棗(なつめ)の木

 朝の散歩コースの古利根川沿いに、この時期になると遊歩道に長さ2㎝位の茶色い実が沢山落ちている。拾い上げてよく見るとそれは棗である、見上げると青い実、赤い実が枝に沢山実っており熟れた順に落ちて来たらしい。
 原産地は中国から西アジアにかけてであるらしく日本への渡来は奈良時代前かららしいが和名では夏に入って芽が出ることから夏芽と云ってたらしい。

 乾燥させて砂糖漬けを菓子にしたり韓国では薬膳料理で知
られるサムゲタンの材料に使われるほか欧米ではキャンデイの材料になっている。
 棗の木と云うとすぐに思い出すのは日露戦争で日本が勝利し旅順降伏文書の調印が行われた処が、旅順郊外の水師営で民家の庭に棗の木があり当時の軍歌にも歌われていたことである。今でも記念館として残されており乃木大将とステッセル将軍を中心に11人が記念写真に写されているが、全員が帯刀をしている写真が世界中に配信されると「さすが武士道の国、日本は敗戦国の軍人にもサーベルを持たせての撮影を許している」との評価で日本が再評価されたことが当時の新聞に載っていたと祖父から聞きました。
 古い話で歳が分かると云われるでしょうが、世界に一等国として君臨していた象徴であり貧しいながらも子供心に思いが残っていました。
              



 
                平成29年9月   八大

軍歌 「水師営の会見」
 佐々木信綱作詞・岡野貞一作曲 /文部省唱歌

旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル 
水師営の会見場
乃木大将と会見の 処はいずこ水師営 

庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく 
くずれ残る民家に 今ぞ相見る二将軍

乃木大将はおごそかに 御めぐみ深き 
大君の 大詔伝うれば 彼かしこみて謝しまつる


昨日の敵は今日の友 語る言葉も打ち解けて 
我は称えつかの防備 彼は称えつ我が武勇

かたち正して言い出でぬ 此の方面の戦闘に 
乃木大将とステッセル将軍ほか
二子を失い給いつる 閣下の心如何にぞと

二人の我が子それぞれに 死所を得たるを喜べり 
これぞ武門の面目と 大将答え力あり


この後も続きがありますが・・・。





























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