牛蛙の話

子供の蛙
 昨日の朝、植木に水撒きをしていると大きなバッタのような生き物が茗荷の林に入ったのを感じた。飛ばないで歩いているように見えたので用心深くその林を掻き分けて見るとなんとそれは子供の「牛蛙」ではありませんか。体長は3㎝位で水にぬれたような輝きを持った姿で小さいのに動きは鈍くのっそり・のっそりと移動する姿はあの子孫に違いありません。

牛蛙と云われるのは何でかな・・?と思って調べてみました。 体調15㎝前後の大型のカエルで、「ブォー・ブォー」と牛みたいな鳴き声からウシガエルとと名前が付いたと云われます。ヨーロッパでは皮を剥いた後ろ足が美味しいことから古くから食用ガエルとして養殖されていたそ         うですが、原産地は北米ロッキー山脈の東部に分布しているそうです。

福ちゃんらしき蛙
大正から昭和の初めにかけて農家の副業として養殖が奨励され腿肉の缶詰が米国やハワイへ盛んに輸出されてたそうです。太平洋戦争が始まると一旦止まりましたが終戦と共に貿易が再開されると輸出商品として再び脚光を浴びました。昭和25年ごろの最盛期には冷凍マグロに次いで年間3億円もの貴重な外貨を稼ぐ程であったと云います。けれども昭和44年に米国が牛蛙の腿肉の中に農薬(BHC)が残留していることが問題となりその後は輸出が終わってしまいました。

戦後、私達の年代が育ったころでは牛蛙を食用にしていた話がありましたよ。田舎の年寄りたちが田んぼの畦道で頭にカンテラを付け、食用ガエルを火バサミで捕まえて網の袋に入れて帰る姿をよく見かけました。その当時としてはお酒のつまみを兼ねて貴重なたんぱく源であったと聞かされました。              今では浅草の仁丹塔近くに下手物商品を扱う「福ちゃん」と              云う店が営業をしていましたね。

話が大きく横道にそれてしまいましたが、古利根川縁で独特              の「ブォーブォー」と低音の響きが聞こえる事を待ってます。

 令和4年 文月          八 大









福ちゃん登場 

 今年の梅雨入りは平年より一日早く6月の6日でしたが、梅雨明けは何と6月27日と22日も早い梅雨明けが発表されました。そうすると暑い夏が長引くことが予想されましたが、早くも長雨が続いたのでこれは「戻り梅雨」であると・・俳句の季語にはもあるそうですが衣装合わせに苦慮しますね。長引くコロナ禍を心配する我が高齢者の多くは早々と3回目のワクチンを済ませて構えていたところ4回目のワクチン接種の通知がありました。時を同じくして第7波の襲来と云われ、まだまだ緊張感は続きますね   

今年の福ちゃん
ここ八丁目でも大雨に備えて側溝の掃除くらいは思っている処へ「ヒキガエルの福ちゃん」が今年ものっそりと来てくれました。昨年より少し小振りになった感じですがあの縞模様からして間違いはなさそうです。軒下の茗荷の林の中に入って居心地を確かめているようです。昨年は3匹も揃って顔を出してくれましたがどうなる事か、取り敢えず深めの大皿を埋め込み水辺を造って様子を見ていますが、気に入ってくれるかどうか?

翌日の大雨で洪水注意報が発令され最近にない高水位に見舞われましたが、ここ春日部市内では「首都圏外郭放水路」の恩恵を受けて何の被害も受けず過ごすことが出来ました。けれども近隣の市町村では被害が見受けられたところもあったそうです。この異常気象(温暖化)は世界的に起きているようでアルプス山脈で大規模な氷河の崩壊が報道にありました。遠い国の事とは思わず日頃から災害に備えることが要と               思います。

 令和4年 文月          八 大

博多祇園山笠

櫛田神社
 正式名称は櫛田神社祇園例大祭と云われ、古くから博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている櫛田神社のお祭りです。七百年を超す伝統を誇り毎年7月1日から行われる福岡を代表するお祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。掛け声の「おっしょい」が有名ですが、なんと云っても15日のクライマックスは「追い山笠」です。

博多祇園山笠フィナーレ
早朝から「櫛田入り」し5分おきに境内を出て約5㎞のコースを懸命に走り抜け「廻り止め」と呼ばれるゴールを目指します。走りながら担ぎ手が交代するので一つの山笠に数百人の男たちが群がり走り続けます。櫛田入りと、廻り止めをそれぞれタイムが計測されるので山笠同士のスピードが勝負になります。熱気むんむんの山笠めがけて樽に入った水をぶちまけられる様子はまさに男の世界です。

社伝には757年(天平宝字元年)伊勢の松坂にあった櫛田神社を勧請したことに始まるとされ御祭神である大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられるが平安時代末期、平清盛が所領の肥前の国、神崎(佐賀県神埼市)の櫛田の宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説が有力です。その後戦国時代に交配しましたが1587年(天正15年)豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営されたと云います。

山笠の収納

話は変わります 二十数年前に櫛田神社をお詣りをした後、偶然にも永六輔さんのラジオ放送が流れていて「かろのうろん」の話がありました。聞いているとすぐ近くなので看板を探して入ると3時を過ぎているのに8割の込み具合でした、博多っていうところは凄いところなんだと思った。「かろのうろん」とは「角のうどん」のことで博多の老舗うどん屋さんの事ですが、本当に旨いうどんでした。いろいろと能書きはいりません本物の美味しさを味わいました。今でもその味を思い出せます。

 

令和4年 文月          八 大