとものは何でも食べてしまうそうです。繁殖力も旺盛で5月から9月にかけて5,000~60,000個の卵を水中に産む。幼生の状態で越冬し翌年の夏にオタマジャクシから蛙の状態に変化して他の水場に移動していく。

食用とされることもあるため、食用ガエルという別名を持つ。皮をむいた後ろ足を食用とし、世界各地で養殖されている。味は鶏肉に似ており脂質はほとんど無いため炒め物やフライとして食べることが多い。フランス料理店や中華料理店を除くと日本ではいわゆる「下手物料理」を出す店でしか見ることが出来なくなっている。

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 アマビエ

  アマビエって聞いたことがありますか? 最近新型コロナウイルスのことでネットの中でよく出てきますが、その正体は半人半漁の妖怪であります。その正体は海中から光り輝く姿で現れその年の豊作や疫病などに関する予言をすることで知られているそうです。その名前は尼彦(アマビコ)や海彦・尼彦入道などと呼ばれています。

いつ頃から出現したのかははっきりしたことは不明であるが年代が特定できる最古の例は天保15年に越後国に出現したアマビコの記述があるそうです。また福井県の図書館にはその挿絵が描かれており頭からいきなり3本の足が生えた胴体のない姿で人間のような耳をし目は丸く口が突き出ている姿だったと言われていたそうです。

いまコロナウイルスの騒ぎの中、西洋の一説では海の生物にはすべて予知能力があるとされ、海から半人半漁のものが現れて予言を告げる伝承も珍しくもないことから、アマビエを人魚の一種とする見方もあるそうです。ただし、人魚の予言を不運の前兆と解釈する説がある一方、アマビエは予言のみならず疫病を防ぐ能力を持ち合わせていたことが、一般の人魚の予言と大きく異なり、妖怪と云うより神に近い存在とも言われていたそうです。

今回のコロナウイルスの大流行は大変な事態であり、防疫上の事由で人の物理的交流も経済活動も大幅な自粛を余儀なくされている。このような社会情勢においては「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りようとしてアマビエのイラストをみんなで描こう」との発想から護符としての拡散が見られているそうです。絵を見せることで疫病が収まるといいなあとの思いから子供たちの間でも人気があるそうです。妖怪にお願いなんて・・・聞いてくれるのかな?

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 ヤマボウシ

 15年ぐらい前だったと思いますが赤城山麓の原生林を切り開いて建てたという俵萌子さんの美術館に立ち寄ったことがあった。小さな館内には絵画や陶芸作品が品よく並べられており作者の思惑が感じられます。その屋敷の正面には真っ白い笠を被ったヤマボウシの大木が繁っていました。木々の間からは小川がゆっくりと流れており異次元の時間が流れているようにさえ思えた。

ヤマボウシ(山法師)は、日本から中国・朝鮮半島に分布する落葉高木で、日本では沖縄・九州・本州の山地に自生し、大きくなると10メートル以上の高さに生長します。ヤマボウシとハナミズキを混同する人が多いですが、ヤマボウシは日本が原産なのに対して、ハナミズキはアメリカからの外来種です。見た目や性質も似ているようで細かなところが違い、ヤマボウシの総苞片(そうほうへん)は先端が尖っているのに対して、ハナミズキの総苞片は丸みがあり、先端が窪んでいます。総苞片の美しさや育てやすさか
ら街路樹や庭園樹として人気が高く、江戸時
代には海外で観賞用樹木としても栽培されて
いたそうです。

白い花びらに見える総苞片を坊主頭と頭巾に見立てて「山法師」と名付けられたと言われていますが、比叡山延暦寺の僧兵は山法師とも呼ばれています。平安時代,比叡山延暦寺の僧兵は貴族や武士の侵略から守るために発生したがその多くは私度僧と呼ばれ無頼の輩が多かった。延暦寺日枝神社の神輿をを担いで都に繰り出し、寺社側の強硬な態度で無理やり要求を押し通そうとしたことが長い
間続いた歴史がありました。時の白河法皇「賀茂川の水、双六の賽、山法師これぞ
我が心にかなわぬ物はなし」と嘆いたと言われました。

我が家のヤマボウシは、寒い冬の間は葉を落とし暖かな陽を窓一杯に入れてくれましたが今年も白い笠をつけて咲き始めました。花ことばは友情です。みどりの風と共に庭一杯に山法師の白装束姿を見せてくれる今、メジロが来てヤマガラ・尾長・・・と続いて初夏が訪れます。


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時を超えた美しさの秘密

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな髪であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、
何度でも再出発することが出来ます。
誰も決して見捨ててはいけません。

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に
助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気がつきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるために、
もうひとつの手は他者を助けるために。

女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、
その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるものでもありません。

女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。

女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。

                     サム・レヴェンソン  米国の作家、教師


 この詩はサム・レベンソンさんが孫娘の誕生日に贈ったものと云われています。
また オードリイ・ヘップバーンがこよなく愛した詩と云われておりますが、彼女は女優業の他にも、ユニセフの親善大使として世界中の貧困地域の援助に尽力もされたことでも知られています。
世界的なコロナ感染の拡大中ではありますが気分転換のお役に立てればと思い載せました。

  令和2年  皐月            八 大














 穀雨 と晩春

 たくさんの穀物を潤す春の雨のことを「穀雨」と云いますが春の花を早く咲けとせきたてるように降る雨に見立てた「催花雨」とも呼ばれるそうです。春の雨についてこんな表現が出来るなんて日本人の感性は素晴らしいの一言です。

この時季これと並んで私の好きな言葉に「晩春」があります。春の終わりを表す陰暦三月の異称でもあります。先日古い映画「晩春」を見つけたので軽い気持ちでクリックしましたら二時間弱・・・これが名監督・小津安二郎の大傑作と云われた作品で、原節子、笠智衆、月岡夢二のお歴々のお出ましだった。作品は「父と娘」の嫁ぐ娘と父親の複雑な心情を描いていることで,昔からその評判は聞いていたが見る機会がなかった。その簡単なあらすじを紹介します。

早くに妻を亡くしそれ以来、娘の紀子に面倒をかけてきた大学教授の曾宮周吉は、紀子が婚期を逃しつつあることが気がかりでならない。周吉は、妹のマサが持ってきた茶道の師匠・三輪秋子との再婚話を受け入れると嘘をついて、紀子に結婚を決意させようとするが、男が後妻を娶ることに不潔さを感じていた紀子は、父への嫌悪と別れの予感にショックを受けてしまう。マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する。紀子が嫁いだ晩、一人家に残る心を決めた周吉は、人知れず孤独の涙を流す。

昭和を代表する小津安二郎という名監督の作品ですがその評価は今に語り継がれていおり、日本映画の作品で一番に挙げるとしたら「晩春」を挙げる人が多くいます。こういうと年齢が分かりますが見た後にその余韻がしばらく残りますね。

 令和2年  卯月        八 大 








 接骨木(にわとこ)

 栃木、那須地方に接骨木と云う地名がありました。それは子供の頃に父親に連れられて親類のお宅にお線香を上げに行った事があった。帰り際にクモの巣状に開いている白い花を見つけたので名前を聞くと、それはにわとこ(接骨木)と云う名前だよと教えられたことを今でも鮮明に覚えている。怪我をして骨折した時に副木をして応急処置をしたことから付いた名前だと云われている。


昔は骨折した場合の治療には、ニワトコの枝や茎を黒焼きにして、ご飯粒と食酢を入れて練ったものを患部に厚く塗り、副木をあてて押
さえて熱をとったと言う。そう云う治療法があったことから、折れた骨を接ぐ薬草という意味で、接骨木(せっこうぼく)という漢名がついたと言われます。

名前の由来は、ニワトコ(庭床)からきていると言われ、古い時代には幹を薄く削って削り花(けずりばな)を作り、祭儀に供えたと言います。現代でも削り花は小正月に飾る風習があると言います。また家を新築するときには庭先に祭壇を作り削り花を飾り神事を行ったと伝えられています。

落葉低木、樹形は下部からよく分枝し高さは5M位になり柔らかい感じである。花は春のこの時期に今年の枝の先端に白く小さな花を多数つけ,夏には暗赤色の果実をつける。若葉の時期にその葉や茎を山菜として食用にしたり、利尿剤として用いられていた。

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 山吹

 晩春のこの時期黄色い花を咲かせるのが落葉低木の山吹です。十年ぐらい前に栃木の「星野の里」で蕎麦を食べていると店の主が出て来てこちらへ来てよと手招きをしてくれました。のこのこ付いて行くと裏庭の藪の中に白い山吹が咲いていました。

これが珍しい「白い山吹」だよと自慢げに話してくれました。これは俺の宝物だよと自慢されていたのを思い出しました。黄色い山吹色は江戸時代までは大判小判を単に「山吹」と呼んでいたそうです。時代劇に出て来る場面で懐から大判を出してかじって見せている姿を思い起こしました。

ご存知の太田道灌の話
上杉氏の家宰(かさい)であった太田道灌
が鷹狩に行ってにわか雨に遭い、あばら家に駆け込むと少女が出てきた。道潅が少女に蓑を貸して貰えないかと尋ねたところ少女は黙って山吹の花一輪を差し出した。道潅は怒って帰りその近臣の一人にその話をしたところ、その者が「後拾遺集」にある後醍醐天皇の皇子の和歌に「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」と云う歌があることを伝え、「その娘は蓑一つない貧しさを山吹にたとえたのでしょうか」と云いました。

その後の話
その話を聞かされた道潅は己の無学を恥じ
、この日を境に歌道に精進し人の心の中を
理解できる人になっていったそうです。

物語の舞台になったと云われる山吹の里は
埼玉県の越生町周辺と云われ、最近では町
おこしのブームもあり賑わうそうです。

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 牡丹

 「白牡丹と云えども紅ほの香」 高浜虚子

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 と美人の姿を現す言葉にもなっている牡丹は清の時代には中国の国花でもあった。新年を祝う花として中国の上流階級ではとりわけ珍重され花海棠と共に最も愛好されている花であります。

四月に入った今頃から六月にかけて咲く花の王様と呼ばれる牡丹は奈良時代に中国より渡来したもので弘法大師が持ち帰ったものとの説もあります。最近では季節に関係なく花が咲かせているのを見かけますね。古名ではフカミクサとも言われて、その花の福々しさを表したもので、花王,白王獅子、大極殿などといろいろな種類があります。花言葉としては「王者の風格」「風格のあるふるまい」と云う、まさに花の王者ですね。

日本へは奈良時代の聖武天皇の時代に渡来し吉備真備が唐からの帰途これを持って帰ってきた云われ最初は漢方薬として渡来したもので、本来はその根と皮の煎汁を腰痛、関節炎、解熱剤、止血剤等として用いられた貴重な漢方薬であったそうです。平安時代の頃からは観賞花として愛されて来ており江戸時代には愛好家が競って品種改良も相まって牡丹文化の全盛となって今に至っているそうです。

牡丹散って打ちかさなりぬ二三片  与謝蕪村
白牡丹鰐をあらわにくずれけり   飯田蛇笏
灯のうつる牡丹薄く見えにけり   正岡子規


 令和2年   卯月       八 大












 新型コロナウィルス  の言葉

太陽コロナ
此のところコロナウィルスのお陰で耳慣れないカタカナ言葉が聞かれて記憶するのが大変です。何とかならないのと、ブツブツ独り言を云っているこの頃です。
本来コロナとは、太陽の外層大気のもっとも外側にある、100万度を超える希薄なガスの層であります。太陽コロナと呼ぶこともありますが普段は見ることは出来ません。子供のころガラスの板にロウソクでススを発生させ、皆既日食を見た思い出がおありでしょう。最近ではコロナグラフと云う器具を使うことで観測が出来るそうです。

太陽神の元祖であるコロナの名が最近ではすっかり悪役の
名になってしまい世界中の人々を苦しめており困ったもんです。
そのウィルスに関する気になるカタカナ言葉が新聞紙上をにぎわせています。どうしてこうも簡単に外来語を使ってしまうのかと思いませんか?。最近特に恐怖をあおるような外来語の氾濫が気になっておりますが私なりに突き止めてみました。

その原因の一つは、パソコン語の普及により古来からの日本語がカタカナ(外来種)に押されて駆逐されて来ている途上ではないかと危惧しております。
もう一つは日本語の退廃と言葉による印象操作ではないかと思います、それは日本語による過激な言葉をカタカナ語にすることによってその意味を、より柔らかに伝えられるという印象操作ではないかと考えましたが如何ですか。

 最近のカタカナ言葉を拾いました

 クラスター
コロナウィルス 1
もともとはブドウの房の意味だそうです。群れ、集団、集落のことで集団感染のことを云っています。以前にアフガニスタンやイラン等で紛争が続きその時にクラスター爆弾が話題を呼びました。大きな爆弾を打ち放すとその中にある複数の小型爆弾が炸裂することで広範囲に被害を拡大させてしまう。無差別に殺傷する能力が高い非人道的な兵器であるとして最近は使用禁止の声が出ています。

 バンデミックス
感染症が世界的に複数の地域で同時に大流行することを「感染大爆発」と云いますが、現在まで人の世界でのバンデミックを起こした感染症は天然痘、インフルエンザ、エイズなどのウイルス感染症、ペスト、梅毒、コレラ、結核、発疹フスなどの細菌感染症、原虫感染症のマラリアなどがあるそうです。


オーバーシュート
コロナウィルス 2
検索すると新型コロナウイルス感染に関することで、感染者の「爆発的な拡大」を指す言葉として行政やマスメディアがこぞって使っている。本来こうした事態を表すには「アウトブレイク」(感染爆発というよく知られた言葉があるのに何故、わざわざ「オーバーシュート」を使ったのか?
元々は金融・証券の用語だと言われたそうで有価証券の価格の行き過ぎた変動を云うそうです。その時の適正な基準から離れたときにオーバーシュートと呼ばれ相場が過熱した今がその時です。時間経過と共にいずれは修正されて行きます。

 ロックダウン
英語の「lockddwn]からきている言葉で「都市封鎖」と云う意味合いで使われています。具体的には「対象エリアの住民の活動を制限する」ことで外出禁止などがその例です。
東京都でロックダウンが行われた場合、スーパーやコンビニなどから生活必需品がなくなってしまう可能性があります。「近隣住民による買いだめ」→「店舗の在庫がなくなる」→「都外からの物資供給が滞る」といったケースか考えられるからです。ただ、一人一人が必要以上に商品を買いだめてしまうと、他の住民が困ることになりますのでそれはやめましょう。


 令和2年  卯月        八 大




 









 浄源寺(枝垂れ桜)

岩槻の浄源寺は近くの皆さんご存知の花の寺として有名なお寺さんです。小生もここの枝垂れ桜を知ってから10年以上も鑑賞に来るファンの一人です。
今年も咲いてくれましたが、でもチョット今年の様子は違います。昨年迄は裾を引きずるような枝垂れの姿が見られません。何故でしょう?

お寺の坊守さんに聞きましたところ、昨年庭の手入れをしていて方丈さんとのやり取りで車の出入りの際に気になるので裾の方を少し詰めてくださいと頼んだそうですが。庭師さんがハイ分りました・・・と。その結果がこの通りでした。

昨年まで見られていた方は皆さんから多くの苦言を戴いたそうです。春風に揺られて裾を引きずるような様子は何とも言えない趣がありました。ここまで詰められたとは・・・お釈迦さんでも思っていなかったので
はと云っても後の祭りでした。覆水盆に返らず、あと
三年待ちましょう。

墓地の入り口周辺にはお寺さんの好みでしょうが、端正に手入れされた木々や草花たちが私は此処よ・・
ばかり季節の順番を待ちながら開いてゆくその姿を見
ると、お守りして下さるお寺さんの愛情が込められて
いることが伝わって来ますね。


浄源寺縁起には平家の士、曽我兄弟の話から始まりま
すと書かれておりますが開基は不詳ながら約650年を遡ると言われておりましす。現在の住職さんは25代目に当たる長い歴史を持っておられるとのことです。

令和2年  弥生      八 大