雨水の頃

 雨水とは、降る雪が雨へと変わり、氷が溶けだすころのことで、昔からこの季節は農耕の準備を始める目安とされていました。東北の地方では「雪代(ゆきしろ)」とも云われ、雪が解けて川に流れ込む水のことを雪解とも云いました。春の暖かな日差しの中まだ残っている雪の間を勢いよく流れる川の流れを見るだけでも、チョット元気になれました。

その頃には野山のあちこちに「蕗の薹、タラの芽、うど」などの山菜類が新芽を出し天婦羅や御浸し、和え物にして食べることが出来る良い季節でもあり一番楽しい季節でもあります。けれども最近スーパーで買える山菜は季節に合わせて出荷できるように育てられているようで、味が淡白で私が育ったったころの苦みが少なくなっているように感じるのが残念ですね。       

チキナー(からし菜)の話 からし菜を使った豆腐料理が美味しかったことが頭に浮かびました。それは沖縄に行ったときに辛子菜の一種である島菜(しまなー)に、島豆腐といろいろ炒めたものを戴きましたが香辛料の辛みが効いていて素朴で旨い味でした。寒いこの時期に食べると東北の田舎の山菜を思い出             しますね。

春一番 (キャンディーズ)

 雪が解けて川になって流れてゆきます

   つくしの子がはずかしげに顔を出します

     もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか

           風が吹いて暖かさを運んできました

             どこかの子が隣の子を迎えに来ました

               もうすぐ春ですね 彼を誘ってみませんか

この時期、おなじみキャンデイーズの歌「春一番」ですが歌詞を見ただけでリズムが思い起こされつい口ずさみたくなりますね。この歌から春が始まるようで何となく浮かれ始まります。春ってみんなが待ち焦がれた季節なんですね。 

 令和3年  如月         八 大


                                                     

幌墓(ほろはか)

 春日部の市内を流れる古利根川沿のに銚子口と赤沼地区の境に、幌墓(ほろはか)と呼ばれるところがあります。この地で亡くなった侍(さむらい)を供養するため嘉永7年(1854年)に建てられた石碑があります。此の石碑が「幌墓(ほろはか)」と呼ばれるのは、亡くなった武士が幌と呼ばれる防具を身に着けていたことからと云われています。

その由来として石碑には次のような事が書いてあります。昔この地で命を落とした武者を村人が葬リ塚を築きその後、幌墓と呼ばれるようになりましたが武者の名前も古い話のために伝わらず忘れられて行きました。ところが嘉永7年ごろ、この塚の周辺で闇夜に怪しい光が出る人魂を目撃したと云う噂が広がり村人が怖がったそうで、これを聞いた銚子口の名主が武士の魂を鎮めるために石碑を立てて供養をしたと云います。

その薄い線刻をたどると石碑には「武士(さむらい)の家のしるしや雉子の声」と、武者にちなんだ俳句が刻まれております。本文に続いて、葛飾蕉門(かつしかしょうもん)という俳諧一門の人々が寄せた句が12句彫られており、18世紀中ごろから19世紀にかけて市域で盛んになった俳諧文化を示す資料としても貴重なものだそうです。

処は桃屋工場の裏手にありますが、土手を上がると浅瀬でありますが古利根川の川幅が広がりを見せ長閑な景色が何とも言えません。不思議な伝承を聞くことが出来ました、私も故人の冥福を祈って合掌!

 令和3年 如月         八 大







寒ざらし蕎麦


 寒中のこの時期にしか味わえないお蕎麦があります。その名を「寒ざらし蕎麦」と云いましてその呼び名は聞いているものの季節もので中々その時期に出会うことが出来ませんでした。昨日久しぶりに野州栃木の山中に分け入ってその寒ざらし蕎麦を食べに行ってまいりました。指折り数えると30年来の贔屓の蕎麦屋さんで処は出流山満願寺の門前に店を構える福寿屋であります。

ご存知、坂東の17番札所である満願寺は徳川家康が江戸城修築の時にここ野州の白土を使用し、その効果が良かったので幕府の御用以外には諸大名の使用を禁止したと云われている。それ以来,石灰の産地となったと云われております。山路の途中には山肌を真っ白に覆った石灰工場がそびえたっておりこの先にお寺さんがあるとは思えません。

ここ福寿屋はこの地域の玄蕎麦から自動製粉により本来の味と香りを最大限に味わえる挽ぐるみ粉を使用し、田舎手打ちで名物の盆ざるそば「一升打ち、五合打ち」の大盛りを食べることが出来ます。また季節の山菜の時期に天ぷらと共に食べると一層引き立てられ、そば通の御仁には満足この上ない境地であります。

そばは秋に収穫されますが、その頃になると店先に「新そば入りました」のチラシが張られていました。寒ざらしとは秋に収穫した玄そばをを冬の厳寒期に冷たい水につけ、これを寒風に晒すと余分なアクや渋みが抜けて、甘みと風味が増し舌触りがよくなります。この製法は江戸時代に徳川家にそばを献上するために考えられた手法と云われ旨さの違いが分かります。

 令和3年 如月        八 大

立春大吉

 昨日は立春を迎えました、今年の冬は例年になく寒い日が続きますねとの挨拶が交わされていましたが心から待ち遠しかったですね。そんな中最近ほとんど見かけなくなったものに「立春大吉」のお札があります。春先に蕾がしぜんと花開くように、天地自然の正しい神気を戴き万民に福をもたらすと云われる縁起ものです。「春が始まる節目の日」

私達の生命は正しい生命秩序を維持することにより、終わりのない連続的な生成発展を遂げて行きます。「歳」の生命は四季ごとによみがえり、草花や樹木は後の世に命を残します。人もまた親から子に継ぐことにより、命は子孫に受け継がれていきます。新春の光に新たな光を授かり、草花の息吹と共に力強く歩みを続けます。

暦の上では春になりました、今年くらい皆が待ち望んでいた歳はなかったのではないかと思います。憎きコロナめ! 東風(こち)吹かば匂起こせよ・・・と歌に詠まれる東風とは春風を云いますが何で? 春風というのは南から吹く暖かい風のはずなのになぜ東風と呼ぶのかと思いませんか?。それは元々暦の七十二候が中国から渡ってきたことの名残であります。中国で親しまれる陰陽五行の思想で、春は東を司るから東風と呼ぶそうです。

「東風吹くや 耳現るゝ うない髪」                             春風が吹き、幼い子のうなじのあたりで束ねた髪が風にそよいで耳が現れます。

 令和3年  如月          八 大  







立春大吉。。