嵯峨野路その7

禅林寺(永観堂) 
禅林寺 は当初真言宗の道場として貞観5年(863年)清和天皇により禅林寺の寺号を賜り浄土宗西山禅林寺派の総本山の寺である。その後中興の祖とされる7世住持の永観(ようかん)律師の時に阿弥陀仏の熱心な信者になり念仏の寺として浄土宗のお寺に変わった。阿弥陀仏像を安置し病人救済や慈善事業なども行った。この永観律師が住したことにより永観堂と呼ばれるようになった。紅葉の名所としても知られ「秋はもみじの永観堂」と云われて今賑わいを見せております。

永観堂の本尊阿弥陀如来立像は顔を左に曲げた特異な姿「見返り阿弥陀」とも云われている。何故そんな姿かと云うと当時50歳の永観が日課の念仏を唱えていたところに阿弥陀如来が須弥壇から降りてきて一緒に念仏を始めたといいます。びっくりした永観が歩みを止めていると阿弥陀如来が振り返って一言「永観、遅し」と言ったという。それ以来阿弥陀如来の首の向きが元に戻らずそのままの姿にあると云われている。

晶子の歌碑
左を振り返った阿弥陀如来の姿は「思いやり深く周囲を見つめる姿」「愛や情けを掛ける姿勢」「遅れた者たちを待つ姿勢」といった解釈がされているようですが、実際に「見返り阿弥陀」を間近かに見ると、そのささやきが聞こえてきそうでな感じを覚えます。

この時期の紅葉は何処へ行っても赤のグラデーションで美しい、この一枚も圧巻です。背後に映った多宝塔に別れを告げ急斜面のもみじのトンネルをくぐり抜けると足元に与謝野晶子の歌碑を見つけた。「みだれ髪」の中にある一節ですが、与謝野晶子は山川登美子と共に与謝野鉄幹に伴われてこの永観堂の紅葉を愛でていた、その心の中の思いは・・・  

『秋を三人椎の実なげし鯉やいずこ 池の朝かぜ手と手つめたき』 詠みながら南禅寺へ

 令和3年 師走         八 大















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