沈丁花(じんちょうげ)

 この時期何処からともなく沈丁花の香りが漂ってきていましたが、今年は何と多くの皆さんがマスク姿が目につきますので匂いを感じない人もおられるかとも思われます。そうですコロナウイルスの話題で世の中持ちきりですね。けれども微かではありますが香って来ておりますよ。沈丁花が咲けば、いよいよ花の季節のスタートです。

高浜虚子の句に
「娘(こ)の庭を 仮の住まいや 沈丁花」があ
ります、親と子の関係が読み取れていて私が昔から好きな句の一つです。その虚子の実子の娘さんが星野立子でやはり沈丁花の句を詠んでおります。
「一歩行き 一歩戻りて 沈丁の香」
「沈丁花 どこに春かと 足を止め」 

沈丁花は中国南部からヒマラヤを原産とするジンチョウゲ科、常緑性の低木で室町時代の中ごろに日本へと渡ってきたようです。2~3月にピンクや白の花を咲かせることから春の季語としてよく詠われています。葉は先端がとがった楕円形をしておりつぼみは濃紅色であるが、開いた花は淡紅色でおしべは黄色で強い芳香を放つ。

金木犀(キンモクセイ)や梔子(クチナシ)と共に、三大香木として古くから親しまれて来たように花が咲くと甘い香りは香水としても利用されており、気分を落ち着かせる効果もあるそうです。

名前の由来 
調べてみると沈丁花と云う名前は、香木の「沈香」のような香りがしてクローブというスパイスで知られる「丁子(ちょうじ)」に似た花をつけることに由来するそうです。

 令和2年  如月      八 大
















 お水取り

 古都奈良に春の訪れを告げる東大寺二月堂のお水取りが間近かに迫りました。東大寺お水取り修二会は天平勝宝4年(752)東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠和尚が創始された。以来,一度も切れることなく今年で1269回目を数えるそうです。修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要と云いますが、十一面悔過とは、私たちが日常に犯している様々な過ちを二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔することを意味します。 

修二会が創始された古代では、国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民豊楽など、人々の幸福を願う行事とされた。
この法会は現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もともとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会と云う意味を込めて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。

お水取りでは本行を行う練行衆の道明かりとして、大松明を持った童子(どうじ)が練行衆に付きます。その為お水取りはお松明(たいまつ)とも言われています。お松明は本行が行われる3月1日から14日まで行われ、12日・14日以外は19:00に大鐘が撞かれ、それを合図に行われます。ちなみにお水取りのお松明は通常10本だが、12日は11本になります。12日は通常の松明(長さ約6~8メートル・重さ約40キロ)よりも大きな籠松明(長さ約8メートル・重さ約70キロ)が用いられるそうです。

また12日の夜、お水取りの井戸は閼伽井屋と云う建物の中にあり二月堂との間を三往復してお香水が内陣に納められるもので、そのことからお水取りと呼ばれています。大松明から飛び散る火の粉によって映し出された光景は寒い中でしたが30年以上もたった今でも鮮明に思い起こすことが出来ます。

 令和二年  如月         八 大












 八幡平の冬ごもり

 東北の名峰岩手山の麓に抱かれた八幡平(はちまんたい)の地は、小生が還暦を過ぎたころから仲間と連れ立ってこの時期恒例になっている冬ごもりの地でもあります。今年の冬は異常気象の暖冬と云われますがその中でも最たるもので雪の量が少なく道路の地肌が見えるという嘗てない異常であります。

この周辺には八幡平リゾートスキー場をはじめ安比・雫石・網張などの大型のスキー場があり毎年冬ごもりと称して温泉とスキーを楽しんでいました。この時期の一週間ほどは下界との交流を離れⅠ年間を振り返るというリセットの時でもあります。

今は町村合併で八幡平市となっておりますが、この地、松尾村は明治の初めに硫黄鉱山として発展したのが始まりで嘗ては雲上の楽園として東洋一の硫黄鉱山として短い期間ではありましたがその名を馳せたことがありました。

硫黄はその昔、火薬や肥料、マッチなどの製品として使われておりその生産高は国内の三分の一を誇り「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれていました。鉱山の発展と共に陸奥の荒野と呼ばれたこの地は明治の終わりから昭和の中ごろにかけては従業員15,000人余りが暮らす一大鉱山都市になって、こんな山の中ににも関わらず学校や病院、映画館を備えており鉄筋コンクリートのアパートも立てられ急激に発展したそうです。

しかし鉱山から流出する強制酸性水が公害問題となり対策として早急に中和処理施設を造って対応したが硫黄製品の需要低下により昭和の47年には閉山に追い込まれて急激な過疎化が進みました。その後今度は冬季オリンピックの開催等で急激なスキーブームの到来があり追い風を受けてはいたが長く続かず過疎化に拍車がかかっているようです。
その地に建てられた不似合いなアパートの建物は現状を残したまま廃墟となってその姿を残しています。

こんな話を聞きかじって纏めてみると何処かの国の話かと思いたいが、現実に晒されているこの地の人達を近くに見ていると何かに翻弄されているようで何とも言えない気持ちになってしまいます。一区切りついた今年で冬ごもりも卒業しようと考えている我が身です。

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 リビングウィル とは

 先週ある仲間の集まりでリビングウィルと云う大変貴重な話を聞く機会がありました。
回復の見込みがなく、すぐにでも命の灯が消え去ろうとしているときでも、現代の医療ではあなたを生かし続けることは可能です。人工呼吸器をつけて体内に酸素を送り込み、胃に穴をあける胃ろうを装着し栄養を摂取させます。ひとたびこれらの延命措置を始めたら、はずすことは容易でない。生命維持装置をはずせば死に至ることが明らかですから、医師が外したがらないことになります。「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。

一方でチューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いるそうです。「平穏死」「自然死」を望む方々が、自分の意思を元気なうちに説明・理解・同意)を書面にしておくこと必要です、それがリビングウイルです。「生前意思」とでも訳すのでしょうか。

いわば「いのちの遺言状」です。「自分の命が不治かつ末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくのです。延命措置を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和に重点を置いた医療に最善を尽くしてもらうことを望みます。もし、意に沿わなくなった場合、いつでも解約することが出来るそうです。
最近あまり聞かれなくなった言葉に尊厳死と安楽死がありますが非常にデリケートな問題なので法制化は難しく、いずれも日本国では認められてはおりません。日本でもリビングウィルと云う制度を確立して行こうとの機運が高まって来ているそうです。


 尊厳死とは 人間が人間としての尊厳 を保ちながら死に臨むことであり、インフォームド・コンセント(医師と患者との十分な情報を伝えられた上での合意)のひとつとされる末期ガン患者など治癒の見込みのない人々が、どれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生の幸福感を味わいながら迎えることである。
日本では事前に本人による指示書が準備されていても、治療を止めたことで、親族などが
ら殺人だと訴えられる可能性がある。尊厳死のための法律がないため、当事者本人が尊厳死を事前に希望しても人工呼吸器を取り外すことはできないという声が延命治療の現場では圧倒的に多いそうです。
 安楽死とは 死期が迫っている患者に耐え難い肉体的苦痛があり、患者が「早く逝かせてほしい」との意思を持っていることが明らかな場合、医師が積極的な医療行為で患者を死なせることを安楽死と呼びます。延命措置を行わないこととは、明らかに異なります。日本では患者を安楽死させた事件が有りますが、いずれの場合でも医師の有罪判決が確定しています。欧米などでは、この安楽死を合法的に認めている国・州がありますが、日本尊厳死協会は安楽死を支持していないそうです。

 令和二年  如月        八 大