ローズガーデン?

 春日部市、牛島駅を過ぎて豊野方面に向かっていていると中華レストランの向こうに花束が見えたようだったので立ち寄ってみた。大きな屋敷の庭一杯にそれはそれは見事な花が溢れるばかりに広がったローズガーデンともいえるお庭でした。お見事!

お花の好きな人に話を聞きますと、多くのお花は来年の花の為に手入れをして摘み取ってしまうと云いますが・・・その方法もありですかね。
入口の「お知らせ」には明日からその手入れをすると予告が表示がありました。
チョットだけ覗いて̪̪シャッタ~を押させていただきました有難うございました。
お庭の持ち主に拍手です。パチパチパチパチパチ!





















 令和2年  皐月       八 大

 ヨシキリ( 利根の川風~ヨシキリが・・・ )

 今、古利根川を歩くとこんもり繁った葦の中からギギギと泣き叫ぶオオヨシキリの鳴き声がギョギョシ、キチキチ、ゲゲゲと好き勝手に大騒ぎ、漢字では「行行子」と書かれます。繁ってはいるけどあんな細い葦につかまって風に吹かれても俺はこんな風に吹かれてもヘイッチャラダだよっと。

空に向けて真っ赤な口を開けたオオヨシキリの雄, お気に入りのソングポストでにぎやかにさえずります。 美声とは言いがたいですが、きっと自慢の歌声なのでしょうね。 縄張りを確保するため巡回して大きな声で鳴き続けるオオヨシキリですが、昼間だけでなく夜間にも鳴いているそうです。 小さな体に秘められたパワーすごい体力ですね。 

多数がさえずっていると暑苦しいしうるさいと思うこともありますが春のこの時期に繁殖し、冬季には熱帯の地域に渡って行きますが何と云ってもこの時期が繁殖に時期で、数本の葦を束ねてお椀型の巣を作り一夫多妻でオスの周辺にメスが巣を作りハーレムの主に収まっています。カッコウに托
卵させることでも有名ですね。

ヨシキリの話が出たら「天保水滸伝」
三波春夫で一席唸りたくなりましたね。

#♭ 利根の~利根の川風ヨシキリの 声が冷たく身をせめる
     これが浮世か~見てはいけない 西空見~れぇ~ば
             江戸へ江戸へひと刷毛 あかね雲

「滸」は「ほとり」の意で、『水滸伝』とは「水のほとりの物語」
という意味です。

 令和2年  皐月          八 大
















 牛(うしがえる)定家葛


 コロナウイルス緊急事態騒ぎの中で冬眠から目覚めたと思われる、牛蛙(うしがえる)の夫婦が顔を出した。「暫くぶりですねご機嫌は如何ですか・・・やっぱりコロナのことが気になるのかな?」昨年の4月末顔を合わせて以来だから一年ぶりの再会でした。すぐ目の前が古利根川なので時々遊びに来てくれるが流石にここでは鳴いてはくれない。

のっそのっそと重たそうな巨体を引きずるように蹲の水を飲んで物陰に隠れて行きました。その大きさは15㎝~20㎝位になりますが、そのキョトンとした可愛らしい目を見ると今年も会いに来てくれたことを嬉しく思います。かすかに聞こえたその鳴き声の背景には今まさに定家葛の香りと共に穏やかな時間が流れており、しばらくその光景を眺めていました。やがて、あの独特なブオー・ブオーと云う声が聞こえるのも待ち遠しく思います。

水草の繁茂する流れの緩やかな河川、沼、湿地などに生息する蛙であるがその行動は夜行性で警戒心が強く中々見つけることは難しい。でも我が家にきてくれる牛蛙さんはここ十年ぐらいは毎年来てくれるので楽しみにしておりました。夜行性で強い警戒心により日中も暗所を好むため、しばしばアシの茂み、岸辺の土管や暗渠などに潜み水中から目鼻のみ出して外敵が近づくと跳躍して逃げる。夜間は上陸したり継続的に鳴くなど、活動がより活発となるようです。その鳴き声は「ブオー、ブオー」というもので、和名の由来にもなっている牛蛙の声は非常に大きく3百メートルぐらい離れても聞こえ、時に騒音として問題になるほどである。

食性は肉食性で水中、水面、陸上、いずれでも捕食行動が出来ると云い、日本ではカマキリ、バッタ、トンボ、ヤゴ、ゲンゴロウ、タガメなど何でも食べてしまい、また水面に落下して動けなくなった昆虫なども餌となるため、死骸であっても目の前に落ちてくるとものは何でも食べてしまうそうです。繁殖力も旺盛で5月から9月にかけて5,000~60,000個の卵を水中に産む。幼生の状態で越冬し翌年の夏にオタマジャクシから蛙の状態に変化して他の水場に移動していく。

食用とされることもあるため、食用ガエルという別名を持つ。皮をむいた後ろ足を食用とし、世界各地で養殖されている。味は鶏肉に似ており脂質はほとんど無いため炒め物やフライとして食べることが多い。フランス料理店や中華料理店を除くと日本ではいわゆる「下手物料理」を出す店でしか見ることが出来なくなっている。

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 アマビエ

  アマビエって聞いたことがありますか? 最近新型コロナウイルスのことでネットの中でよく出てきますが、その正体は半人半漁の妖怪であります。その正体は海中から光り輝く姿で現れその年の豊作や疫病などに関する予言をすることで知られているそうです。その名前は尼彦(アマビコ)や海彦・尼彦入道などと呼ばれています。

いつ頃から出現したのかははっきりしたことは不明であるが年代が特定できる最古の例は天保15年に越後国に出現したアマビコの記述があるそうです。また福井県の図書館にはその挿絵が描かれており頭からいきなり3本の足が生えた胴体のない姿で人間のような耳をし目は丸く口が突き出ている姿だったと言われていたそうです。

いまコロナウイルスの騒ぎの中、西洋の一説では海の生物にはすべて予知能力があるとされ、海から半人半漁のものが現れて予言を告げる伝承も珍しくもないことから、アマビエを人魚の一種とする見方もあるそうです。ただし、人魚の予言を不運の前兆と解釈する説がある一方、アマビエは予言のみならず疫病を防ぐ能力を持ち合わせていたことが、一般の人魚の予言と大きく異なり、妖怪と云うより神に近い存在とも言われていたそうです。

今回のコロナウイルスの大流行は大変な事態であり、防疫上の事由で人の物理的交流も経済活動も大幅な自粛を余儀なくされている。このような社会情勢においては「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りようとしてアマビエのイラストをみんなで描こう」との発想から護符としての拡散が見られているそうです。絵を見せることで疫病が収まるといいなあとの思いから子供たちの間でも人気があるそうです。妖怪にお願いなんて・・・聞いてくれるのかな?

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 ヤマボウシ

 15年ぐらい前だったと思いますが赤城山麓の原生林を切り開いて建てたという俵萌子さんの美術館に立ち寄ったことがあった。小さな館内には絵画や陶芸作品が品よく並べられており作者の思惑が感じられます。その屋敷の正面には真っ白い笠を被ったヤマボウシの大木が繁っていました。木々の間からは小川がゆっくりと流れており異次元の時間が流れているようにさえ思えた。

ヤマボウシ(山法師)は、日本から中国・朝鮮半島に分布する落葉高木で、日本では沖縄・九州・本州の山地に自生し、大きくなると10メートル以上の高さに生長します。ヤマボウシとハナミズキを混同する人が多いですが、ヤマボウシは日本が原産なのに対して、ハナミズキはアメリカからの外来種です。見た目や性質も似ているようで細かなところが違い、ヤマボウシの総苞片(そうほうへん)は先端が尖っているのに対して、ハナミズキの総苞片は丸みがあり、先端が窪んでいます。総苞片の美しさや育てやすさか
ら街路樹や庭園樹として人気が高く、江戸時
代には海外で観賞用樹木としても栽培されて
いたそうです。

白い花びらに見える総苞片を坊主頭と頭巾に見立てて「山法師」と名付けられたと言われていますが、比叡山延暦寺の僧兵は山法師とも呼ばれています。平安時代,比叡山延暦寺の僧兵は貴族や武士の侵略から守るために発生したがその多くは私度僧と呼ばれ無頼の輩が多かった。延暦寺日枝神社の神輿をを担いで都に繰り出し、寺社側の強硬な態度で無理やり要求を押し通そうとしたことが長い
間続いた歴史がありました。時の白河法皇「賀茂川の水、双六の賽、山法師これぞ
我が心にかなわぬ物はなし」と嘆いたと言われました。

我が家のヤマボウシは、寒い冬の間は葉を落とし暖かな陽を窓一杯に入れてくれましたが今年も白い笠をつけて咲き始めました。花ことばは友情です。みどりの風と共に庭一杯に山法師の白装束姿を見せてくれる今、メジロが来てヤマガラ・尾長・・・と続いて初夏が訪れます。


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時を超えた美しさの秘密

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな髪であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、
何度でも再出発することが出来ます。
誰も決して見捨ててはいけません。

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に
助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気がつきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるために、
もうひとつの手は他者を助けるために。

女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、
その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるものでもありません。

女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。

女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。

                     サム・レヴェンソン  米国の作家、教師


 この詩はサム・レベンソンさんが孫娘の誕生日に贈ったものと云われています。
また オードリイ・ヘップバーンがこよなく愛した詩と云われておりますが、彼女は女優業の他にも、ユニセフの親善大使として世界中の貧困地域の援助に尽力もされたことでも知られています。
世界的なコロナ感染の拡大中ではありますが気分転換のお役に立てればと思い載せました。

  令和2年  皐月            八 大














 穀雨 と晩春

 たくさんの穀物を潤す春の雨のことを「穀雨」と云いますが春の花を早く咲けとせきたてるように降る雨に見立てた「催花雨」とも呼ばれるそうです。春の雨についてこんな表現が出来るなんて日本人の感性は素晴らしいの一言です。

この時季これと並んで私の好きな言葉に「晩春」があります。春の終わりを表す陰暦三月の異称でもあります。先日古い映画「晩春」を見つけたので軽い気持ちでクリックしましたら二時間弱・・・これが名監督・小津安二郎の大傑作と云われた作品で、原節子、笠智衆、月岡夢二のお歴々のお出ましだった。作品は「父と娘」の嫁ぐ娘と父親の複雑な心情を描いていることで,昔からその評判は聞いていたが見る機会がなかった。その簡単なあらすじを紹介します。

早くに妻を亡くしそれ以来、娘の紀子に面倒をかけてきた大学教授の曾宮周吉は、紀子が婚期を逃しつつあることが気がかりでならない。周吉は、妹のマサが持ってきた茶道の師匠・三輪秋子との再婚話を受け入れると嘘をついて、紀子に結婚を決意させようとするが、男が後妻を娶ることに不潔さを感じていた紀子は、父への嫌悪と別れの予感にショックを受けてしまう。マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する。紀子が嫁いだ晩、一人家に残る心を決めた周吉は、人知れず孤独の涙を流す。

昭和を代表する小津安二郎という名監督の作品ですがその評価は今に語り継がれていおり、日本映画の作品で一番に挙げるとしたら「晩春」を挙げる人が多くいます。こういうと年齢が分かりますが見た後にその余韻がしばらく残りますね。

 令和2年  卯月        八 大 








 接骨木(にわとこ)

 栃木、那須地方に接骨木と云う地名がありました。それは子供の頃に父親に連れられて親類のお宅にお線香を上げに行った事があった。帰り際にクモの巣状に開いている白い花を見つけたので名前を聞くと、それはにわとこ(接骨木)と云う名前だよと教えられたことを今でも鮮明に覚えている。怪我をして骨折した時に副木をして応急処置をしたことから付いた名前だと云われている。


昔は骨折した場合の治療には、ニワトコの枝や茎を黒焼きにして、ご飯粒と食酢を入れて練ったものを患部に厚く塗り、副木をあてて押
さえて熱をとったと言う。そう云う治療法があったことから、折れた骨を接ぐ薬草という意味で、接骨木(せっこうぼく)という漢名がついたと言われます。

名前の由来は、ニワトコ(庭床)からきていると言われ、古い時代には幹を薄く削って削り花(けずりばな)を作り、祭儀に供えたと言います。現代でも削り花は小正月に飾る風習があると言います。また家を新築するときには庭先に祭壇を作り削り花を飾り神事を行ったと伝えられています。

落葉低木、樹形は下部からよく分枝し高さは5M位になり柔らかい感じである。花は春のこの時期に今年の枝の先端に白く小さな花を多数つけ,夏には暗赤色の果実をつける。若葉の時期にその葉や茎を山菜として食用にしたり、利尿剤として用いられていた。

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 山吹

 晩春のこの時期黄色い花を咲かせるのが落葉低木の山吹です。十年ぐらい前に栃木の「星野の里」で蕎麦を食べていると店の主が出て来てこちらへ来てよと手招きをしてくれました。のこのこ付いて行くと裏庭の藪の中に白い山吹が咲いていました。

これが珍しい「白い山吹」だよと自慢げに話してくれました。これは俺の宝物だよと自慢されていたのを思い出しました。黄色い山吹色は江戸時代までは大判小判を単に「山吹」と呼んでいたそうです。時代劇に出て来る場面で懐から大判を出してかじって見せている姿を思い起こしました。

ご存知の太田道灌の話
上杉氏の家宰(かさい)であった太田道灌
が鷹狩に行ってにわか雨に遭い、あばら家に駆け込むと少女が出てきた。道潅が少女に蓑を貸して貰えないかと尋ねたところ少女は黙って山吹の花一輪を差し出した。道潅は怒って帰りその近臣の一人にその話をしたところ、その者が「後拾遺集」にある後醍醐天皇の皇子の和歌に「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」と云う歌があることを伝え、「その娘は蓑一つない貧しさを山吹にたとえたのでしょうか」と云いました。

その後の話
その話を聞かされた道潅は己の無学を恥じ
、この日を境に歌道に精進し人の心の中を
理解できる人になっていったそうです。

物語の舞台になったと云われる山吹の里は
埼玉県の越生町周辺と云われ、最近では町
おこしのブームもあり賑わうそうです。

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 牡丹

 「白牡丹と云えども紅ほの香」 高浜虚子

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 と美人の姿を現す言葉にもなっている牡丹は清の時代には中国の国花でもあった。新年を祝う花として中国の上流階級ではとりわけ珍重され花海棠と共に最も愛好されている花であります。

四月に入った今頃から六月にかけて咲く花の王様と呼ばれる牡丹は奈良時代に中国より渡来したもので弘法大師が持ち帰ったものとの説もあります。最近では季節に関係なく花が咲かせているのを見かけますね。古名ではフカミクサとも言われて、その花の福々しさを表したもので、花王,白王獅子、大極殿などといろいろな種類があります。花言葉としては「王者の風格」「風格のあるふるまい」と云う、まさに花の王者ですね。

日本へは奈良時代の聖武天皇の時代に渡来し吉備真備が唐からの帰途これを持って帰ってきた云われ最初は漢方薬として渡来したもので、本来はその根と皮の煎汁を腰痛、関節炎、解熱剤、止血剤等として用いられた貴重な漢方薬であったそうです。平安時代の頃からは観賞花として愛されて来ており江戸時代には愛好家が競って品種改良も相まって牡丹文化の全盛となって今に至っているそうです。

牡丹散って打ちかさなりぬ二三片  与謝蕪村
白牡丹鰐をあらわにくずれけり   飯田蛇笏
灯のうつる牡丹薄く見えにけり   正岡子規


 令和2年   卯月       八 大












 新型コロナウィルス  の言葉

太陽コロナ
此のところコロナウィルスのお陰で耳慣れないカタカナ言葉が聞かれて記憶するのが大変です。何とかならないのと、ブツブツ独り言を云っているこの頃です。
本来コロナとは、太陽の外層大気のもっとも外側にある、100万度を超える希薄なガスの層であります。太陽コロナと呼ぶこともありますが普段は見ることは出来ません。子供のころガラスの板にロウソクでススを発生させ、皆既日食を見た思い出がおありでしょう。最近ではコロナグラフと云う器具を使うことで観測が出来るそうです。

太陽神の元祖であるコロナの名が最近ではすっかり悪役の
名になってしまい世界中の人々を苦しめており困ったもんです。
そのウィルスに関する気になるカタカナ言葉が新聞紙上をにぎわせています。どうしてこうも簡単に外来語を使ってしまうのかと思いませんか?。最近特に恐怖をあおるような外来語の氾濫が気になっておりますが私なりに突き止めてみました。

その原因の一つは、パソコン語の普及により古来からの日本語がカタカナ(外来種)に押されて駆逐されて来ている途上ではないかと危惧しております。
もう一つは日本語の退廃と言葉による印象操作ではないかと思います、それは日本語による過激な言葉をカタカナ語にすることによってその意味を、より柔らかに伝えられるという印象操作ではないかと考えましたが如何ですか。

 最近のカタカナ言葉を拾いました

 クラスター
コロナウィルス 1
もともとはブドウの房の意味だそうです。群れ、集団、集落のことで集団感染のことを云っています。以前にアフガニスタンやイラン等で紛争が続きその時にクラスター爆弾が話題を呼びました。大きな爆弾を打ち放すとその中にある複数の小型爆弾が炸裂することで広範囲に被害を拡大させてしまう。無差別に殺傷する能力が高い非人道的な兵器であるとして最近は使用禁止の声が出ています。

 バンデミックス
感染症が世界的に複数の地域で同時に大流行することを「感染大爆発」と云いますが、現在まで人の世界でのバンデミックを起こした感染症は天然痘、インフルエンザ、エイズなどのウイルス感染症、ペスト、梅毒、コレラ、結核、発疹フスなどの細菌感染症、原虫感染症のマラリアなどがあるそうです。


オーバーシュート
コロナウィルス 2
検索すると新型コロナウイルス感染に関することで、感染者の「爆発的な拡大」を指す言葉として行政やマスメディアがこぞって使っている。本来こうした事態を表すには「アウトブレイク」(感染爆発というよく知られた言葉があるのに何故、わざわざ「オーバーシュート」を使ったのか?
元々は金融・証券の用語だと言われたそうで有価証券の価格の行き過ぎた変動を云うそうです。その時の適正な基準から離れたときにオーバーシュートと呼ばれ相場が過熱した今がその時です。時間経過と共にいずれは修正されて行きます。

 ロックダウン
英語の「lockddwn]からきている言葉で「都市封鎖」と云う意味合いで使われています。具体的には「対象エリアの住民の活動を制限する」ことで外出禁止などがその例です。
東京都でロックダウンが行われた場合、スーパーやコンビニなどから生活必需品がなくなってしまう可能性があります。「近隣住民による買いだめ」→「店舗の在庫がなくなる」→「都外からの物資供給が滞る」といったケースか考えられるからです。ただ、一人一人が必要以上に商品を買いだめてしまうと、他の住民が困ることになりますのでそれはやめましょう。


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 浄源寺(枝垂れ桜)

岩槻の浄源寺は近くの皆さんご存知の花の寺として有名なお寺さんです。小生もここの枝垂れ桜を知ってから10年以上も鑑賞に来るファンの一人です。
今年も咲いてくれましたが、でもチョット今年の様子は違います。昨年迄は裾を引きずるような枝垂れの姿が見られません。何故でしょう?

お寺の坊守さんに聞きましたところ、昨年庭の手入れをしていて方丈さんとのやり取りで車の出入りの際に気になるので裾の方を少し詰めてくださいと頼んだそうですが。庭師さんがハイ分りました・・・と。その結果がこの通りでした。

昨年まで見られていた方は皆さんから多くの苦言を戴いたそうです。春風に揺られて裾を引きずるような様子は何とも言えない趣がありました。ここまで詰められたとは・・・お釈迦さんでも思っていなかったので
はと云っても後の祭りでした。覆水盆に返らず、あと
三年待ちましょう。

墓地の入り口周辺にはお寺さんの好みでしょうが、端正に手入れされた木々や草花たちが私は此処よ・・
ばかり季節の順番を待ちながら開いてゆくその姿を見
ると、お守りして下さるお寺さんの愛情が込められて
いることが伝わって来ますね。


浄源寺縁起には平家の士、曽我兄弟の話から始まりま
すと書かれておりますが開基は不詳ながら約650年を遡ると言われておりましす。現在の住職さんは25代目に当たる長い歴史を持っておられるとのことです。

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 急須 (きゅうす)

 私の古くからの友人で趣味が高じて陶芸作家となった人が居られる。毎年銀座周辺のギャラリーを会場にして展示会をやっておられるが、その作品は急須一筋であり、まさに急須に魅せられた男であります。会社を定年で退職後全くの素人から始まり繊細で手の込んだその作品は円熟味を帯びた今ではプロフェッショナル。

先月久しぶりに歓談をしながら手作りの作品を眺めて話を聞かせて戴いたが屈託のない笑顔からは苦労の話は一言も聞かれなかった。
急須とは乾燥させた茶葉を入れ湯を注いで茶葉が開くのを待ち、香りを楽しみ茶碗に注ぐものですが、出来上がったその作品は絵柄・色彩・デザインから受けるその印象はただ素晴らしいの一言であります。

本体と一体化した取っ手が、注ぎ口から見て向かって右側に突き出ているものが多いが、取っ手が真後ろにある物や、取っ手がなくて「宝瓶」(ほうひん)と呼ばれる急須もあります。宝瓶は通常の急須と比べて開口部が大きく、ぬるめの湯を入れる宇治茶などに通常使われています。

急須と土瓶の違いは持ち手部分の造りが違いますが、急須は横向きに棒状の持ち手が生えるようになっています、土瓶は蓋のあたりから、上向きに弦状の持ち手がついているのが特徴です。土瓶の方が大容量で持ちやすい形状と云えます。また急須は湯温はが70~80度°Cで淹れる日本茶向けに造られている一方、土瓶は本来直火にかけてつかうものだったそうです。そのため熱湯の中で煎じる番茶や中国茶、漢方薬などに適しているのが特徴です。


また湯沸かしに用いられているやかんは、漢字で「薬缶」となりますが、元来は薬湯を煎じるための器具でありました。そのため容量が大きくなっています。急須も土瓶も英語ではティーポットと呼ばれている。

「急須」は何故きゅうすというのか?
急須の原型は古代中国に発明され、茶を飲む習慣がある文化圏では古くから使用されてきたそうです。中国の唐音から「きびしょ(急焼、急尾焼)」と呼ばれ、急焼の「焼」は湧かすの意味があり「急に湧かす」からこの名があったそうで中国語読みで「キッスヤウ」が「キッス」または「キウス」となったと言われているそうです。日本では江戸時代の後期に上方から江戸に伝わったものでその音にあて字をして「急須」となったと推測されるそうです。

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 オキザリス

 三軒先のお宅の庭先に黄色い雑草がさいている。その名はオキザリスと云い日本ではミヤマカタバミと呼ばれる在来種でありますが世界に広く分布しておりその種類は外来種が帰化したものを含めると800種類もあるそうです。その形はロゼット状のものや、低木状のもの、地中に球根(宿根)を持つもの、多肉植物に近いものなど様々な形状があるようです。

花は夜間や雨天には閉じていてお陽様の日差しを受けて細かな花ですが盃状やロート状に大きく開きます。満開の時は株を覆うように咲く様子は見ごたえがあり人目を引きつけます。葉はクローバーのような3小葉のものが多いが、4小葉のものや5裂にになるものもあります。栽培されている物では四季咲きタイプ、夏は休んで秋から冬にかけて開花するタイプ、冬期に休眠して春から夏にかけて咲くタイプに分けられるそうで初冬から花の少ないこの時期に咲くので皆さんに可愛がられています。

この頃は近くに腰を下ろし細く棒状になっているオキザリスに話しかけると午後の陽を浴びるころには何と花びらを目いっぱい開き満足そうな姿は可愛いもので、更に夕方には花びらを閉じてとんがったまま素知らぬ顔で朝までダンマリを決めている。よく観察をして花の開く回数を調べてみると何と8日間も「むすんでひらいて」をやっていたのでビックリです、たまにはゆっくり休んでもいいのにと声をかけることも。自然の営みとは言え有難うと言わずにはいられなかった。

とは云っても雑草なのでその繁殖力は目覚ましいものがあって、安心していると蔓延られて大変なことになることもあるそうで可愛いからと安心してはいけない、近くの植物を駆逐し隅に追いやり消滅させてしまうこともあるそうです。

そう云われているうちに、春の草花たちが例年通り賑やかに咲き始める頃になるといつの間にか存在が忘れられてしまい時には畑を耕す人たちに雑草として処分されてしまうことも覚悟しなければならない。実はガーデニングを楽しむ人たちの間では大敵であり除草薬を撒かれて駆除されているのが実情でもあります。所詮私は雑草でありますから。

カタバミ 
学名をカタバミ属と呼ばれ小柄な多年草で地下に鱗茎か宿根を持つ。また真鍮の鏡や仏具を磨くためにもちいられたことから別名「鏡草」とも呼ばれた。またスペインやフランスではカタバミを「ハレルヤ」と呼ぶことで「喜び」の花言葉を持つ。
また戦国武将で有名な長曾我部氏の家紋に使われているが繁殖力が強く、なかなか根絶させることが出来ないことから「子孫繁栄」に通じるとされるために戦国大名が家紋として用ていた。

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 ビヨンドミート

 このところ「ビヨンド・ミート(beyond・meat)」と云う言葉をあちこちで聞かれたことはありませんか? 「革命的な代用肉」

アメリカ・カルフォルニア州にある会社でビヨンドミート社が開発した、植物性のお肉のことです。近年、動物愛護や環境保護、自身の健康などの理由から、ベジタリアン(菜食主義者)やヴィーガン(完全菜食主義者)を実践する人が増加しています。イギリスでは、実践する人が170万人もいるというデータもあるようです。


今、世界的に「代替肉」が大流行の兆しを見せています。代替肉とは、その名の通り、豚肉や牛肉、鶏肉といった動物の肉を使わず、植物などの別の素材で代替したものです。この代替肉について、特に菜食主義者の拡大、環境面の配慮などから、急速にその市場が拡大しつつあります。その代替肉のトップランナーというべき存在がビヨンドミートです。肉を代替しようという動きはこれまでもありましたがその構成要素は植物由来のタンパク質であるエンドウ豆、ココナツオイル、玄米、ジャガイモ、ニンジン等の素材によって「肉」に置き換える仕組みです。

さらに、ビヨンドミートは味だけではなく、見た目にもこだわっており、販売される状態はなんと生肉のような見た目となっていまり、この状態から火を通すと、肉汁のような油を出しながら褐色に色づいていくというのです。この見た目から、世界で初めて精肉コーナーに並んだ代替肉にもなったといいます。最初の感想は、これ本当はお肉じゃないのと誰もが疑ったそうです。

「本当は肉が食べたいんじゃないの?」「食べたいのに我慢してしているなんてばかじゃないの?」などと揶揄したい気持ちも分かりますが、脱肉食の動機がそもそも肉や魚が食べたくなくなったからではなく、肉の美味しさを捨ててでも諸問題の悪化に加担したくないところにあるケースも多く、これが菜食主義者が植物肉を欲しがる理由の一つだからではないかとも思われます。

肉食や畜産に関しては、これまでも現在でも様々な観点から多くの問題が指摘されており、ハーバード大学の研究チームは赤肉や加工肉の摂取量が増えると死亡のリスクが高まるとの報告もあるそうです。また畜産業から排泄される温室効果ガス削減や、気候変動や地球資源など問題、動物愛護の観点からも植物肉への移行が進むとみられる。現在のわが国も急速にその方向に進んでいくものと見られます。

ところでビヨンドと云う言葉ですが「死後の世界」「超越」「〇〇の彼方に」と云う意味だそうです。いろいろな意味を持つ単語ですが、使い方によってかなりニュアンスの違う言葉ですね。手の届く範囲ではない別の世界、向こう側から来た、遥か彼方からやって来た等を意味するニュアンスで使われるそうですが、意を介すると異次元からの来訪者とも感じられますね。

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 雨水の頃 草木萌え動く

  日本には昔から、太陽や月のめぐりを季節や月日などを知る手掛かりにしてきました。地球が太陽のまわりを一周する時間の長さを一年とするのが太陽暦です。
一方旧暦では新月から次の新月になるまでを一か月とするのが太陰暦です。明治五年に改暦の詔が出されるまで長い間したしまれてきた昔ながらの日本の暮らしの暦です。

季節には太陽暦の一年を四等分した春夏秋冬の他に二十四等分した、二十四節気と、七十二等分した七十二候という、細やかな季節を感じ取り、農業を中心とした生活を営んできました。七十二候の中には「桜始開く(さくらはじめてひらく)」や「雪下出麦(ゆきわたりてむぎいずる)」「熊籠穴(くまあなにこもる)」など、自然現象をそのまま名前にしたものが多く、生命を身近に感じることが出来るものです。

二十四節気、七十二候のその先に私は自分の言葉として雑記を加えたい。あちこちに芽吹く草花、春に先立って芽吹く庭木、初物をつまむ香気、その時の気分で記す雑記を書き留めることこれも又楽しい。

次第に和らぐ陽光の下、草木が芽吹きだすころに冬の間に蓄えられていた生命の息吹が外に現れ始めるころが暦でいう雨水の頃ですね。
気が付けば菜花の黄がそろそろ目に付くころ、花開く前のつぼみはほろ苦くその瑞瑞しさは春の走りを感じさせます。

この時期仏壇には毎年恒例のまだか細い桃の花が申し訳なさそうに活けられており隣にお雛様の来るのを待っておられる感じです。
ひな祭りには欠かせない蛤のお吸い物もこの時期食材の名脇役である、菜花との組み合わせは何処からも異論をはさむ余地はないだろう。

雨水のこの時期降る雨を、木の芽お越しと云って植物が花を咲かせるための大切な雨で木の芽が膨らむのを助けるように降るからその名で呼ばれたという。植物にとっては一雨ごとに春が来ることを感じます。こんな時にも私が日本人に生まれて良かったなあと思える季節です。


 令和2年  弥生       八 大