生姜の効用

生姜の話 「生姜科・多年草植物」

生 姜

中国では、紀元前から栽培され、香辛料、薬として重用されてきた。漢方の生薬のひとつで、生薑【ショウキョウ】と読む。生姜はそれを略したものだそうだ。渡来時期は定かでないが、和名を【くれのはじかみ】といい、平安時代の「延喜式」に、その栽培方法、保存法も記されているそうです。

江戸初期の本草書「本朝食鑑」には、(近ごろ新しい根を生梅とシソの葉を一緒に塩づけにして年を経たり、あるいは味噌漬け・粕漬・蜜漬けにしたりする。また老薑は、日に乾かして貯蔵しておき、薬として服する。旅の具としている)とある。江戸時代の人たちは、梅干に漬けて日々愛用し、乾生姜をもって旅をしたというのだ。

    生姜の畑
    「生姜の効果」
  • 血行促進や体を温める効果がある
  • 胃腸の働きを助ける
  • 食欲を増進する
  • お腹の調子を整える
  • 殺菌作用がある
  • 抗がん効果があると考えられている
血行の促進のためには生の生姜に多く含まれる辛み成分のジンゲロールが作用し一時的に発汗を促す作用があります。夏のむくみ対策や体に熱のこもり易い人にはお勧めとのことです。また冷えが気になる場合には温かいスープやカレーなどの煮込み料理に刻んだ生姜を加えると発汗作用も働き良いことづくめです。また日本最古の医学書と云われる医心方(いしんぼう)では生姜はカゼの薬としても紹介されています。
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「熊」の話

青森県下北半島の地で熊に出会ったことがありました。それは下北原発(しもきたげんぱつ)の真向かいにある山裾をノロノロと走っているときに、藪の中から何と熊が出てきた。よく見ると体長が50㎝ほどの子供の熊でヨチヨチ歩く程度で歩き出しました。仲間の一人が、早く逃げろ!と声をかけてくれたのを合図に速度を上げると、親熊が現れジッと睨みつけていました。小熊がいる時の熊は特に注意が必要だと云われました。

 日本に生息する熊が今年は何かと話題になりましたね。民家の物置に入って3日間も捕獲できず住民の人は新聞沙汰になり大騒ぎでした。北海道では「ヒグマ」本州などでは「ツキノワグマ」がよく知られております。雑食性で動物の肉や果実、木の実などを食べ、寿命は二十年から三十年ぐらいと云われております。

古来より漢方薬として熊の胆のうを原料にした「熊胆(ゆうたん)」が強壮剤や解熱剤として、熊の手のひらが高級食材として、熊の掌が珍重されてきました。また昔話の「金太郎に登場したり」、年老いた熊は鬼熊に変化すると云う言い伝えがあったりと、日本人になじみの深い動物として知られています。

近年では山間部と人間の居住域を分ける里山が失われているため、冬ごもりの食料を得ようとした熊が人里で人間と接触したり、農作物を食い荒らしたりしたりする問題が深刻化していますね。野生の熊たちにとっては云いたいことは一杯あるでしょう。これからは自然保護と日本社会に根差した問題として取り組まなければならない問題であります。

 師 走             八 大              





18歳と81歳の違い

以前から 気になる言葉」がありましたが小生80代を進行中です。先輩の皆さんからの的切なるお言葉を有難うございます。


 恋に溺れるのが18歳、風呂に溺れるのが81歳。  

 道路を爆走するのが18歳、逆走するのが81歳。                

 心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。                 

 ドキドキが止まらないのが18歳、動機が止まらないのが81歳。         

 恋で胸詰まらせるのが81歳、偏差値が気になるの18歳。            

 血圧・血糖値が気になるのが81歳、まだ何も知らないのが18歳。        

 まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていない18歳。          

 自分を探している81歳、皆が自分を探している18歳。

笑っていられない自分も此処におります。

師 走            八 大









ピンからキリ

古利根川の一本桐
「花札」の世界では、一月の松から始まって二月は梅、三月は櫻、四月は藤と進んで12月は桐となります。古利根川沿いの児童公園際には一本の「桐の木」が寒そうな姿で精気なく春を待っているようで可哀そう。手入れもされず野放図に扱われている姿は余りにも可哀そうです。あの夏の暑い日光を浴びていた頃の生き生きとしていた姿は何処へ行ったの?

俳句で「桐の花」は初夏であり桐一葉は秋であります。それ以来だと思われますが「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」一葉とか、一葉落つと云っても桐の事だとわかります。それなのに季語から外れた桐が何故12月なのか不思議に思っていました。

それを見つけました。言語学者の金田一春彦先生の話によると、これは天承カルタに由来すると云う。このカルタはではⅠの札をピンと云った。サイコロの目と同じ名で、第一、はじめの事であり、そして10をキリと呼んだ。キリは「クルス(十字架)」なまりで、或いは「切り」の意と云われる。

始めから終わりまで、最上等から良くないものまでを指す「ピンからキリまで」はここから出たと云う。その語源はポルトガル語で 「ピン」は1,「キリ」は10の意味から転じて優劣を表す使い方に 「ピン」はポルトガル語のpinta (点)の意から、「キリ」は、ポルトガル語の cruz(クルス「十字架・十字形」の意)からだと言われています。 日本語ではなかったのですね。

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白菜とキムチ鍋

 季節が寒くなってきたこの頃、スーパーの店先には鍋料理には欠かすことが出来ない冬野菜の白菜です。今年も大きな白菜が並ぶ季節になってきました。「鍋の季節」がやってきましたね。スーパーの店先に大きな白菜が店先の目立つところに並んできましたが 

白菜 食物繊維やミネラルが豊富で鍋料理以外にも浅漬けやキムチにも利用されていますね。日本では漬物以外ではあまり生で食することはありませんが、アメリカやヨーロッパなどではサラダとしてそのまま利用されているそうです。生のままではそれなりの量があっても、鍋で煮込んでしまうと量も少なくなりますし、カロリーも低いので野菜をたくさん食べたい人やダイエットしたい人にはうってつけの野菜と云います。 

白菜の原産地は中国だそうです。江戸時代前には日本にも伝わっていたと云いますが、野菜として普及するようになったのは昭和時代になってからと云われています。以外にも最近の事と云われていますが・・・そうなんですかね?

キムチ
キムチ鍋 元々朝鮮半島の厳寒期に備えた保存食であり、野菜を塩漬けしたものから始まったものと云われています。これに香辛料としてニンニクや山椒などを加えるようになったのが、キムチの原型であるそうです。1,700年代に日本から朝鮮半島に唐辛子が伝えられると、栽培や加工が容易な唐辛子が山椒に代わって用いられるようになったと云われています。この時季食卓には欠かせない物になっていますね。


 師走                八 大

帰り花

小春日和は初冬の季語、晩秋から初冬にかけての、冬に暖かい日が続くと草木が時ならぬ花を咲かせることがよくあります。そんな小春日和が続くと、草木も「春が来た来た!」と勘違いして、花を咲かせることがありますね。これを「帰り花」あるいは「忘れ花」とも云いますよね。11月の中頃の小春日和に、梅、桜、躑躅、梨などの草木にも見られます、チョット楽しいネ。

帰り花(さくら)
帰り花の解釈は、人によってさまざまあるのではないでしょうか。「うっかり季節を間違えて咲いちゃった花」と捉えるとひょうきんなようにも思えますし、「寒さが本格化する直前に数輪咲く花」とすれば儚い美しさに見えますよね。

この場合はもっと小さな草花のほうがその名前には似合いそうなきがしますが、冬の薄暗い日には、何故か神々しい雰囲気を感じさせます。人が忘れたころに咲くので「二度咲」狂い咲」とも云われていますが、これを何と言っていいのか。 「帰り花」の解釈は人によって違いがあるようです。

「うっかり季節を間違えて咲いちゃった花」と捉えるとひょうきんなようにも思えますし、「寒さが本格化する直前に数輪咲く花」とすれば儚い美しさににも見えてきますが如何でしょうか。 

調べてみるとビックリする事があります。                  「帰り花」と云う言葉には悲しいことに、遊女が再び遊郭に勤めに出ると云う意味もあるそうです・・。

 霜 月             八 大






















落穂拾い

 近くの田んぼでは刈り入れが終わり、コンバインの姿は見えなくなりました。子供の頃、稲刈りの作業は農家にとっては家族総出の一大年中行事だったようで小学校が休校になったことも思い出しました。その後時間を置いて刈り取った稲の間に飛び回っているイナゴを捕まえ布袋に取り込むころが懐かしく思い起こされ・・そんな時期があったな~と今でも思い起こします。

小学校の教壇の前には「ミレーの落穂ひろい」の額があり、何か老婆達が腰を曲げて落穂を拾っている様子がありました。何をしているのかなんて考えることもなくそのまま受け入れていたように思っていました。そんな事より母親に縫ってもらった布袋に如何にしてイナゴを沢山捕まえる事だけが私にとっての仕事だったように思っていました。

ミレーの落穂ひろい
落穂拾い(おちぼひろい)は穀物の収穫後に、または収穫に加えるために、田畑に散らばる穂を拾い集めること。

旧約聖書の中に、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」とあります。「畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。 

収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい」。「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」とある。これは近代の農村社会でも貧者の権利として一部に残っていた慣習であると云います。貧しいながら力強く生きる生命力を感じさせるミレーの巧みな技法によって評価される作品と云われます。

 

 霜 月           八 大   





法華寺の話

 小生、まだ駆け出しの頃土日と休暇を合わせて3日間程プライベートの旅に出ました。東京駅を22時発の夜行寝台列車「瀬戸号」?に飛び乗り車掌さんにお願いしてすぐに熟睡。京都到着20分前肩を叩かれ飛び起きて身支度を確認、駅改札を出てトイレ洗面を済ませ何気ない顔で八条口側にある、うどん屋で今日の予定表の再確認となる。

一人旅の気安さもあり観光案内の地図を片手に歩きだした先に「法華寺」のご本尊十一面観世音菩薩の姿でした。対面してビックリ・・なんと腕の長い仏様なのだろう・・忘れられない第一印象でした。法華寺は聖武天皇御願になる日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后の発願によって日本総国分尼寺として創建されたのが法華滅罪の寺であります。藤原不比等公の邸宅だったのを、皇后が先帝に並び老婢のおんために改めて伽藍となし給うもので以来星霜千二百五十年、おん慈しみ深かったい皇后の御精神を伝え、同心堅固に守られてきた女人道場「法華寺御所」であります。

法華寺の歴史は今から1300年ほど前、聖武天皇の妃・光明皇后の発願によって始まりました。父・藤原不比等の死後、皇后は子供のころから住み慣れた邸宅を皇后宮とされます。その後、皇后宮寺に改められたのが法華寺です。正式には法華滅罪(ほっけめつざい)の寺と云い、総国分寺である東大寺に対し、総国分尼寺として、女人成仏の根本道場としての役割を担いました。皇后は法華寺において尼僧の仏学研鑽を勧め、女人成仏の規範を意召されました。また天皇崩御後は、天皇の菩提を祈られたのです。

法華寺石標

伽藍の完成は延暦元年、(782)頃、光明皇后が亡くなられた後でした。現在の南門に立つなど広大な寺地を有し東西両塔、金堂、講堂、食堂など壮大な伽藍を誇りました。

「光明皇后」は仏教を厚く信仰された慈悲深い方で社会福祉に大変貢献されました。施薬院、悲田院を開設されたことは当時としては画期的な事でありました。光明皇后は聡明なうえ、光明子と云われるくらいの光輝く美貌だったらしく夫の聖武天皇は皇族の女性以外は皇后になれないのに臣下出身の光明子を皇后に取り立てられました。民間出身の皇后の第一号でありました。しかし、臣下出身の皇后には皇族側の代表である長屋王の反対が予想され、起きましたのが有名な「長屋王の変」であります。また、娘の阿倍皇女は女性皇太子の第一号ありました。


 霜 月             八 大                 












           十一面観音菩薩



















ドジャースとセロトニン効果

31日の米国大リーグ「ドジャース」と「ヤンキース」の決戦は大谷選手のいるドジャースが大逆転で文字通り世界一となりました。流石に大リーグの戦いであったな~と改めて実感しました。頭の中でアドレナリンやドーパミンが出動し心身ともに安定させ久しぶりに幸せな気分を感じることが出来ました。

アドレナリンは生命の危機に瀕したときに分泌されるホルモンで、心拍数や血圧を上昇させ、体のパフォーマンスを高める作用があると云われております。

またドーパミンはやる気や集中力、モチベーションに関与しており、前向きな気持ちになれたり、目標に向かって頑張れたりするそうです。           デコピンちゃん

楽しいことをしているときや目標を達成したときに分泌されるホルモンです。 セロトニンと云われる神経伝達物質は、分泌されると幸せな気分を感じやすくなるため「幸せホルモン」と呼ばれています。 セロトニンは脳の興奮を抑え、心身をリラックスさせる効果があるが、不足するとイライラや不安などのストレスを感じやすくなると云います。

ドジャースの優勝パレードに参加した大谷翔平投手(30)の愛犬デコピンの写真が投稿された。デコピンは大谷選手と真美子夫人が、2階建てのバスに乗った。大谷選手がデコピンを抱きかかえてファンの声援に応えると「デコピンコール」!が発生した。デコピンはご主人に抱きかかえられ、お祭り騒ぎのファンにお披露目されパレードは続いた。

 神無月          八 大




松尾芭蕉の名言

「松の事は 松に習え、竹の事は竹に習え。」 これは江戸の俳人松尾芭蕉の言葉です。教科書にも載っているお馴染みの「奥の細道」は皆さん後存じの松尾芭蕉の紀行文です。東北や北陸など2400KMの道のりを旅をしながら俳句を詠んだ旅の俳人の言葉です。

松尾芭蕉の名言
そんな芭蕉が残した言葉の中に「そのものをしっかりと見なさい」そして「じっくりと観察をしなさい」と云う意味が入っていると云います。 素直な気持ちで物事をよく見て感じると云うことが、良い俳句をつくるコツにも繋がるんだと言っています。

これは俳諧における自然観察について述べた言葉で、調べまわったり人に聞いたりするよりも直接「対象そのもの」にじっくり向き合った方が、その本質が見えてくると云っています。人間関係や仕事の上にもにも通じる言葉ですね。まずは「じっくり              と向き合うこと」から始めるそうです。


「 月日は 百代の過客にして 行きかう年も また旅人なり 」 

     月日は永遠に旅をする旅人のようなものである。             

        去ったと思えばまたやってくる旅人のようである。 と 


 神無月             八 大  








自分の人生は自分で

 「自分の人生は自分で決める」これが自分の幸福感に直結すると思います!        長野県・諏訪中央病院の名誉院長である鎌田先生がおっしゃる言葉はいつも心に響きます。[幸福感に密接に関係するものは何ですか?」と云うアンケート調査がありました。

先生のアンケート調査によりますと一位から順に「健康、良い人間関係、自己決定、収入、学歴」へと続くと云います。物事がうまくいかなくても自分で決めたんだから諦めがつく、でも他人に強制されて失敗したとしたら心理的ダメージは大きい。収入・学歴以上に自己決定が幸福感に大きく影響を与えると云います。

自分のことは自分で決めると云うことを決めておくことは大切です。何時も他人に同調することなく「これで良い!」と自分で決める事が大切であると思います。その結果で出会った景色やその光景に出会えたことに満足すると幸福感が増すことになります。

恵比寿神 神不在の留守居役


自己決定を貫いたことには少しの迷いはあったにしても、そこで良い景色やそこで出会えた光景を受け止められれば幸福感は益々増すばかりだと思います。自分の人生を決めるのは自分自身の人生なのだから、他者の何者かを生きる必要は無い、最後まで「自分らしく生き抜く」ことです。

 

 神無月            八 大


 



 







物忘れから認知症

「あのテレビに出ている人の名前は・・・誰だっけ?」「顔は判っているのにどうしても名前が浮かんでこない・・?」 こんなやり取りを最近度々起こるので困ったもんですね。このように人の名前を度忘れしたり約束をうっかり忘れてしまったりする「物忘れ」は誰にでも起こる老化現象の一つですね。

しかし「赤の他人ではなく、家族など身近な人の名前が出てこない」「予定表を見ても、何の約束もなく思い出せない」と云った症状になると認知症のまえぶれと考えられているそうです。最近こんなやり取りを 仲間うちで多く耳にしますが、そう云えば人の名前を忘れしまったりする度忘れと云うか物忘れすること多くなりました。

誰にでもある事ですがこれが老化現象なんですね。認知症の前触れで、いやもうすでにその仲間入りしているのは確実です。物忘れの原因は「老化?」の性ですか? それとも「認知症かな?」微妙なところですが気になるところす。

「老化によるもの」物忘れ 

「体験の一部を忘れる」 旅行に行ったことは覚えているが、旅先での夕食でのメニューまでは思い出せない。                                                                                                                   「忘れたことを自覚している」買い物から帰った後、買い忘れがあったことに気が付く  「生活に支障はない」日付や曜日、場所を間違えることがあるが間違いに気が付く。物をなくしても探して見つけることが出来る。

「認知症による」物忘れ       

「体験そのものを忘れる」 旅行に行ったにもかかわらず旅行したことや旅先でのことを全く思い出せない。                                    「忘れたことを理解できない」買い物に行ったことを忘れ再び同じものを買いに行く。     「生活に支障をきたす」物をなくすと、パニックになったり誰かのせいにしたりする。 

認知症の前触れにご注意を!。 協和発酵からの参照


 神無月              八 大




 

清津峡の水鏡

トンネルからの眺め
「清津峡渓谷トンネル」は、黒部渓谷・大杉谷と共に日本三大峡谷の一つとして知られており渓谷の美しさを安全に楽しむために作られたトンネルです。1988年から雪崩やその後の落石事故が発生したため、遊歩道の通行が禁止されましたが地元や観光客の要望を受け、1996年に歩行者専用のトンネルが建設されました。

川を挟んで切り立つ巨大な岩壁は全国に誇るV字形の大峡谷をつくり、国の名勝・天然記念物にも指定されています。トンネルに入り少し進んでチケットを買い舗装された通路を何と片道で750㎡もありますが長いなあと思うだけで道幅も余裕あり安全な道路です。

柱状節理
進んでいくと3か所の休憩所がありそれぞれの奇岩と谷川の流れを楽しみながらしながら進み左に折れると景色は一変する。トンネルの下半分は水鏡となり水面に立ち入った人の動きとなり、顔を上げると遥か遠くに越後の山々が望めると云う。この嘗て味わったことのない異様と思える空間は何だろう暫く言葉を失う。

清津峡の特徴でもある柱状節理(ちゅうじょうせつり)について一言。柱状節理は、地表に出てきたマグマが冷却・固結する際に体積が収縮するためにできる割れ目のことです。冷却面に垂直に六角柱状ができます。峡谷の断崖に連続して発達する柱状飾理は、その長軸方向が南東方向に 40 度~ 60 度の角度で傾いています。

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りんどう「竜胆」

 秋の彼岸に欠かせないお花、暑かった今年の夏も秋の彼岸を迎えるこの時季ようやく本来の季節に戻りつつありますね。日本中が異常気象と云われておりますが30℃を超す日が2カ月もあったなんて気象庁もびっくりの様子。彼岸墓参りの皆さん達も日照りを避けた夕方日が沈むころにお参りに行く人たちのお出ましになられる。 

竜胆の花
秋の訪れを感じさせ落ち着いた雰囲気が魅力の「りんどう」1本の茎に連なるように花をつける姿は、山道を歩いていても凛として上品な雰囲気が漂いますね。花言葉は「勝利」「正義感」です。花言葉は「勝利」「正義感」です。

りんどうは漢方として利用されており、効能によって病に打ち勝つ姿が、花言葉に由来しているとも考えられますね。鮮やかな青や紫のイメージが強いですが、最近では白やピンクもあり色別にも花言葉が存在する花です。

日本で「りんどう」と呼ばれるようになったのは、中国で「りゅうたん(竜胆)」と呼ばれていたことに由来し中国から「りゅうたん」の名で伝わり、平安時代までは「りむたう・りんたう・りんだう」など呼び方にバラツキがあったようです。その後、呼び方が変化して現在の「りんどう」の名前になったのではないかと云われています。

 りんどう の花ことば                                            紫色のりんどう     「満ちた自信」 「誠実」                                                                                                                         桃色のりんどう   「愛らしい」                         

名月の祝い
白色のりんどう 「貞操」「誠実な人柄」  

 中国でなんで「竜胆」と云われたのかは、りんどうの根っこは漢方薬として活用され苦みが強く「まるで竜の胆のように苦い」と表現され「竜胆」と名付けられたと云います。

りんどうの花は敬老の日や秋の彼岸には欠かせない存在です大切にしたいお花です。


秋 分             八 大

                         
















中秋の名月

お月見
今年の夏は記録的な暑さが今でも残っていますが暦の上では「中秋の名月」の頃となってきました。この時季秋の虫達も草叢の中でじっと出番を待ってます。夜間もまだまだ少し蒸し暑さが残りますが、草叢を覗くと出番を待っている虫達が蠢き始めています。夏から秋への季節の移り変わりを感じられそうです。

今日、旧暦8月15日に出る月のことを「中秋の名月」と云われます。 昔から秋の収穫を喜び感謝する祭りの日として家族や親しい友人、恋人などと月を愛でながら 昔から秋の収穫を喜び感謝する祭りの日として月見団子のように月にちなんだものや秋の収穫物を食べたり、お供えしたりしていました。 また、災いや邪気を遠ざけるために、「秋の七草」のひとつであるススキを供える風習もあります。  
 
その昔、農民達は月の満ち欠けで時の流れを計り、季節の変化を感じ取って農作業をしていた。そんな農民たちにとって、秋は作物の収穫時期です。月が満ちた姿を模した丸い団子は豊作への祈りや感謝は勿論、物事の結実や幸福の象徴ともされ供えた後のお団子を食べることで健康と幸福を得られると考えられていたそうです。

お月見のお供えと云えば月見団子ですよね。平安時代に中国から伝わった風習と云われている伝統菓子である「月餅」を備える風習がありますが、日本ではイモ類や豆類を供え形を変え今の月見団子になったそうです。月がよく見える場所にちゃぶ台を置き十五夜にちなみ、15個の団子を大皿にうず高く盛るのが昔ながらの伝統的な供え方。山のような形に団子を積むのは、一番上の団子が霊界に通じると信じられていたからとも云われています。


 長 月             八 大





















秋野菜と御山洗い

 「食欲の秋」と云う言葉にふさわしく、秋になると元気で健康な土が育んだ根っこや葉っぱ、イモ類やキノコなどが旬を迎えます。秋は季節の変わり目のため、夏の暑さによる疲れとまじかに控えた冬のせいで体調を崩しがちです。秋野菜に含まれる豊富なビタミン・ミネラル・食物繊維は夏に蓄積した疲れを癒し、腸内環境を整え肌荒れなどを改善すると共に寒い冬に備えた体力づくりに役立ちます。

秋の野菜
里芋は弱った胃腸のケアや体を温める効果があり、ビタミンCが豊富なブロッコリーとの相性は良好です。茄子は一般的に7月から8月が旬の夏野菜とされていますが「秋ナスは嫁に食わすな」と云うことでわざがあるように、初秋に収穫されるナスは身がしまっていて種が少なく、特に美味なるものとされている。

生姜も本来は秋きが旬の食材だそうです。9月から10月ごろの収穫期に採ってすぐに出荷される生姜を新生姜と云います。色が白くて繊維が少なく、非常にみずみずしいのが特徴です。この時季テレビでもすっかりお馴染みとなった栃木産の岩下の新生姜も頑張っていますね。

お山洗いと云う言葉があります。富士山麓地方で陰暦7月26日に降る雨のことを「御山洗い」と云います。聖なる山を清め洗い流すさまにたとえた素敵な言葉です。厳密には富士山を指すのでしょうが各地方の霊峰にも当てはめて、この時季に山に降る雨を「御山洗い」と呼んでいるようです。きれいに洗われ水分を取った山々はこれから黄葉し、あでやかに「山装う」へと向かいますよ。

 長 月               八 大 

今、米騒動?

 このところ俄かに、わいわいガヤガヤと聞こえてくるのは「お米の話」です。現在の農林水産相は27日の閣議後記者会見で備蓄米の放出について要望があったが、民間流通が基本のコメの需給や価格に影響を与える恐れがあるため、慎重に考えるべきだ」・・・と語った。それって何ですか?。

農水省が放出するのは、小売店や卸売業者など民間が抱えるコメの在庫が著しく減り、需要に追いつかない恐れが高まった時。緊急に調査したうえで専門の部会を開いて検討する。最終決定者は農相だ。民間には在庫はありますと農水省の大臣が云う。現状について、農水省の立場は「民間に在庫はあり、備蓄米の放出が必要な状況ではない」というのが基本線だと言う。現在は民間には在庫は一杯ありますと農林水産大臣・・。それってどういうこと! 

日本人の主食であるお米、もともとは中国の野生種で調べによると、日本に稲作が伝わったのは6千年前だという説があります。稲は田植えから約100日で穂が出てすぐに花が咲きます。諺で「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、これは人格者ほど謙虚になると云う意味ですよね。

稲刈り
又、雷のことを稲妻と云いますが、これは稲穂が実る時季に雷が多く昔は雷が稲を実らせていると考えられていたことが由来となっています。近年では一人当たりのコメの消費量が減少していますが、コメ不足に対応するはずの備蓄米だが何で農水省は放出に否定的なの?

新米が本格的に出回る9月末頃には品薄は解消すると云う、スーパーなど小売店の関係者も一致した見方と云います。現状の品薄感から新米への期待は大きく価格は上昇するばかりに感じられます。現在の値上がりラッシュの家計にとっては重しになるが、備蓄米の放出になれば米価を抑えることが出来ますよね。現在、農            水省は価格対策としての備蓄米の吐き出しには全く否定的な様子            です。 備蓄米を何故放出しない?  庶民は怒ってますよ!!

農林水産大臣殿  スーパーのコメ棚は空っぽですよ!

 葉 月            八 大










秋刀魚の思い出

「秋刀魚の歌」 あはれ秋風よ、情(こころ)あらば伝えてよー                                  男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思いにふける と。 佐藤 春夫


 いよいよ私達庶民が待望のサンマの季節がやってきました。今朝も新聞できれいな水の流れる河原で家族連れの仲間が、さんまパーティを楽しんでいる様子がに記事が載っていましたね。秋といえば絶対に欠かすことのできない魚がサンマですよね。

自分が子供の頃、父親に草履を履かされ川の向こうで今風で云うと「さんまパーティー」でわいわいガヤガヤとその数ザッと20人余り。河原で木箱に入ったサンマと沢庵漬とおにぎりの大パーティ・・・。煙の中で一人3匹の割り当てがほゞ完食となって大声で歌わされた思い出はをいまだ脳裏に残る。
秋刀魚の塩焼き
サンマの名前の由来は何処から。サンマは横から見ると刀のように細長く、正面から見ると縦に狭い体をしています。この体の特徴からサンマは古くより「狭真魚(さまな)」と呼ばれていたことがあるようです。この狭真魚という言葉が「さまな→さんま」…へと諸説あるようですが転訛し、今に至るとい云われています。

狭いという漢字が使われているサンマですが、旬の時期は背中に丸みを帯び、肉厚でとてもおいしそうですよね。しかし、時期の外れたサンマはとてもスリムで、まさしく狭いという漢字がしっくりくるような、そんな姿をしています。

 葉 月              八 大