嵯峨野路 その2

                                                                                  

北野天満宮
 北野天満宮  通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、楼門と拝殿の間に建つ中門は三光門と呼ばれ壮麗な造りと上部に掲げられた後西天皇宸筆の『天満宮』の勅額は神社のシンボル的な建築である。三光とは、日、月、星の意味で、梁の間に彫刻があることが名の由来ですが、星の彫刻だけが見られないともいわれています。その理由は、かつて朝廷があった大極殿から望むとちょうどこの門の上に北極星が輝くことから天空と一つになって平安京を守っていた場所がこの北野の地なのです。この伝説は「星欠けの三光門」として神社の七不思議に数えられている。 社殿と同じく桃山時代の建築様式で重要文化財に指定されています。


おかめ像

千本釈迦堂
千本釈迦堂 12月の風物詩である大根炊きで知られる大報恩寺ですが本尊の釈迦如来坐像があります。文永年間(1270年頃)「徒然草」に「千本の釈迦念仏如輪上人これを始められけり」と書かれていたので通称でそう呼ばれています。徒然草228段には文永の頃「千本の釈迦念仏は如輪上人これを始められけり」と当寺に記されています。またこの本堂は応仁の乱にも焼けることなく創建当時の物で洛中では最古の現存構造物で国宝になっています。その他にも本堂の建立に関して大工の妻「おかめ」さんに関する厄除け信仰の伝説が伝えられている。


平野神社
平野神社 平安京の北方の平野の地に鎮座する神社で、桓武天皇の生母、高野新笠の祖神として平城京に祀られていた渡来系の神様であったが平安京遷都にに伴って大内裏に移し祀られたことに始まる。延喜式に記されている古くからの神社で平安時代には例祭 (平野祭)において皇太子自らにより奉幣が行われていました。多くの降下氏族から氏族として歴史的に崇敬された神社でありました。ご祭神は「今木神」「久度神」「古開神」「比売神」の四神で源氏‣平氏・高階氏・大江氏の他、中原氏・清原氏・菅原氏・秋篠氏らから氏神として崇敬されており「八姓の祖神」と称されたと云います。


わら天神
わら天神宮 地元京都人が親しみを込めて「わら天神」と呼ばれておりますが正式には「敷地神社(しきちじんじゃ)」です。その名が有名過ぎて本当の名称を知る京都人は多くないと云われています。                    古くから安産にご利益あるとされており、戌の日の安産祈願には参拝客が大勢だそうです。主祭神は「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)」で一夜にして懐妊し次々と3人の子を出産したという逸話から全国に広がったと云われています。安産のお守りとして藁が授与されることからその通称があり、藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われている。

次回に続く


 令和3年 霜月         八 大




























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