月と星
 昨夜の満月を見られましたか? 
この時期の星座の輝きは先月十五夜の月とは一味違って素晴らしかった。
夜半を過ぎようとする頃西の空に月輪は輝き隣りの家の屋根に沈もうとする寸前でしたが、十五夜の月より一回り小ぶりな姿で神々しく黄金の光を放っていました。東の方角には明けの明星が輝き、また頭上に目を移すと北斗七星がくっきりと見えた。
まるでその恰好は土俵の下で力水を付けているような姿に感じられた。
更に目を凝らしてみると虚空一面にかすかな光を放つ無数の星座
群がみえた。
見上げているとふと金子みすゞの詩「星とタンポポ」の一節が思い浮かんできた。
それは次のような詩です。


 

「星とタンポポ」

青いお空の底深く、
海の子石のそのように         
夜が来るまで沈んでる、
昼のお星は目に見えぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ  
  見えぬものでもあるんだよ。  

ちってすがれたたんぽぽは、
かわらのすきに、だぁまされて、
春がくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
  みえぬけれどもあるんだよ。
  見えぬものでもあるんだと。



 金子みすゞとは、26歳の若さでこの世を
去った童謡詩人。
その生涯に、500あまりの童謡詩をつ
くる。西條八十に認められながらも、夫
に詩作を禁じられたり不治の病を負った
悲しみから自殺をとげているが、我が子
が話す言葉を丹念に書き留めて言葉の持
つ神秘さや奥深さに感動していた。
もっと長く生きて詩を作りたかったに違
いないと思った。               
   
                  
                   
                    

                     平成30年11月          八大

  




 五浦の六角堂と岡倉天心

 あの東日本大震災から7年の歳月が過ぎた先ごろ五浦の六角堂に足を運びました。地震と大津波に飲み込まれた六角堂は土台だけを残して無残にも姿を消しましたが、わずか一年後に原型の復旧がなされ白波の打ち寄せる断崖に再建され前の姿と変わらず依然として波の音の中に威容を見せていました。錣吹風を感じさせる赤い腰回りの六角堂は小さいけれど外海に向かって威容を誇っています。
 天心がここに座って太平洋を望み東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、国際的な視野に立って活動した姿が思い起こされます。

 すぐ近くに茨城県天心記念五浦美術館がありますが日本近代美術の発展に大きな功績を残した岡倉天心の偉業は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め美術運動家として大きな功績を残しました。その活動には、日本画の改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館の日本美術部長を務めるなど、目を見張るものがあります。
 
六角堂 また天心は明治の初め新政府の神仏分離令によって廃仏毀釈が盛んになり多くの仏像等の美術品が破壊されたり、海外に流出される事を憂い古美術品の保護に関心を持ったそうです。その頃アーネスト・フェノロサとの出会いから、明治17年法隆寺夢殿を開扉し、秘仏であった救世観音像に出会えたことは「一生の最快事なりと云うべし」と熱く語っていたそうです。このような文化財保護に関する調査保護活動は「古社寺保存法」に反映され現在の文化財保護法制定に受け継がれ今日の文化財保護の礎
になっています。

 天心は晩年、思索と静養の場として太平洋に臨む五浦に居を構える一方、横山大観、菱田春草、下村観山ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。以後、天心は亡くなるまでこの五浦を本拠地として生活していました。

                  平成30年11月            八大