糸瓜(へちま)

 先日久し振りに根岸の子規庵を訪ねる。ガラス窓の外には見事な糸瓜がぶら下がっており、この景色が見たかった。子規庵は俳句の革新者正岡子規が命の炎を燃やし尽くした家です。その功績は俳句・短歌の他日本近代散文の基礎を作ったことで計り知れないものがあると云います。
 長いこと肺結核を患い小さな庭を愛でながら愛用の机に向かい文学の近代化の為に精力的に情報発信し続け句会や歌会を通じて門人たちを育てました。
 移り住んでから8年後、明治三十五年九月十九日「糸瓜咲いて 痰のつまりし 佛かな」の句を絶筆として僅か35歳の生涯を終えた。
 子規の周りには友人であった夏目漱石、森鴎外をはじめ門人であった高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤佐千夫、長塚節・・・当代の文学界を牽引した人たちが訪れていた。
 それから100年以上も経った今でも下町の何の変哲もない小さな空間であるが人々は何かを求めてやって来るという。それは病に伏せながらも太く短く生きた正岡子規その人の生き様が人を引き付けるからであろう。
 我が家の庭にも遠い昔、へちまを夏の陽除けのため植えたところ大きなものが採れて「たわし」や「へちま水」を作ったことがあった。その「へちまコロン」を顔に塗っていた娘も今は小母さんになっている。 
   平成29年10月    八大



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