こうもり傘   

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蛇の目傘

  童謡「あめふり」で、お母さんが蛇の目傘で迎えに来てくれる様子ですが、私が70年前の小学生時代は当時番傘という時代で紙製で竹の骨で作られたものでした。梅雨の時季どうしても厄介にならなければならないのが傘であります。それでも和傘に対して金属の骨組みの黒い洋傘を「コウモリ傘」という事は子供のころから知っていました。
私達が育った時代、母親が雨の中で迎えに来るようなことはなく濡れ鼠で帰った覚えがありました。



傘とは何ぞや
昔の番傘
「傘」とは雨、雪、などが降水時に体や持ち物を濡らさないために使うほか、夏季の強い日射を避けるために使うことが多い。日光などが体に当たらないように、頭上に広げ差しかざすもので柄をすえて開閉が出来るようにした「さしがさ」に対して「笠」は頭部に直接被って使う用具である。またガーデンパラソルやマーケットパラソルなど携行を目的としない特殊な傘もあり、これらは地面に立てたり吊ったりして用いている。  

日本書紀には百済の聖明王の使者が552年に欽明天皇へ憧幡(旗・天蓋)を献上したことが掛けれている。当初は主に日射を避ける「日傘」として用いていたが、その後日本独自の構造的進化も見られ降水に対して使うことが多くなっていった。中国は古くから天蓋式の傘が発達し日本へは百済を通じて伝来したようです。
蝙蝠
その後江戸時代に竹細工や製紙技術の進歩と共に紙製で竹の骨、竹の柄の和傘が作られ、日傘も同じ時期から一般的になった。ヨーロッパでは傘の使用が一般化したのは 17世紀ごろと云われている

洋傘を「こうもり傘」ともいうが、こうもり傘の語源に関しては、「傘をかぶる」が「こうむる」となり、これを語源とするなどの説もあるが、幕末にペリーが来航した際、持ち込んだ洋傘を「その姿、蝙蝠(こうもり)のように見ゆ」と比喩したことから生まれたという説が最も有力である。


洋傘の話


貴婦人の日傘
傘が使われ出したのは約4000年ほど前と言われ、エジプトやペルシャなどの彫刻画や壁画に残っている。ギリシャでは祭礼のときに神の威光を表すしるしとして神像の上にかざしていたと云われ天蓋から傘は発達したと云われておりますそのころの傘は開いたままですぼめることはできなかったようで傘が一般的に使われ出したのはギリシャ時代に貴婦人たちが日傘を従者に持たせて歩いている絵が残っているようです。


フランスでは1533年にフィレンツェのメディチ家のカトリーヌ王女がアンリ王子に嫁いだ時に伝えられたと云われています。また17世紀のフランスでは、街中で2階から投げ捨てられる汚物(糞尿)を避けるために女性には傘が必需品だったことが史実と
して云われています。

コウモリ傘
イギリスでは18世紀の頃に現在のものが開発されましたが、当初は太陽から肌を守るために日傘として開発され、雨の日は傘をさす習慣がなく濡れることは苦にしなかったそうです。(当時のイギリスの気候は霧雨程度が多かったようで、紳士が雨の日に傘をさして笑われたととも言われています)けれども今ではその紳士のマネをするようになり次第に雨の日のアイテムになっています。

 雨降りお月さん

「雨降りお月さん雲の影  お嫁に行くときゃ誰とゆく 
   一人で唐傘さしてゆく  唐笠ないときゃ誰と行く
      シャラシャラシャンシャン鈴付けた
         お馬にゆられて  ぬれて行く 」
婦人用雨傘

子供の頃はカラかさ(唐笠)あるいは番傘、和傘でしたが唱歌にも歌われていましたね。


  


  令和2年   水無月       八 大


 今日は父の日だって?

 このところ父の日なんて言われると、私の時代ではどこかむず痒く感じて正面から捉えていませんでしたが、毎年6月の第3日曜日に決まったのは1980年ごろから一般的な行事として始まったと言われています。母の日は1949年5月の第2日曜日に制定されていましたから30年近く遅れて始まったんですね。

仏教で親の恩を10に分けて「父母恩重経」があります。親の大恩十種が説かれています。その内容は概ね母親に関してのような気がします、父親には母親ほど恩を感じる必要はないと大方の人は思いますよね。そのことについて釈迦は「父母の恩の重きこと天の極まりなきがごとし」といわれているように母親も父親も、空が無限に広がっているように、限りのない大恩があると教えられています。

「人々よ。私たちは父と母に、大きな恩があることを知らねばならない。 お母さんが懐胎されたとき、母親も大変ですが父親も実は大変心配している。 なぜなら、私たちがこの世に生を受けたのは過去世の力を因として、父母をとしてのことである。父がいなければ、生まれることはできなかったし、母がいなければ、育つことができなかった」ということです。(父母恩重経)

仏の教えは人間に生まれたときしか聞くことが出来ません、親がなく人間に生まれることができなければ、仏の教えを聞いて迷いの解決をすることもできないので、両親には、大変なご恩があります。人間に生まれてよかったという生命の歓喜を獲て、その無上の喜びからこの身になれたのも、両親が人間に産んでくれたお陰であったと、親の恩を知らされるときには報わずにおれなくなります。
                                        
そのことを釈迦は、
「人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く。
   この身今生に度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」
                            (私のお勤めの言葉です)
生まれがたい人間に生まれ、聞き難い仏の教えを聞けた今、絶対の幸福の身になれるところまで、共に聞法精進させて頂きましょう。

 令和2年  水無月       八 













 かたつむりでんでんむし)

 でんでんムシムシかたつむり、お前の頭はどこにある、角だせ槍りだせ頭だせと、小学校の唱歌にも歌われてきましたが、この梅雨の時季に色鮮やかに咲くアジサイ花の葉の裏にくっついているのを沢山見かけましたが、最近我が家の近くでは何故か見かけなくなりました。


かたつむりについての名称は他にデンデンムシ、マイマイ、蝸牛(かぎゅう)などがあり、その語源はいろいろある。

かたつむり は笠つぶり説、潟つぶり説がある。「つぶり」は古語の(つび)海螺)で巻貝を意味する。
デンデンムシ 子供たちが殻から出ろ出ろとはやし立てた「出ん出ん虫」(でん」は出ようの意である説から。
マイマイ はでんでんむしと同じように子供たちが舞え舞えとはやし立てたことに由来するとの説がある。
蝸(かぎゅう)語源はその動作や頭の角がウシを連想させたためとする説があります。

カタツムリが殻から出たらナメクジになるという事はないそうで、殻が大きく壊れてしまうと死んでしまいます。

その昔上野駅の正面に営団地下鉄本社ビルの最上階にハイカラなフランス料理を出しており、エスカルゴを食べる機会がありました。ソムリエの話を聞くと主な生産地はフランス、スペイン、イタリアで養殖が盛んに行われ専用のブドウ畑で寄生虫がつかないように衛生的に管理されている・・云っておりました。当時の私にはもの珍しさが先に立っていただけで美味しいという感覚はありませんでしたよ。私にとっては貴重な体験でしたが。



♯  でんでん虫々 かたつむり     
    お前の目玉は どこにある
     角だせ槍(やり)だせ頭だせ     

♭  でんでん虫々かたつむり
    お前の頭は どこにある
     角だせ槍だせ 目玉だせ

令和2年  水無月       八 大

















 1001匹の家族 が加わる我が家

 昨日の朝、我が家にスズムシが冬眠から覚めてモヤモヤモヤと湧いてきた。その数は1000匹以上?・・と思えるがそれは雲霞の如しと言いますが物凄い数です。こんなにたくさんのスズムシが生まれることの驚きは三年ほどなかったが今回は異常に思えます、コロナからのプレゼントかも知れない。

飼育は非常に簡単で、餌はナスやキュウリを主に与えるが、鰹節や虫の死骸をなどの動物性のタンパク質を与えると、共食いも防げるそうです。プラスチックの水槽で簡単に飼育が出来ます。土を敷いて時々スプレーで湿度を保ってやることが重要です、餌の減り具合を見ながら様子を見ていくと何回か脱皮(7回?)を繰り返し成虫となる。8月の終わりごろからリーンリーンと鳴き始めます。夜は寝床に移動して鈴の音を聴いていると何とも「コンコロモチ」が良くて風流極まりないです。

小泉八雲は虫を愛するのは日本人とギリシャ人のみだと云っていたそうですが、虫の音を聴く文化を持っているのは中国だけではなくヨーロッパなどでも虫の鳴く歌になぞらえた詩や歌があるそうです。繊細な気持ちを持っている民族がいることに愁いを感じています。日本では平安時代から貴族階級の人達が籠に入れて楽しまれていたが、江戸時代中頃より虫売りの手で人工飼育が始まり盛んに一般にも販売もされていたそうです。

1001匹目の家族は毎年現れてくれるカエルさんです。先日紹介した先輩の夫婦カエルは何処かに新居を見つけたらしく暫く会っていません。新人のカエルは大きさが5㎝位で今月になってからアジサイとミョウガの根本あたりを住処にしているらしく、時々散水をするとノコノコ出て来て気持ちがイイのか目を見開いたまま・・・やがて大儀そうに姿を隠します。たくさんの仲間と楽しい気分が味わえるのも幸せなことです。

 令和2年   水無月       八 大
































 
 蟷螂生(かまきりしょうず

 農作業の目安になる七十二候(農事暦)の中にカマキリが出て来るのは何でだろうと、いつも考えていましたが、何年か前に分かりました。それは稲や野菜には手を付けることなく害虫を捕まえてくれるからだろうと思えます。前足が鎌状に変化し、ほかの小動物を捕食する肉食性の昆虫であります。漢字では蟷螂(とうろう)と書くが鎌切(かまきり)です。鎌で切るから鎌切ですよ。

体は前後に細長く、6本ののうち前脚は大半がに変化し多数のがある。頭部は逆三角形で2つの複眼と大顎が発達しており、頭部と胸の境目は柔らかいため頭部だけを広角に動かすことができる。目玉が異様に大きく見え得体の知れない怪獣のようであるが、近寄ってよく見ると何とも可愛らしさも感じられる。毎年のようにデコポンの木に卵を産み付けていたが今年は来てくれなかった。

食生は肉食性でバッタやキリギリス、トンボ、クモ、カエル、トカゲ、ミミズなど捕食するのは生餌に限られ死んで動かないものは食べない。天敵や自身より大きな相手に遭遇した場合には、身を大きく反らして翅を広げ、前足の鎌を大きく振り上げて威嚇体制をとる。全体がもっと大きければその姿は怪獣そのものです。

韓国に「蟷螂の斧(とうろうのおの)」という故事があります。斉の国の君主だった荘公はある時馬車で出かけたが道の真ん中に一匹のカマキリがいて、逃げださず前足をふりあげて馬車に向かってきた。荘公はその勇気を賞して、わざわざ車の向きを変えさせカマキリをよけて通ったと云います。君主が一匹の虫に道を譲ったこの故事は日本に伝来し、カマキリは勇気ある虫とされた。戦国期のには、カマキリの形を取りつけたものがありました。現在の日本では意味が転じて己の無力を知らない無謀さを揶揄する場合に用いられています。

例年ならそろそろ京の都にも毎年恒例の「コンコン・チキチン」と祇園ばやしの音が聞こえて来る筈でしたがコロナ禍のお陰で、あの絢爛豪華な祇園祭も残念なことで今年は中止となりました。「蟷螂山」という山は「蟷螂の斧」の故事を元としたもので、からくり仕掛けで動くカマキリが載っていて人気がありますが、確か昨年は一番くじを引いて長刀鉾の次に巡行に加わっていましたね。
災厄をもたらす疫神を鎮めるために、町中
を練り歩いたことが始まりといわれています。

 令和2年   水無月       八 大




















 麦 秋 のころ

 麦秋って五月末なのに秋ですか? この秋の意味は麦が実り収穫を迎えるところから麦秋と呼ばれています。二毛作の農家では短い秋を過ごしてもうひと仕事となります。雨の少ない時期でしたがもうすぐそこに梅雨がやって来ます。

前回に晩春についての続きみたいになりますが、やはり小津安二郎監督の名作映画にも「麦秋」のタイトルがあります。年頃の娘を持った家族に縁談を心配をしていたら、立てつづけに結婚話が舞い込んできます。生育の早い麦は手間いらずの孝行娘のようなもの、まさに実りの秋を迎えた娘の複雑な思いを原節子が演じています。小津安二郎と云う人は素晴らしい作品を残してくれましたが監督本人は良縁に恵まれず生涯独身で一生を過ごした。

麦に関する農作業の話
もともと「秋」と云う言葉には穀物が成熟した収穫の時機と云う意味があるようです。江戸時代に季語を解説した書物「滑稽雑段」(こっけいぞうだん)の中にも、「秋とは穀物が成熟する時期であり、麦においては実りの季節である初夏が秋と云える」と云ったような内容の解説がされています。
つまり、初夏は「麦の夏」であり、稲穂が頭を垂れる9~10月ぐらいは「米の秋」と云えるでしょう。米と同様に太古の時代から日本人の生活の中で重要な役割を担ってきた麦には、「麦秋」以外にもさまざまな季語があります。
例えば「麦蒔(むぎまき)」は初冬、麦が強く育つように行う「麦踏(むぎふみ)」は早春、青々と育った様子を表す「青麦(あおむぎ)」は春、「麦扱(むぎこぎ)」「麦刈(むぎかり)」「麦打(むぎうち)」など刈り入れにまつわる言葉は初夏。
さらに、麦が熟するこの時期に降る雨を「麦雨(ばくう)」、収穫の頃に吹くさわやかな風を「麦嵐(むぎあらし)」と云います。季節の移ろいを麦にまつわる言葉とともに感じてはいかがでしょうか。

ここで麦秋と云うと忘れてはいけない言葉に「麦酒(ビール)」があります。これは麦がたわわに実り黄金色の穂をつけ刈り取られ麦芽をアルコール発酵させて皆さんに届くというもので・・・これから先は私から説明することではありません。今では皆さんが日常的に愛飲されている国民的潤滑剤である飲み物です。この話は先々のお楽しみにしたいです。

 令和2年     水無月      八 大