ローズガーデン?

 春日部市、牛島駅を過ぎて豊野方面に向かっていていると中華レストランの向こうに花束が見えたようだったので立ち寄ってみた。大きな屋敷の庭一杯にそれはそれは見事な花が溢れるばかりに広がったローズガーデンともいえるお庭でした。お見事!

お花の好きな人に話を聞きますと、多くのお花は来年の花の為に手入れをして摘み取ってしまうと云いますが・・・その方法もありですかね。
入口の「お知らせ」には明日からその手入れをすると予告が表示がありました。
チョットだけ覗いて̪̪シャッタ~を押させていただきました有難うございました。
お庭の持ち主に拍手です。パチパチパチパチパチ!





















 令和2年  皐月       八 大

 ヨシキリ( 利根の川風~ヨシキリが・・・ )

 今、古利根川を歩くとこんもり繁った葦の中からギギギと泣き叫ぶオオヨシキリの鳴き声がギョギョシ、キチキチ、ゲゲゲと好き勝手に大騒ぎ、漢字では「行行子」と書かれます。繁ってはいるけどあんな細い葦につかまって風に吹かれても俺はこんな風に吹かれてもヘイッチャラダだよっと。

空に向けて真っ赤な口を開けたオオヨシキリの雄, お気に入りのソングポストでにぎやかにさえずります。 美声とは言いがたいですが、きっと自慢の歌声なのでしょうね。 縄張りを確保するため巡回して大きな声で鳴き続けるオオヨシキリですが、昼間だけでなく夜間にも鳴いているそうです。 小さな体に秘められたパワーすごい体力ですね。 

多数がさえずっていると暑苦しいしうるさいと思うこともありますが春のこの時期に繁殖し、冬季には熱帯の地域に渡って行きますが何と云ってもこの時期が繁殖に時期で、数本の葦を束ねてお椀型の巣を作り一夫多妻でオスの周辺にメスが巣を作りハーレムの主に収まっています。カッコウに托
卵させることでも有名ですね。

ヨシキリの話が出たら「天保水滸伝」
三波春夫で一席唸りたくなりましたね。

#♭ 利根の~利根の川風ヨシキリの 声が冷たく身をせめる
     これが浮世か~見てはいけない 西空見~れぇ~ば
             江戸へ江戸へひと刷毛 あかね雲

「滸」は「ほとり」の意で、『水滸伝』とは「水のほとりの物語」
という意味です。

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 牛(うしがえる)定家葛


 コロナウイルス緊急事態騒ぎの中で冬眠から目覚めたと思われる、牛蛙(うしがえる)の夫婦が顔を出した。「暫くぶりですねご機嫌は如何ですか・・・やっぱりコロナのことが気になるのかな?」昨年の4月末顔を合わせて以来だから一年ぶりの再会でした。すぐ目の前が古利根川なので時々遊びに来てくれるが流石にここでは鳴いてはくれない。

のっそのっそと重たそうな巨体を引きずるように蹲の水を飲んで物陰に隠れて行きました。その大きさは15㎝~20㎝位になりますが、そのキョトンとした可愛らしい目を見ると今年も会いに来てくれたことを嬉しく思います。かすかに聞こえたその鳴き声の背景には今まさに定家葛の香りと共に穏やかな時間が流れており、しばらくその光景を眺めていました。やがて、あの独特なブオー・ブオーと云う声が聞こえるのも待ち遠しく思います。

水草の繁茂する流れの緩やかな河川、沼、湿地などに生息する蛙であるがその行動は夜行性で警戒心が強く中々見つけることは難しい。でも我が家にきてくれる牛蛙さんはここ十年ぐらいは毎年来てくれるので楽しみにしておりました。夜行性で強い警戒心により日中も暗所を好むため、しばしばアシの茂み、岸辺の土管や暗渠などに潜み水中から目鼻のみ出して外敵が近づくと跳躍して逃げる。夜間は上陸したり継続的に鳴くなど、活動がより活発となるようです。その鳴き声は「ブオー、ブオー」というもので、和名の由来にもなっている牛蛙の声は非常に大きく3百メートルぐらい離れても聞こえ、時に騒音として問題になるほどである。

食性は肉食性で水中、水面、陸上、いずれでも捕食行動が出来ると云い、日本ではカマキリ、バッタ、トンボ、ヤゴ、ゲンゴロウ、タガメなど何でも食べてしまい、また水面に落下して動けなくなった昆虫なども餌となるため、死骸であっても目の前に落ちてくるとものは何でも食べてしまうそうです。繁殖力も旺盛で5月から9月にかけて5,000~60,000個の卵を水中に産む。幼生の状態で越冬し翌年の夏にオタマジャクシから蛙の状態に変化して他の水場に移動していく。

食用とされることもあるため、食用ガエルという別名を持つ。皮をむいた後ろ足を食用とし、世界各地で養殖されている。味は鶏肉に似ており脂質はほとんど無いため炒め物やフライとして食べることが多い。フランス料理店や中華料理店を除くと日本ではいわゆる「下手物料理」を出す店でしか見ることが出来なくなっている。

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 アマビエ

  アマビエって聞いたことがありますか? 最近新型コロナウイルスのことでネットの中でよく出てきますが、その正体は半人半漁の妖怪であります。その正体は海中から光り輝く姿で現れその年の豊作や疫病などに関する予言をすることで知られているそうです。その名前は尼彦(アマビコ)や海彦・尼彦入道などと呼ばれています。

いつ頃から出現したのかははっきりしたことは不明であるが年代が特定できる最古の例は天保15年に越後国に出現したアマビコの記述があるそうです。また福井県の図書館にはその挿絵が描かれており頭からいきなり3本の足が生えた胴体のない姿で人間のような耳をし目は丸く口が突き出ている姿だったと言われていたそうです。

いまコロナウイルスの騒ぎの中、西洋の一説では海の生物にはすべて予知能力があるとされ、海から半人半漁のものが現れて予言を告げる伝承も珍しくもないことから、アマビエを人魚の一種とする見方もあるそうです。ただし、人魚の予言を不運の前兆と解釈する説がある一方、アマビエは予言のみならず疫病を防ぐ能力を持ち合わせていたことが、一般の人魚の予言と大きく異なり、妖怪と云うより神に近い存在とも言われていたそうです。

今回のコロナウイルスの大流行は大変な事態であり、防疫上の事由で人の物理的交流も経済活動も大幅な自粛を余儀なくされている。このような社会情勢においては「疫病退散にご利益があるというアマビエの力を借りようとしてアマビエのイラストをみんなで描こう」との発想から護符としての拡散が見られているそうです。絵を見せることで疫病が収まるといいなあとの思いから子供たちの間でも人気があるそうです。妖怪にお願いなんて・・・聞いてくれるのかな?

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 ヤマボウシ

 15年ぐらい前だったと思いますが赤城山麓の原生林を切り開いて建てたという俵萌子さんの美術館に立ち寄ったことがあった。小さな館内には絵画や陶芸作品が品よく並べられており作者の思惑が感じられます。その屋敷の正面には真っ白い笠を被ったヤマボウシの大木が繁っていました。木々の間からは小川がゆっくりと流れており異次元の時間が流れているようにさえ思えた。

ヤマボウシ(山法師)は、日本から中国・朝鮮半島に分布する落葉高木で、日本では沖縄・九州・本州の山地に自生し、大きくなると10メートル以上の高さに生長します。ヤマボウシとハナミズキを混同する人が多いですが、ヤマボウシは日本が原産なのに対して、ハナミズキはアメリカからの外来種です。見た目や性質も似ているようで細かなところが違い、ヤマボウシの総苞片(そうほうへん)は先端が尖っているのに対して、ハナミズキの総苞片は丸みがあり、先端が窪んでいます。総苞片の美しさや育てやすさか
ら街路樹や庭園樹として人気が高く、江戸時
代には海外で観賞用樹木としても栽培されて
いたそうです。

白い花びらに見える総苞片を坊主頭と頭巾に見立てて「山法師」と名付けられたと言われていますが、比叡山延暦寺の僧兵は山法師とも呼ばれています。平安時代,比叡山延暦寺の僧兵は貴族や武士の侵略から守るために発生したがその多くは私度僧と呼ばれ無頼の輩が多かった。延暦寺日枝神社の神輿をを担いで都に繰り出し、寺社側の強硬な態度で無理やり要求を押し通そうとしたことが長い
間続いた歴史がありました。時の白河法皇「賀茂川の水、双六の賽、山法師これぞ
我が心にかなわぬ物はなし」と嘆いたと言われました。

我が家のヤマボウシは、寒い冬の間は葉を落とし暖かな陽を窓一杯に入れてくれましたが今年も白い笠をつけて咲き始めました。花ことばは友情です。みどりの風と共に庭一杯に山法師の白装束姿を見せてくれる今、メジロが来てヤマガラ・尾長・・・と続いて初夏が訪れます。


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時を超えた美しさの秘密

魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな髪であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。

物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、
失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、
何度でも再出発することが出来ます。
誰も決して見捨ててはいけません。

人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に
助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気がつきます。
ひとつの手は、自分自身を助けるために、
もうひとつの手は他者を助けるために。

女性の美しさは 身にまとう服にあるのではなく、
その容姿でもなく、髪を梳くしぐさにあるものでもありません。

女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。

女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものではなく、
その本当の美しさは その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、
その美しさは、年を追うごとに磨かれていくものなのです。

                     サム・レヴェンソン  米国の作家、教師


 この詩はサム・レベンソンさんが孫娘の誕生日に贈ったものと云われています。
また オードリイ・ヘップバーンがこよなく愛した詩と云われておりますが、彼女は女優業の他にも、ユニセフの親善大使として世界中の貧困地域の援助に尽力もされたことでも知られています。
世界的なコロナ感染の拡大中ではありますが気分転換のお役に立てればと思い載せました。

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