百舌鳥・古市古墳群


 仁徳天皇陵
                  世界文化遺産への登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市古墳群」について文化庁は5月14日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に登録することが内定した、正式の登録は6月の委員会で決まるとのことです。

 古墳群は大阪府南部の百舌鳥地域(堺市)と古市地域(羽曳野市、藤井寺市)にあり、現在89基の古墳のうち形がよく残っている49基が登録されるようです。それらは4世紀後半から5世紀後半に成立されたものです。

 『延喜式』では、この古墳を「百舌鳥耳原中陵」(もずのみみはらのなかのみささぎ)と命名し、現在は宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓に治定・管理している。

 墳丘は3段に築成され、左右のくびれ部に造出し(つくりだし)があり、三重の濠がめぐっているが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたもの。明治5年(1872)、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿などが出土した。また、アメリカのボストン美術館には、本古墳出土と伝えられる細線文獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されているほか、日本最大の前方後円墳にふさわしく周辺には「陪塚」(ばいちょう)と呼ばれる、小型古墳10基以上も確認されている。

 仁徳天皇陵古墳は墳丘長が486m高さが35,8mと巨大であり、エジプトのクフ王のピラミッド(350M)、中国の秦の始皇帝陵(230M)と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。

 日本全国では約16万基 の古墳があり、その内  前方後円墳は約4500基程が確認されています。
 
                     令和 元年5月       八 大
                                   










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