ポンペイ展

ヴェスピオ山
久しぶりに自粛ムードの中、春日部を離れて上野国立博物館で開催されている「ポンペイ展」を覗いてみました。公園周辺はコロナ禍でもあり人出も少ないため、時間を気にすることなく楽しめました。2,000年も前にこんな生活が営まれていたことを目の当りにすると一級の美術工芸品その物はもちろん周りの景色までもが現在と重なって来て時間軸が合わなくなります。

西暦79年イタリアのナポリ近郊のヴェスピオ山で大規模な噴火が発生しローマ帝国の都市ポンペイが火山の噴出物に飲み込まれました。その後にも大規模の噴火が度々起こったことが記録から分かっております危険な山であることで手が付けられていませんでした。ようやく埋没してしまったポンペイの発掘は18世紀になって始まり、現在にまでも続いております。この展覧会では、壁画、彫像、工芸品の傑作から調理器具と云った日用品に至るまでを展示されておりスマホに納めることも出来ました。

ポンペイレッドの壁画
2000年前のローマ時代の遺品が残っていることが出来たのか不思議ですよね? 物の本を読んでみると噴火した灰は一瞬にしてその地域に火砕流堆積物として覆いかぶさった。火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたとあります。当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「ポンペイ・
売春宿
レッド」と呼ばれている。ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになったようです。

ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっており男女の交わりを描いた絵も有名で、これらは市民広場や浴場や多くの家や別荘で良い状態で保存され続けていたそうです。


噴火時に発生した火砕流の速度は時速 100km以上で、市民は到底逃げることはできず一瞬のうちに全員が生き埋めになった。後に発掘された際には遺体部分だけが腐敗消失し、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げ惑う

石膏によって蘇った遺骨
市民の最期の瞬間を再現した。顔までは再現できなかったが、母親が子供を覆い隠して襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子が生々しく再現された。この様子は火砕流が一瞬にしてポンペイ市を埋め尽くしたことを示している。この石膏像の制作によって遺骨が損傷したため、ポンペイ市民の調査は長らく滞っていたが、近くの商館と思われる建物の地下室から老若男女身分がバラバラな54体の(居場所は身分別にある程度グループを作って固まっていた)遺骨が発見されたそうです。彼らは火砕流からは難を逃れたが、火山性ガスによる窒息で死亡して火山灰に埋もれていたと云います。

「ナポリを見てから死ね!」という言葉がありますが、40年程前ぐらいだったと思いますがナポリ湾の景色を見に行った事がありました。着いてすぐにポンペイから見て廻ろうとしたものの、そのポンペイに憑りつかれてしまって時間が空転してしまった事を思い出しました。強烈なポンペイへの想いは未だに脳裏をよぎります。

 令和4年  如月         八 大








































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