庚申信仰 「三尸(さんし)の虫」

庚申の碑
庚申(かのえさる)の日、人間の腹の中には「三尸(さんし)」と呼ばれる虫が体内から抜け出し天帝に悪事を伝えると云う空想上の虫です。少しの過ちも見逃すことはことはありません。その三尸の虫は庚申の夜に人が眠っているすきに体内から抜け出で、その罪悪を天帝に密告する役目を持っているそうです。

天帝のところにはそれぞれの人の罪科を記録した台帳があり、その記録が増えると人間は命を奪われると云います。そのため庚申の夜は三尸の虫が体内から抜け出ないように、寝ないで酒宴などを催しながら夜を明かしたと云います。こうした行事は平安時代の貴族社会から伝わる庚申信仰であり中世末から近世にかけて             一般庶民の間にも拡がったと云います。

東陽寺
ここ埼玉県松伏町赤岩地区の東陽寺境内にある、文政四年(1821年」建立の庚申塔には三尸の文字が入っているのが確認されており珍しい物だそうです。三尸の文字が刻まれているのは山形県高畠町や埼玉県の鴻巣市等にも見えますが貴重な庚申塔が確認されています。

の庚申の日眠らなければ三尸は出てこないとされ宴席を一晩中開いたと云います。これが平安時代から伝わる庚申信仰であります。三尸は庚申信仰の中心的位置を占めていると云われます。全国各地に点在する庚申塔ですがここ東陽寺の庚申塔には「天下地平 国土安穏 三尸消滅 開講無事」の文字が刻まれており現在でも庚申の祭り「庚申講」では同町築比地区でも僅かに残っているそうで貴重な民族的な資料と云われています。

庚申塔の説明

またこの地域の土着の信仰で最も古い記述では清和天皇の代、貞観5年(863年)11月1日の宮中に宴が開かれ音楽が奏でられていたと云います。9世紀末から10世紀の頃には、庚申の御遊は恒例化していたと云います。やがて「庚申御遊」と呼ばれた平安時代末期には、酒なども振る舞われるようになり、庚申本来の趣旨からは外れた遊興的な要素が強くなっていったと云われています。

 神無月           八 大







































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