櫻 (日本人の心)

吉野の櫻
満開の桜に語りかけると「この処の寒の戻りで気分が引き締まります」と桜の精が答えてくれたようで引き締まった気分が味わえました。コロナ禍のお陰で世の中肩身の狭い思いが続いておりますがキリッとした感じも良いもんですね。さくらは美しいだけではなく日本人の心の中に住み着いているように感じられます。

私の紺珠の中にあります桜のメモを開いてみます。平安時代から現代まで、桜に魅了され続けて来た日本人の心を和歌で迫りたいと思いまして・・・・。

「世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし」在原業平 世の中に桜などなければ、春は心のどかに過ごせるだろうにと云う反語的な表現で詠まれています。桜のことで落ち着かない心持ちを見事に表現していますね。

「久かたのひかりのどけき春の日にしず心なく花の散るらむ」紀友則 陽がのどかに射している春の日に桜が咲いている美しい光景が目に浮かぶ、その桜の花は「しず心なく」散って行く。自分は、のんびりと静かに桜を見ていたいのに、そんな気持ちを理解せず、桜の方はなぜ散り急ぐのでしょうか。と云う口惜しい心持ちを詠んでいます。長閑(のどか)な陽の光の中に咲き、あっという間に散ってしまう櫻は日本人にとって人間の生と死の象徴を表わしているように思われますね。

「願わくば花の下にてわれ死なんこの如月の望月の頃」西行法師の有名な歌です。釈迦が入滅した旧暦2月15日の満月の頃に」という意味であります。西行法師は桜を愛し230首もの櫻を詠った歌を詠んでいます。その桜の下で死にたいという望みを果たすかのように、実際に旧暦の2月16日桜花の下で亡くなり世の人々はその不思議に驚いたと云います。その後西行の墓の周りには多くの桜の木が植えられたと云います。日本人は昔から桜の花と共に生きてきたのです。

「年ごとに咲くや吉野の山桜木を割りて見よ花の在りかを」一休禅師の道歌として知られていますが、春になると満開の桜をまとう吉野山も冬には枯れ木のような木々が林立するばかり、花びらを隠しているのだろうといぶかって、木を一分刻みにしても桜の花は見つかりません。

 令和4年 卯月        八 大













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