北帰行


 # 窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく 北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず

 夢はむなしく消えて 今日も闇をさすらう 遠き想いはかなき希望 恩愛我を去りぬ

   今は黙して行かん 何を又語るべきか さらば祖国愛しき人よ 明日はいずこの町か


北帰行(わたり)
「北帰行」という言葉を見聞きしたことがあるでしょうか。そうです「小林旭」が歌って大ヒットした静かでセンチメンタルな旋律は暗い悲哀と愁感を淡々とロマンチックに歌いあげていたころ私も十代の多感な時期でありました。そんな時南の方は明るく、北の方は寒くて暗いという、貧相で暗いイメージを持っていましたね。それ以来大人になっても胸中には今でもこの歌の余韻が残っているような気がします。

 辞書にはあまり載っていませんが、「ほっきこう」と読んで、温暖な地域で越冬した渡り鳥が北の繁殖地に移動する姿とあります。 「鳥帰る」や「白鳥帰る」は北帰行に似た意味の言葉でこちらは春の季語にもなっています。

北帰行(ほっきこう)という歌 は、日本人の歌ですよね。元の歌は、旧制旅順高等学校の愛唱歌(寮歌)だったと云います。第二次世界大戦後、歌声運動を通じて全国の歌声喫茶に広まり(昭和36年)頃には歌謡曲として大ヒットし街中の若人が口ずさんでいましたね

北に帰る準備中
その後何かの折に「北帰行」の意味とは渡り鳥が冬越しの為に日本にいて、暖かくなった時期に北へ向かう野鳥の習性をあらわしたものとあとで知りました。つまり、生々流転する自然の生態系の世界のこと。それをなぞらえたのか。

しかし、文語体の歌詞である原曲の舞台は、大東亜戦争下、外地の満州である男性が恋愛事件で退学処分になり泣く泣く日本へ帰ることを歌ったものだそうです。
その後に編曲がされて、今に至りましたが、大陸的な個性で浪々と歌うことで大ヒットした流行歌で私も好きな歌でした

 卯 月            八 大
























 

老前整理

卯月の空
老いる前に一度身の回りを見渡し、これからの暮らしを考えて物の整理と共に頭の整理をする事をやらねばとの思いが頭の中にありました。これは老いに備え 安全で快適な暮らしの準備をする事なのです。以前からそのことを暮らしのコンサルタントの先生からの提言を聞いておりました。2000年に介護保険法が開始され住宅改修やバリアフリーの進展もあり家庭においては整理が進んでいると聞いておりますが・・我が家では困ったことになっております。その原因は身の回りに物が多すぎる事です。

解決する方法は唯一つ、物を処分することです。けれども荷物の持ち主は積年の財産を引き継いでおり、もったいない症候群の人も多く年齢も同じような高齢者です。そうならない為には老いる前に一度身の回りを見直し、これからの暮らしを考えて物の整理と共に頭の整理をすることですよね。老いに備え安全で快適な暮らしの準備をしておくことです。

生まれた時から始まりその後仕事や暮らしの中で築いたり獲得したりした有形無形の物すべて、人生の区切りをつけるときに一緒に手放すことになります。それはこれからの人生を新たな気持ちでしがらみをなく、すっきりと送るために必要な事であります。

高齢者はとかく物をたくさん持ちすぎていることが多いです。おカネを稼いでいた現役時代は古くなれば「また買えばいい」と処分も出来たけれど収入が年金などに限定される老年になると、一度捨てたらもう買い戻せないという思いが出てきてなかなか捨てられなくなってくる。その結果家の中に物がどんどん溜まっていくのです。

過去の遺物の中に埋もれていたら身動きが取れなくなってしまいます。むしろ思い切って必要のないモノをそぎ落とすことで心が整理され自分が本当は何をしたいのかと考え、新しい生き方や暮らし方が見えて来るそうです。思い切って捨てる勇気を持つ事です。

その為には思い立ったら今から整理することです。何故なら始末をすることは体力と頭がしっかりしている時に始めないと決断力が鈍ってきます。本人にとっては宝物であっても他人にとっては二束三文です。亡くなってしまえば残ったものがそれを処分しなければならない、ただのゴミなんです、遺産となればトラブルの元、身内にも被害が及びますよネ。

 卯 月             八 大     

   



花に嵐の例え・・

 「花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけが人生だ・・」 あまりにも有名な唐代の詩人、 干武陵の「勧酒」(酒を勧める)と云う漢詩ですが、全体を眺めないと意味が伝わって来にくいと思いますが・・?。  

君金屈巵(君に勧む金屈の巵)   このさかづきを受けてくれ                                不須辞満酌(満酌辞するを須ひず)  どうぞなみなみと注がしてくれ                         花発多風雨(花発いて風雨多し)   花に嵐の例えもあるぞ                              人生足別離(人生別離足る)     さよならだけがじんせいだ                                                                     

嵐に耐えた古利根の櫻
なみなみと注がれた杯を、心許した友と酌み交わし、語り合う至福のときにあって花が咲いたとたんに風雨で散ってしまうように、なお人の生涯には別離ばかりが多いことだ・・と。この後は読み手の人生経験で感じるところだと思いますが、井伏鱒二が書き下ろしたもので、そちらのほうが有名になってしまっていますね。 

過日の大嵐では可哀そうな三本木公園の櫻に「よう頑張ったね・・・」慰めの思いで、見回りをすると意外や意外風雨に耐えていた様子が伺えました。三分咲きごろまでの花は勢い途中であり堪える力があったのだろうか。   嵐に耐えて頑張っている姿が何とも逞しさを感じさせますよね。                   

 

 卯 月              八 大












 

どら猫

  お魚くわえたドラ猫」                                     追っかけて素足でかけてく 陽気なサザエさん                                                           みんなが笑ってる お日さまも笑ってる、                                                            ルルルルルル 今日もいい天気 ・・・ 

お馴染みの「サザエえさん」の一節。

近所の野良猫
猫がさ迷い歩き、たぶんうろついているような後ろ姿には哀愁が漂っているよう。よく盗み食いをすると断定されているどら猫お魚くわえている咥えて毎週見られている。どら猫の立場で考えると「さまよい歩いているからと云って、盗み食いの常習犯だなんて決めつけるな!と反論したいところだ。

「どら」の項目を調べてみると、「放蕩・道楽・道楽者・のら、と接頭語として用いる」とありました。そこで思いつくのは「どうらく」が詰まって「どら」・・と。「道楽者の猫」と考えるとぴったりハマるね。どら猫をたどっていったら・・ありました。

このところ全くと云うほど野良犬は見かけなくなくなったね、けれども野良猫は相変わらず我が家の周りを闊歩している。いじめる人がいないので堂々と欠伸をしながら堂々と歩いていますね。

 野良猫(のらねこ)とは、人間の生活圏に生活するネコのうち、特定の飼い主が存在しない無主物で、屋外で生活しているネコである。野良猫の多くは間接的に人間生活に依存している。単に「野良(ノラ)」や地域によっては「どら猫」と呼ばれることもある。


 卯 月             八 大


独活(うど)

山独活 good

季節は「清明」の頃に入りました。一年で一番清々しいこの時期に子供の頃、祖母に連れられて近くの山に入って「山独活」や「蕗の薹」を取りに行ったことを思い出しました。

山の独活は多年草の山菜の一種で新芽は柔らかくシャキシャキとした食感が爽やかな味がします。若芽柔らかく新鮮味があり古くから食用としてのフアンも多い。炒め物や和え物、サラダ、煮物、味噌汁の具材などとして使用されております。私は生のままで味噌を付けてビールと共にかじる食感はグッドだ!

独活の中には、天然もしくは日光に当てて栽培する緑色の「山うど」と、完全に遮蔽して栽培されている全体的に白っぽい色合いの「軟白うど」の2種類がありますよね。

「独活の大木」 日本の諺(ことわざ)に「独活の大木」と呼ばれる言葉があります。外見だけは立派に見えるが実際には中身が弱く役に立たないものや人を指す日本のことわざです。これは「独活の大木、柱にならぬ」や「独活の大木、蓮木刀」「独活の大木、杖にもならぬ」といった言い回しにも見られ、これらの言い回しは、見た目の良さと実際の価値や能力とのギャップを強調しています。「独活の大木」とは、見た目の良さだけが取り柄で実質的な価値や強さが伴わないものや人を指すことわざです。  残念では有りましたが「戦艦大和」もそうですよね!


 卯 月             八 大







蛇足(だそく)

蛇 口
「蛇足ですが」 と、仕事上で用いられる言い回しあります。「必要ないかもしれませんが」「言うまでもないことですが」「余談ですが」という意味で、余計な情報だけれども相手伝えておきたい時に活用できるへりくだった表現で使われていますよね

「蛇足」とは、一般的に無駄なもの」「あっても役に立たないもの」という意味で使う場合「だそく」と読むのが正しいですよね。しかしながら「蛇足」は「の足」という意味で使われる場合は「じゃそく」と読むそうです。

「蛇足」と云う言葉の意味については 、中国の楚の国の諺(ことわざ)で蛇の絵を早く描く競争をした時に最初に描き上げた者が,ないはずの足まで描いてしまったために負けたと云う故事あります。多分この画家は夢中で書いているうちに蛇ではなくて龍だと錯覚してしまい足までつけてしまったと云う、、、。あっても何の役にも立たないもので、無用の長物でもあります。

龍は空想上の動物だから誰も本物を見たことがなかったでしょう。おそらく画家は龍を描くときに蛇に足や髭が付いたものを想像したのではなかったのだろう。龍は画題に於いては定番だったはず、そそっかしい画家は描き慣れていたのだろうか。

話は変わりますが、私は以前に水道の蛇口はなぜ蛇の口と書くのか考えたことがありました。あちこちに龍神伝説が残るように水の神様は龍であり、水道というのは水源から水を引いた端末でもあります。龍の子供みたいな蛇に守ってもらうということらしいが?。神社やお寺などでは蛇ではなく龍の口から水が出るようになっているところもありますよね。中国では蛇口を水龍頭と云うそうです。                                                                                              

「蛇口の由来」

蛇口(じゃぐち)は、その形が蛇に似ているから付いた名前ではない。日本で初めて水道が開設されたのは明治20年の横浜で、道路のわきに設置された共用栓から水が供用されてたそうです。当時の共用栓はイギリスからの輸入品でヨーロッパで水の神であるライオンが水道の口に取り付けられていたのです。日本で共用栓が作られるようになると、日本や中国の水の守護神である龍のデザインが用いられ、一時は「龍頭・竜頭」と呼ばれていたが龍の元となった生き物がヘビであることから「蛇体鉄柱式共用栓」と呼ばれた。やがて共用栓が付くようにな               った際「蛇体鉄柱式共用栓」の名から「蛇口」と名付けられたと云われる。

 弥 生             八 大







どら猫

野良猫の「白」
 我が家の周りには今でも3匹の「ノラ猫」が我が物顔で徘徊をする生活をしております。近所の家庭がそれとなく隠れて食べ物を補給・・しているらしい。わが家への迷惑はもう7~8年以上前から居続けており顔を合わせても隣人としての付き合いは至って平和であります。

一年中、食料の心配がないようで日頃から大きな欠伸をして何の苦労もなさそうである。サザエさんの漫画ではないけれど「お魚咥えたどら猫」として連想をされているがどら猫の立場で考えると「さ迷い歩いているからと云って、盗み食いの常習犯だなんて決めつけないでよ!」と反論されそうだよ。   

悪者になっているが、どら猫の項目を字引で引くと「放蕩、道楽、道楽者、のら」となって、それが訛って「どら」になった・・とも。「道楽者の猫」と考えると笑えるね。猫が三味線を・・? 弾かないよね。

「ドラを打つ」は「放蕩をして財産を使い果たす」。「金尽く」を「鉦撞く」ともじり、さらに「銅鑼を打つ」とかけたしゃれだとも云うと「広辞苑」にはあるよ。野良犬はいなくなったが野良猫は相変わらず多い。いじめる人もいないから、堂々と歩いている。こんな状態がいまナンですよね?


 弥 生           八 大  
























「胡蝶の夢」

胡蝶の夢
 季節は二十四節気の一つ「啓蟄」となり寒さが緩んで春の陽気になり、土の中から虫たちが動き出す頃の季節になりました。春を感じてやがて訪れて来る3月上旬から中旬にかけての時期を指す言葉で二十四節気の一つです。「啓」と云う字はひらく「蟄」は土の中で冬ごもりしている虫達のことで春を感じた虫たちや、冬眠していた生き物たちが続々と蠢き出す・・そういう春を感じる言葉ですね。

昔の人は蝶のことを「夢虫」や「夢見鳥」と呼んでいたと云いますが、その呼び名は古代中国の思想家荘子の説話「胡蝶の夢」に由来するそうです。中国戦国時代の荘子は夢の中で自分が蝶になり、花の上で遊んでいたが、夢から覚めてみると、自分が夢で蝶になったのか、蝶が自分になっていたのかわからなくて驚いたという。 

蝶になる夢を見たけれど、本当の私は蝶で今人間になっている夢を見ているだけではないか・・・という話です。夢と現実が混じりあう幻想的な蝶のイメージは昔も今も変わりありません。また此の事は人の世が儚いことのたとえにも使われていますね。 


 弥 生              八 大







































  

「ラマダン」

ミナレットの夕焼け
 今年のラマダンは3月10日~4月8日に行われる事が決まっているそうです。と云われても何のこっちゃ・・・と思われる方もおられることでしょう。50年以上前に友達が会社の移動でイランに転勤になったことがありました。世界地図を広げて探したところ・・ありました中東ペルシャ湾の最奥部にシャプールという港町でした。早速に準備を整えて転勤先に飛び立った同輩の社員を今更のように思い起こされました。                 

国民の大多数はペルシャ人ですがクルド人なども多く住んでおり、20世紀に入ってイギリスの保護国から王国へと移り1935年に国名をペルシャからイランに変更されました。その後「イラン革命」によって当時のパーレビ国王が失脚し「イラン・イスラム共和国」が誕生した。イスラム勢力が権力を握りイスラーム・シーア派の国として、日本の面積の4倍をを超える中東の大国となった。私たち西側の国に属している国民からすると分からない事が多い国です。一年間に一カ月ぐらいの期間断食をする制度がある国であります。チョット覗いてみましょう。

ラマダンとは、イスラム教徒の義務のひとつである断食(サウム)を行う月のことで、ヒジュラ暦の第9月のことです。ラマダン期間中は日の出から日没までの間、飲食や喫煙、性行為が禁じられます。また、悪口や嘘、揉め事、欲望、も断ち普段以上に良い振る舞いをすることが推奨されています。                    今      

ラマダンの起源 イスラームの聖典であるコーランは、ムスリム(イスラム教徒)の信仰の源泉で、信条の規範として具体的に実践し五行を行う。ラマダンはその 一つです。 

コーラン
「信仰の告白」 神を信じを声に出す                                    

 「礼拝」 一日5回のお祈りをする                               

 「喜捨」 富める者は貧しい者に与える                             

 「断食」 ラマダン月は日中の飲食を絶つ                             

 「巡礼」  一生に一度は聖地に行く                           

ヒジュラ暦の9月は、(イスラム教)の聖典であるコーランが、ムハンマドに初めて啓示された「聖なる月」です。そ のため、ラマダン月にこの啓示を記念して、ヒジュラの道                     中の苦難を追体験する行為として断食が行わ                     れるそうです。

ラマダンの目的 クルアーンに示された義務の一つですがムスリム皆が同じ試練を同じ時期に共有することで、信仰をより深める目的を持ちます。お金持ちも貧乏な人も等しく空腹や渇きの辛さを味わうことで、恵まれない人々を思いやり、改めて平安の有難さに感謝し、より自分を清めようとする心を養うものです。ムスリムにとってラマダンは欲望や悪を遠ざけるとても神聖な実践なのです。また家族や知人、仕事仲間と辛さを共有することで一体感を持つことも大切な目的とされています。

この月においてイスラム教徒は日の出から日没にかけて一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。また親族や友人らと共に苦しい体験を分かち合うことでムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付や施しが行われている

断食中は飲食を断つだけではなく、喧嘩や悪口や闘争などの忌避されるべきことや、喫煙や性交渉などの欲も断つことにより、自身を清めてイスラム教の信仰心を強める。ラマダーン明けの祭りには「イード アル=フィトル」と呼ばれ、盛大なものである。

最近、世界の人口が80億人を突破したそうです

 卯 月            八 大














アスパラガス

ホワイトアスパラ
 啓蟄の頃になると太陽も力強くなってきて野菜たちの成長もいよいよ出番が来たと準備を始めています。大地からすっくと立ちアスパラガスも、この時期は春芽と呼ばれ是非とも食べたいものの一つです。国産のアスパラガスは2月ごろから九州で収穫が始まり徐々に栃木・福島へ北上し6月には北海道産の出荷になってきます。

アスパラガスは、南ヨーロッパからウクライナ地方が原産地とされています。古代ギリシャ時代から栽培され、ヨー             ロッパに広がりました。日本には江戸時代にオランダ人に             よって主に葉を楽しむ鑑賞用として伝えられました。食用             としては大正時代に北海道で栽培が始まりました。

グリーンアスパラ

アスパラガスは、タマネギやネギ、ニンニク、ニラと同じユリ科の多年草で、古代ギリシャ・ローマ時代ではすでに栽培されており特別な食材として扱われていたそうです。中世では痛風に効く薬草として重宝されていたようです。アスパラガスは寒暖差が大きい気候が美味しく、北海道での生産が特に盛んで道央の上川地方が主産地となっており、名寄市、美瑛町、富良野市などで多く収穫されています。

当初は欧米への輸出用缶詰に使うホワイトアスパラガスが始まり            であったが、その後は国内でも消費されるようになり、昭和の中            頃以降はグリーンアスパラガスが主流となった
製品として出荷
現在では生のホワイトアスパラガスや調理しやすいミニアスパラガスなどが店頭に並んでいる。

栽培法の違いで、土寄せして軟白栽培した白いものをホワイトアスパラガス(白アスパラ)といい、それに対して土寄せせずに日光に当てて普通に育てた緑色のものはグリーンアスパラガスという。グリーンアスパラガスを早どりして市場に出回るものは、全体に細くて長さも短いのでミニアスパラガスとよばれている


 啓 蟄             八 大




辛抱と我慢

 「我慢」と「辛抱」の違いは何だろうか? 

公園橋の河津桜
我慢は自分がしたくないことや嫌なことを堪えること。                 辛抱は自分の為や人の為に自らの志したものを実現するための 努力をする辛さ。                 

すなわち、人から押し付けられたものであれば苦労ですが、自分が先頭に立って人の為、自分の為に困難を克服しなければならなくなれば苦労とは思わなくなりますよね。

我慢と辛抱の違い                                『辛抱』は? 将来の明るい結果を実現させるためにこらえたり耐え忍ぶこと。       それに対して、『我慢』は ?   言葉の通り。我慢(われまん)ずることです。 本当はやりたいのに止めておいたり、こらえたりすることですが人によって色々な考え方がありますね。今の時代でも『辛抱』を積極的に取り入れていくことを若い人たちに取り入れていくことが必要で大切なことであると思っております。

コロナ過が一段落しているように見えていますが少しでも前向きな言葉、「我慢」よりは今の現実を乗り越えたら、と明るい未来を考えながら、「辛抱」しながら向き合っていきたいと思っております。コロナ禍に対しても、少しでも前向きな言葉で「我慢」よりは今の現実を乗り越えたら明るい未来があるよと、「辛抱」しながらも向き合って行きたいと思います。常にポジティブ!どうせ生きるなら人生楽しく・・ね。

【我慢と辛抱の違いについて】

我慢は 嫌なことただただ、堪えること。(不満の気持ちが残る)                      辛抱は 好きなことをする為に堪えること。(その先に希望の光が見える)

我慢という言葉には 不満や我儘の気持ちが含まれる。                辛抱という言葉には 希望思いやりといった気持ちが含まれる。

我慢は 気持ちが人に向かっていく。                         辛抱は 気持ちを人と共有されていく

我慢は いずれ限界がきてしてしまう。                        辛抱は かならずや果実となっていく

我慢は ネガティブな言葉。                             辛抱は ポジティブな言葉

「我慢の先には 不満 しかないが・・・、辛抱の先には 希望 の光がある。

 

 弥 生           八 大


 

 

 




黒石寺の蘇民祭

如月の頃
千年以上の歴史がある伝統行事、岩手県奥州市の奇祭、黒石寺蘇民祭(こくせきじそみんさい)が17日夜に開かれた。御利益があるとされる「蘇民袋」を上半身裸で下帯姿の男衆が奪い合うことで知られています。関係者の高齢化や担い手不足を理由に今年で最後となるそうです。 

2008年にこんなことがありました。奥州市が蘇民祭の観光ポスターを駅構内などで貼り出してほしいとJR東日本に依頼したところ、「裸の姿が不快感を与える恐れがある」と断られ全国的に注目を集めた。

 蘇民祭は五穀 豊穣 などを願い、護符が入った麻袋(蘇民袋)を下帯姿の男衆が奪い合うクライマックスの蘇民袋争奪戦で知られている。今年の争奪戦はコロナ禍を経て4年ぶりに行われた。午後10時過ぎから約1時間、200人以上の男衆らが勇ましい掛け声を上げながら押し合い争奪戦を繰り広げると、境内は湯気が立ち上るほどの熱気に包まれていた。


10年程前に黒石寺を訪れたことがありました。門前の入り口にこじんまりとした池があり階段を上がってお参りをして境内を一巡り、そこに草むしりをしていた女性現る。何気ない立ち話から寺の庵主さんであることが分った、人口減少が進み檀家さんの都会への流出、今年はお葬式が3件しかなく寺の維持にも困惑しているとのこと、そして都市への人口流出・・・など。

お喋りが2時間以上続きましたが問題は檀家離れだそうです。今すでに結果が表れてきて延々と先祖から引き継いで来た檀家さんが離れて都会に新しくお墓を建てていく家族が多くなっている。現在、将来を含めて悩むことが多いそうです。昨年のお葬式は僅かの3軒だったそうです。どうしたら良いでしょうと云われ困ったことを思い起こしました。

如 月             八 大


立春大吉

「 立春大吉」と云うお札を見たことはあると思いますが立春と云う、季節の変わりめには邪鬼が発生すると考えられていました。古くからこの時期は万物変化が激しく不吉で、邪気が発生すると云われていました。この事から節分で豆をまいて邪気が発生すると考えられていた。


立春大吉と云う文字は左右対称で縦書きにすると表からも裏からも同じように見えます。一度くぐったものの、まだ入ってない家があると勘違いしてそのまま門をくぐって鬼は外に出て行くという。こうして、立春大吉は邪気を追い払う縁起の良い言葉として門に貼るお札になっています。

お正月のしめ飾りに東北地方では「蘇民将来」という言葉を書いていることで除災招福になると言い伝えられているものもありますが、このような説話から今でも生活に深く根差した文化が見られています。

万が一、悪い鬼が家に入ってきても、外から見えていた立春大吉と同じ文字が読めて、「まだ家の外だったのか」と勘違いして外に出て行ってしまうという言い伝えから、「立春大吉」の文字が厄除けとして使われるようになったと言われます。

節分とは季節の分かれ目・区切りを示す日。もともと「立春・立夏・立秋・立冬」の前日」が節分の日でしたが、今では立春の前日が『節分』として残っています。

節分の日付が変わるのには、この「立春」が関係しています。そもそも立春とは、日本で春の季節が始まるとされる日。現在では、太陽の位置によって決められ、「太陽黄経が315度の時刻が立春」と、国立天文台で定義されているそうだす。

地球が太陽を1周する時間は、1年(365日)とぴったり同じではありません。
そのため、今年2021年には、「立春」の時刻が2月4日に入りきらず2月3日になったため、立春の前日である「節分」も2月2日に移動したと云います。


 如 月           八 大