案山子(増田新田)

 増田(新田)の中の一本足の案山子 ♯ 天気の良いのに蓑笠着けて・・・  

  真夏日の今日、春日部市増田新田の田んぼの小道に大勢の案山子が勢ぞろいして私を迎えてくれた。地域の村おこしの為に地元で活躍しておられる仲間たち(彩幸17期等・・)が寄り集まって製作されたいずれも力作が並んでいました、長閑な雰囲気がいいですね。今年はコロナ感染症対応の為自粛が叫ばれており・・?その結果が作品の多さに現れたものと思われます。  

「かかし」の語源は「嗅がし」ではないかと云われます、かかしは大切な稲作を守るために、古くは髪の毛や魚の頭などを焼き、串にさして田んぼのあぜ道に立てて、悪臭で鳥や獣どもを追い払っていたことから「かがし(嗅がし)」と呼ばれたものがかかしとなったものと云われています。

民間習俗の中で「かかし」は田の神の依り代(山の神)であり悪霊を祓う効用が期待されていたようで、蓑や笠を付けることによって神や他の地域からの来訪者であることを示しているとも云われます。見かけだけは立派だが、ただ突っ立っているだけで何もしない人を「かかし」などと評価することがあるが農耕社会全体からすると間接的には地域共同体の保護者であるとも言えるのではないかと思えます。


もうそろそろ、私達もただ突っ立ってばかりいないで自由に歩きたいですね!そう云っていたら今埼玉の感染者は1,036人の知らせがありました。


令和3年  文月         八 大  





蓮の花

 春日部市内牧にある黒沼公園ではピンクとホワイトの「蓮の花」が見事に開花しており、見学者が朝早くから多く訪れシャッターを切っておりました。日本では花と云えば「桜」と云われますが、お国柄インドの国民は蓮の花が大好きです。

蓮の花は日本では古来から「はちす」と呼ばれていたようで、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのが通説で「はす」はその転訛と云われ漢字では蓮の字を当てています。また蓮の花と睡蓮を指して「蓮華」と云い、仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の知恵や慈悲の象徴とされ様々に意匠されている。如来像の台座は蓮華をかたどった蓮華座であり、厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしています。仏教と共に伝来し古くから使われた名前であります。       

インドは蓮華が大好きな国です。涼しさの象徴であると同時に清浄さの象徴でもあるからです。仏教徒は蓮華を大切にします「お釈迦様は「蓮の生き方に人としての生き方を学びなさい」と云いました。蓮がどのような場所に咲いているのかをイメージしてみると気高い山の上でもなく、綺麗な花畑でもなく、泥の沼地であります。その場所が嫌だと云って逃げ出したりせずに、その沼地にしっかりと根を張って泥の中から養分を吸収し立派な美しい花を咲かせます。


蓮の花 パート2

未開敷蓮華(みかいふれんげ)                                      観音様が手に持っている一輪の花は「未開敷蓮華」と云われるもので今にも咲きそうな蓮の蕾を表現したもので、悟りを約束されながらも菩薩として働く観音様の姿を現しています。また修行を経て悟りを経た状態を開花した蓮華を意味するのが「開敷蓮華」であります。

蓮と睡蓮の違い                                   生育初期の段階では、どちらも水中から芽を出して「浮き葉」となりますが、睡蓮の葉がそのまま水に浮いているのに対して蓮は上に向かって高く伸びる「立ち葉」が特徴で、長い茎をのばした花の姿からは独特の気高さが感じられます。また、蓮の表面にツヤがなく円形状であるのに対して、睡蓮の葉にはエナメル上性の光沢があり、大きく切れ込みがはいっているという違いもあります。

蓮と睡蓮の色の違い                                仏教経典の「魔訶般若波羅蜜経」には「白蓮華(びゃくれんげ)・紅蓮華(ぐれんげ)・青蓮華(しょうれんげ)・黄蓮華(おうれんげ)」の4種類が記述されている。その中でも特に仏教で重要視されているのが煩悩に穢されることのない清浄な仏の心を表わす「白蓮華」と、仏の大悲から生じる救済の働きを意味する「紅蓮華」(ピンク)で、いずれもお釈迦様の故郷で咲いていた「蓮」です。

一蓮托生

「一蓮托生」は仏教で死後の世界観に由来する言葉であり、もともとは一つの同じ蓮の花の上に生まれ変わり身を寄せ合うと云う意味合いがあります。生前に功徳を積んだ者は死後に極楽浄土へ行き、一緒に神聖な蓮の台座の上に座れるという考え方を、一蓮托生と云った。一蓮托生は「結果の良しあしに関わらず行動を共にする」という思いを込めて用いられる言葉でとりわけ行動を共にする相手にその意思を伝える場面で用いられることが多い。


 令和3年 文月       八 大






天寿国繍帳

 聖徳太子1400年遠忌にあたる今年特別展が今、国立博物館の平成館でで開催されています。日本に仏教を広めるとともに、憲法十七条や冠位十二階などそれ以降の歴史の礎となる事業を推し進めた聖徳太子です。これを記念したゆかりの展覧会が開かれております。それぞれの全てが国宝級でありますが、中でも中宮寺からの天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)は1,400年を経過している刺繍であります。

日本最古の刺繍遺品として知られていますが、もとは縦2ⅿ、横4mの2帳だったが現在は残片を寄せ集めて80㎝四方のみになっています。聖徳太子が亡くなった後、太子に逢いたいという妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)の願いによってつくられた帷(とばり・カーテン)の断片であり太子が往生したという天寿国の様子が緻密な刺繍によって表されております。制作された後は本堂に保管されたようですが鎌倉時代に発見されるまで法隆寺の蔵に眠っていたそうです。

その内容は百個の亀甲が刺繍され亀の甲には一個に四字ずつ、都合四百文字で刺繍造顕の由来が示されていました。幸いに銘文の全文が「上宮聖徳法王帝説」という本に書き留められており、3人の画家と監督した人名前まで書かれていました。

年齢を経るにつれ曼陀羅(絵)は破損していき現存するものは往時のほんの一部にすぎませんが、紫羅の上に白・赤・黄・青・緑・紫・樺色などのより糸をもって伏縫の刺繍が施され繍帳は鮮麗な色彩を残しております。七世紀中頃の染色技術、服装、仏教信仰などを知るうえで貴重な遺品と云えます。

天寿国とは阿弥陀如来の往生する西方極楽浄土のことであります。

 令和3年 文月        八 大



     

 

天王祭(八坂神社)


今朝(11日)は八坂神社の例大祭で車に乗った山車がふれ太鼓を伴って通り過ぎて行きました。これから子供たちを伴って我が八丁目地区内を練り歩く予定です。 毎年の行事でありますが昔は賑やかだったよと、立ち話をしながら振り返っている古老が今年もこれから雷が鳴って梅雨明けの知らせがあるでしょうと。

八坂神社は京都祇園社の素戔嗚尊が祭神でありますが、神格化され牛頭天王(ごづてんのう)は疫病をもたらす悪霊を鎮め退散させる力を持っていると云われています。牛頭天王に対する信仰は平安時代から続いており、山鉾や花笠を繰り出し支柱を練り歩いて鎮際するようになった。これが京都の祇園祭の起源でもあります。

備後国風土記では素戔嗚尊に擬していますが平安京八坂の祇園社近くに祀られていたのが御霊信仰と習合して疫病除けで知られるような祇園信仰となりました。当時も多分新型コロナのような疫病が大流行したので御霊会(霊を鎮める)が行われたと思います。そこに蘇民将来伝説が載せられたので重なって行きました。疫病を水辺に追放することから水神の性格も重なったことで水神祭とも云われるところもあります。

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素麺(そうめん)

 そうめんはもう茹でないで下さい! と名古屋の飯屋の旦那から言われた。 深めのフライパンにお湯を沸騰させ、そうめんを入れて10秒だけかき混ぜたら火をすぐに止めてフタをするだけ。数分後にはちゃんとそうめんになっています! 沸騰させ続けるよりもヌメリが少なく、つるんと美味しい仕上がりに何より、暑くないのが良いですよ。ビックリ水はいりませんよ!「嘘だと思ったら試してください」

子供の頃、母ちゃんが真夏のクソ暑い台所で吹きこぼれないように鍋の中をジッと見つめながら私に云ってたよ「吹きこぼれないように見ていなさい」・・・と。そうは言われても分かっていながらついつい吹きこぼれてしまいガス台のまわりがべちゃべちゃになって叱られたことありました。それでも汗を拭きなが氷水でさわし薬味や具材を入れた素麺の清涼感がたまりませんでした。

そうめんの由来 日本の発祥地は奈良時代に、天武天皇の孫である長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡に「索餅(さくべい)」の文字が記録されております。原型はもち米と小麦粉を細長く練り合わせたものを油状に揚げたもので中国唐時代の菓子として現在でも神饌としてお供えされております。そうめんの原型と考えられているそうです。

「流しそうめん」 竹製の樋を使ってそうめんを流し、途中で待ちかまえ箸で捕まえてめんつゆ等に付けて食べる。この流し素麺は、夏の風物詩とされている。昭和の30年代に宮崎県高千穂峡にあるお茶屋さんが店頭に「元祖流しそうめん」の看板を掲げていたと云うのでここが発祥の地として石碑を設置しているそうです。

また「そうめん流し」 回転式そうめん流し器という円卓テーブル上を円環する樋に水圧で水流を起こしそうめんを流しを箸ですくい食べる装置です。箸を用いてめんつゆ等を付けて食べるもので、これも5~6年遅れて鹿児島県の指宿の唐船峡の地で発祥したと云われています。非常にお手軽でコンパクトにできているため自宅での人気があるそうです。

江戸時代には七夕の時期(七姐節)に、そうめんを供え物とする習俗が広がってようで、細い長い麺を糸に見立て裁縫の上達を祈願したものでもありました。

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祇園祭

 京都の八坂神社の祭礼で日本三大祭りのひとつとされていま
山鉾巡行
すが、九世紀から続く夏の風物詩であります。過去に数回物見遊山で行った事がありましたが素晴らしいお祭りですね。かつては祇園御霊会といわれ日本全国で疫病が流行したときに、平安京の神泉苑で六十六ヵ国にちなみ六十六本の鉾を立て厄災の除去を祈願したことが始まりでした。

祇園祭は七月一日から一か月にわたり開催されますが中でも十四日から十六日にかけての「宵山」十七日の「山鉾巡行」「神輿渡御」がハイライトであります。その夕刻から、四条河原町から四条烏丸なで歩行者天国になり、各家々も屏風や家宝を美しく飾って展示し華やかさに色を添えます。浴衣に雪駄で歩くと気分も晴れやかになれます。

山鉾巡行が始まると交差点で行われる方向転換の「辻廻し」は巡行の見どころであります。各山鉾はそれぞれ10トンもあると云われ、水で濡らした竹の上を滑らせて転回させます。夕方からは三基の大神輿が八坂神社を出発しそれぞれ所定のコースを巡行し御旅所へと向かいます。昼間の優雅な巡行とはうって変わって千人を超す男たちに担がれた神輿は勇壮そのものです。

その後も花笠巡行や各種奉納が行われ後の祭りまで七月いっぱいお祭りが続きます。
(昨年に続き今年も残念ながら中止、或いは規模の大幅縮小となってしまいました。)
一刻も早くコロナと云う災厄から抜け出しいつもの
生活を取り戻したいものですね。

 令和3年  文月        八 大