笠森寺(四方懸崖造り)
坂東三十一番札所は千葉県の長南町に日本でも現存する唯一の珍しい四方懸崖造りの建物が国の重要文化財に指定されている。由緒書によると延暦三年(784)に伝教大師が創立し長元(1028)元年に後一条天皇が飛騨の匠に作らせたといわれているが、なんと山のてっぺんにこんな御堂を立てたのか不思議な建築物であります。七十余段の階段を上がって廻縁に出れば四方の眺望は素晴らしく眼下に房総の山々が広がる。
一般的に懸崖造りと云えば清水寺に代表的されるように一面は山側に寄り添っているように見えるので安定感も感じるが、四方が懸崖となるとお城の天守閣が山のテッペンにあるようで雨風のことを思うと居心地が良いものではなさそうな気分です。降り際に下部の構造を覗いて見ると十分な仕組みが出来ていることを確認して不安は一掃された。
階段を降り境内の休憩所に立ち寄ると何やら有難い文句がいろいろとありました。
◦ 若木の花のみずみずしさ、老木の花の気品
◦ 今が幸せと思わないと、一生幸せになれないよ
◦ 楽しい人は何でも楽しむ、苦しむ人は何でも苦しむ
◦ 悩むことは悩みなさい、しかし朝が来たらやめなさい
◦ 水は低い処に溜まるように、背を低くすれば人は自ずから集まる
気ぜわしさの中で忘れていたことを思い知らされた一服の涼風が通り過ぎて行った。
平成30年1月 八大
一源三流(いちげんさんる)
行田市の生んだ当代一と云われた武道家、吉川栄先生の顕彰碑がさきたま古墳公園の隅にひっそりと建っておりました。二十年以上前に遭遇した時にあまりにも感動したことを覚えましたので昨年懐かしさもあって尋ねたところいくら探しても見つからなかった。
この度近くの民家にお聞きしてやっと尋ねることが出来た。二十年経つと以前訪れた所在地が思い出せなくて、記憶の薄れてきたことを実感しつつ改めて顕彰碑を見つめるとあの時の感動が思い起こされました。吉川栄氏の銅像裏に回って黒御影石の碑文を見ると昔日の思いが込み上げてきた、それは「一源三流」の言葉であった。
『 友のために涙を流し 家のために汗を流し 国のために血を流す 』
たったこれだけの言葉でありましたがその時の自分の思いと合致した文で今でも忘れずに心の奥にしまっております。この三流の源は自分自身が出来ることであり人間としての誠の心であると思え、言葉だけではなく行動に移せるかどうかが本物の男としての了見であると思っています。
今でも飲み仲間と人生を語りあうときには、「友人や家族は勿論であるが日本という国の為に血を流す覚悟はできている」と公言しておりますがその気持ちに偽りはありません。あの太平洋戦争後から平和な世の中が長く続くとつい先人の苦労を忘れている輩を見るにつけ改めて気持ちを入れ直し喝を入れてあげたい思いです。
吉川先生はこの一源三流の精神を折あるごとに弟子たちに説かれていたと云われます。
平成30年1月 八大



行田市の生んだ当代一と云われた武道家、吉川栄先生の顕彰碑がさきたま古墳公園の隅にひっそりと建っておりました。二十年以上前に遭遇した時にあまりにも感動したことを覚えましたので昨年懐かしさもあって尋ねたところいくら探しても見つからなかった。
この度近くの民家にお聞きしてやっと尋ねることが出来た。二十年経つと以前訪れた所在地が思い出せなくて、記憶の薄れてきたことを実感しつつ改めて顕彰碑を見つめるとあの時の感動が思い起こされました。吉川栄氏の銅像裏に回って黒御影石の碑文を見ると昔日の思いが込み上げてきた、それは「一源三流」の言葉であった。
『 友のために涙を流し 家のために汗を流し 国のために血を流す 』
たったこれだけの言葉でありましたがその時の自分の思いと合致した文で今でも忘れずに心の奥にしまっております。この三流の源は自分自身が出来ることであり人間としての誠の心であると思え、言葉だけではなく行動に移せるかどうかが本物の男としての了見であると思っています。
今でも飲み仲間と人生を語りあうときには、「友人や家族は勿論であるが日本という国の為に血を流す覚悟はできている」と公言しておりますがその気持ちに偽りはありません。あの太平洋戦争後から平和な世の中が長く続くとつい先人の苦労を忘れている輩を見るにつけ改めて気持ちを入れ直し喝を入れてあげたい思いです。
吉川先生はこの一源三流の精神を折あるごとに弟子たちに説かれていたと云われます。
平成30年1月 八大



前玉神社(さきたまじんじゃ)
蝋梅と早咲きの梅に出会いながら久し振りにさきたま古墳公園の周りを歩きました。翌日には大雪の注意報が出ておりましたが穏やかな日和で一段と梅のつぼみが膨らんできたようです。明治から昭和にかけては前方後円墳や円墳の大小合わせると二十数基の古墳が確認されていましたが田畑の開拓などがなされ現在では国宝になった金錯銘鉄剣で有名な稲荷山古墳をはじめ大型の古墳9基が整理保存されているようです。
その東側の端に円墳とみられる浅間塚古墳があります。その墳上には延喜式(927年)の式内社である前玉神社(さきたまじんじゃ)が鎮座しておりますが、墳丘部がやせ細り石積みで補強されてはいますがあまりにも粗末で見るに忍びなかった。
由緒書きを見ると前玉とは武蔵国前玉郡の表記であり前玉の中心であったことで700年代の半ばに漢字の変更があり前玉から埼玉になり県名発祥の神社であるとのこと。
歴史ある大切な遺跡の保存が現在の人たちで出来ていないと云うことは後世の人たちに申し訳なく残念に思います。階段入り口には形の良い灯篭があって竿の部分に万葉集にある歌 「埼玉の津に居る船の風を疾み綱は絶ゆとも言な絶えそね」 が刻まれており当時の風景が思い起こされます。 また平安の歌人西行法師が奥州途上に詠んだ歌碑もあり
さきたまの宮の地名が刻まれておりました。
平成30年1月20日 八大
蝋梅と早咲きの梅に出会いながら久し振りにさきたま古墳公園の周りを歩きました。翌日には大雪の注意報が出ておりましたが穏やかな日和で一段と梅のつぼみが膨らんできたようです。明治から昭和にかけては前方後円墳や円墳の大小合わせると二十数基の古墳が確認されていましたが田畑の開拓などがなされ現在では国宝になった金錯銘鉄剣で有名な稲荷山古墳をはじめ大型の古墳9基が整理保存されているようです。
その東側の端に円墳とみられる浅間塚古墳があります。その墳上には延喜式(927年)の式内社である前玉神社(さきたまじんじゃ)が鎮座しておりますが、墳丘部がやせ細り石積みで補強されてはいますがあまりにも粗末で見るに忍びなかった。
由緒書きを見ると前玉とは武蔵国前玉郡の表記であり前玉の中心であったことで700年代の半ばに漢字の変更があり前玉から埼玉になり県名発祥の神社であるとのこと。
歴史ある大切な遺跡の保存が現在の人たちで出来ていないと云うことは後世の人たちに申し訳なく残念に思います。階段入り口には形の良い灯篭があって竿の部分に万葉集にある歌 「埼玉の津に居る船の風を疾み綱は絶ゆとも言な絶えそね」 が刻まれており当時の風景が思い起こされます。 また平安の歌人西行法師が奥州途上に詠んだ歌碑もあり
さきたまの宮の地名が刻まれておりました。
平成30年1月20日 八大
大 寒 (椿の花)
ご存知の通り大寒は一年中で一番寒い季節です。この時季から三寒四温があり待望の春がやってくると云われてますが、その七日間が繰り返されるのは中国や朝鮮半島であって実際の日本では言葉としてはあるが1~2回ある程度だそうです。
椿はこの時期に花盛りを迎える植物で冬枯れの中でも艶やかな葉と鮮やかな花を見せる生命力の強さから、我が国では神話の時代から愛好されています。和風の花のイメージが強い椿ですが東アジアから東南アジア一帯に生息する東洋的な花ですね。
どこかの宣教師によってヨーロッパにもたらされ上流階級の間で一大椿ブームが起きたことがあった時代、作曲家ベルディのオペラ「椿姫」が誕生しました。パリの裏社交界で常に椿の花を持った高級娼婦と純真な青年との一途な愛は、商売抜きの愛に発展したが一度道を踏み外した女心の蹉跌・・・また娼婦家業に戻ってしまうが、最後は涙を誘う場面で終わりますが、現在でもオペラの代表作として世界中で上演されていますね。
謎 一か月のうち25日は白い椿で5日は赤い椿を持っていたとも云われている?
話は変わりますが数十年前に四国の二十四番札所・最御崎寺から、ついでに足摺岬灯台まで足を運びましたが見事な藪椿の林の中を歩いた記憶が残っており異次元の境地を感じました。暖流の上を噴き上げてくる生暖い風が椿の花をポトン・ポトンと落としてゆく様を見た時に世の無常を強く感じた。「椿の花は綺麗だけど仏様には上げてはいけないよ」と、、普段からよく祖母は言っていましたが今でもそのことを守っています。
最御崎寺(ほつみさきじ) 弘法大師は虚空蔵求聞持法を成就し、また悟りを開かれた
寺であるとも言われています。
平成30年1月20日 八大

ご存知の通り大寒は一年中で一番寒い季節です。この時季から三寒四温があり待望の春がやってくると云われてますが、その七日間が繰り返されるのは中国や朝鮮半島であって実際の日本では言葉としてはあるが1~2回ある程度だそうです。
椿はこの時期に花盛りを迎える植物で冬枯れの中でも艶やかな葉と鮮やかな花を見せる生命力の強さから、我が国では神話の時代から愛好されています。和風の花のイメージが強い椿ですが東アジアから東南アジア一帯に生息する東洋的な花ですね。
どこかの宣教師によってヨーロッパにもたらされ上流階級の間で一大椿ブームが起きたことがあった時代、作曲家ベルディのオペラ「椿姫」が誕生しました。パリの裏社交界で常に椿の花を持った高級娼婦と純真な青年との一途な愛は、商売抜きの愛に発展したが一度道を踏み外した女心の蹉跌・・・また娼婦家業に戻ってしまうが、最後は涙を誘う場面で終わりますが、現在でもオペラの代表作として世界中で上演されていますね。
謎 一か月のうち25日は白い椿で5日は赤い椿を持っていたとも云われている?
話は変わりますが数十年前に四国の二十四番札所・最御崎寺から、ついでに足摺岬灯台まで足を運びましたが見事な藪椿の林の中を歩いた記憶が残っており異次元の境地を感じました。暖流の上を噴き上げてくる生暖い風が椿の花をポトン・ポトンと落としてゆく様を見た時に世の無常を強く感じた。「椿の花は綺麗だけど仏様には上げてはいけないよ」と、、普段からよく祖母は言っていましたが今でもそのことを守っています。
最御崎寺(ほつみさきじ) 弘法大師は虚空蔵求聞持法を成就し、また悟りを開かれた
寺であるとも言われています。
平成30年1月20日 八大

一年で最も寒いこの時期を「寒」といいますが約一か月間皆さんにはあまり好まれる季節ではありませんが、意外と寒にまつわる言葉は沢山あります。寒稽古・寒気団・寒葵・寒梅・寒雀・寒星・寒風・寒餅・寒夜・寒晒し・寒の戻り・・少し寒くなりましたね。
けれどもよく考えてみるとこの厳しい寒さを超えると躍動の春がやってくるので、何の苦も無くいきなり光の春が来るとすれば感動が薄くなるので贔屓目に見て戴きたい。
久し振りに古利根川に足を運びましたが予期はしていたが鴨の飛び交う川面をなでる風は冷たい。そんな中でも土手沿いの道端には、スイセン・冬バラ・キンカン・レモン・ピラカンサス・山茶花たちが私を迎えてくれました。こんなにも寒さに負けずに頑張っている木々たちを見ていると「俺もチジコマッテはいられないな~」とは、思いつつ自問自答を繰り返していました。
気象の用語として「山茶花散らし」という言葉があります。冬の花の代表格である山茶花を散らしてしまうのがこの時季に降る冷たい雨。季節の洗礼を受け花びらがバラバラに散って花のじゅうたんになってしまう姿は無一文の哀れを感じます。
花言葉がいいですね「困難に打ち勝つひたむきさ」だそうです。
寒の入りのこの日から季節の挨拶としては寒中見舞いになりますね。
平成30年1月5日 八大
セネカの一言
「幸せになりたいなら持っているものを増やすことでなく欲望を減らしなさい」
最近は人生の終末に向けては身の回りの断捨離を進めておりますが2,000年前、既にセネカは私たちに助言しています。そう言えばもっと以前に仏教の開祖お釈迦さまも「無」を教えていましたね。セネカとはあの有名なローマ帝国第5代皇帝で暴君と云われたネロの幼少時の家庭教師で、同国皇帝即位後はバックボーンとして相談役や演説の起草者を務め善政5年の立役者でありました。その後政治の世界から引退をし文筆業に力を入れ哲学者として活躍した。
しかし晩年にネロ皇帝退位説の陰謀に巻き込まれた結果、皇帝ネロから自殺を命じられドクニンジンを飲み死に至りました。
セネカの名言 (数ある名言の中から)
「自分が不幸だと考えない限り、この世に不幸なことは何一つない」
「カネによってもたらされし忠実さはカネによりて裏切られる」
「人生は短いというが、実はその多くを浪費している」
「愛の反対は憎しみではなく無関心である」
平成30年1月 八大
表参道・年の暮れ
年の暮れの散歩に突然思い立ってここ表参道に足を運んだ。何処からこんなに人が集まってくるんだろう、ここ表参道はブランド・ストリート。まばゆいばかりのイルミネーションと洗練されたデザインの建物群が立ち並ぶ姿はテレビで映し出されるニューヨークやパリを思い出させる。若者たちに混ざって言葉を聞いてみると日本語でない私には意味不明な言葉を多く聞こえた、それは地域でくくるんではなく世代で纏められるのではないか。それが若者の街青山~表参道~原宿を流れる底流かも知れない。
そのほぼ中央に表参道ヒルズが構えているがその前身は同潤会青山アパートの跡地である。大正12年に発生した関東大震災の復興支援のために設立された当時としては近代的な鉄筋コンクリート構造で、当時としては先進的な設計や装備がなされていた。
10年ほど前に表参道ヒルズとして商業、住宅、駐車場の複合施設としてオープンされたもので賑わいの中心になっている。
平成29年12月31日 八大
表参道のブランド・ストリート群(雰囲気をお裾分け)



年齢ではない(心に保湿剤を)
「老いる」も「老ける」も「年をとる」という意味がありますが、一字違うだけで大きな違いがあります。
「老いる」は実際に年を取ることで、世の中の人だれもが通る道でありあたりまえのことです。一方「老ける」とは年齢にまったく関係なく見た目の風貌が衰えて見える姿を言っていると思います。
容姿に限らず生きる意欲を失っている姿、何かをしようとする目的がない姿、気力がなくなっている姿などが、老けて見える要因になっていると思います。
この頃特に若者でも老け込む人をたくさん見ることがあります。また中年になっても老け込まずに颯爽として目を輝かせて生活をしている人たちもいます。人は年齢ではなく気持ちの持ちようで表情や雰囲気が変わるもので、心の状態が容姿に現れるのです。
また自分だけと思いながらもその姿は近くの他人に大きく影響を与えているものです。
時に困難にも見舞われる人生ですが日々の生活に目的を持ち、生きる意欲や気力を呼び起こして明るく、若々しく年齢を重ねたいものです。
平成29年12月 八大
「老いる」も「老ける」も「年をとる」という意味がありますが、一字違うだけで大きな違いがあります。
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| 80歳の加山雄三 |
容姿に限らず生きる意欲を失っている姿、何かをしようとする目的がない姿、気力がなくなっている姿などが、老けて見える要因になっていると思います。
この頃特に若者でも老け込む人をたくさん見ることがあります。また中年になっても老け込まずに颯爽として目を輝かせて生活をしている人たちもいます。人は年齢ではなく気持ちの持ちようで表情や雰囲気が変わるもので、心の状態が容姿に現れるのです。
また自分だけと思いながらもその姿は近くの他人に大きく影響を与えているものです。
時に困難にも見舞われる人生ですが日々の生活に目的を持ち、生きる意欲や気力を呼び起こして明るく、若々しく年齢を重ねたいものです。
平成29年12月 八大
声明(しょうみょう) ー仏教と音楽ー
キリスト教に讃美歌があり聖歌隊があるように、仏教にも仏教を賛美してお経に節をつけて歌う専門の僧侶がいた。2年ほど前に声明を聞く機会がありました、地の底から湧きあがって来る感動を覚えたことがありました。
お釈迦様がおられる時から説法を記憶するため言葉に節を付けていることがあった。日本には仏教伝来と同時に声明と雅楽が入ってきた。天平勝宝4年4月9日(AD‐752年)東大寺盧舎那仏の開眼供養会でインドの僧である菩提僊那が朗々とした声明がその場の雰囲気を包んだといわれる。平安時代初期には唐から帰った空海、最澄がそれぞれの真言声明・天台声明の基礎を作ったと云うことで1,200年の歴史があるということです。民謡・浄瑠璃・謡曲・浪花節などに広く発展していって、日本音楽の源流となっています。
多勢のお坊さんが堂内を回りながら声明を唱え散華を撒くとキラキラキラと散らされていく様子を見ていると、人それぞれにいろいろな思いが違って感じられることでしょう。
声明とは五明(ごみょう)の一つであるそうです。五明とは仏教の学における声明(言語学・文学)因明(論理学)工巧明(工芸技術・算法暦法)医法明(医学)内明(哲学・仏教学)の五つの領域を言い、明とは「究明」であり今の言葉で云うと「学」である。
声明は口伝(くでん)で伝えるため、現在の音楽理論でいうところの楽譜に相当するものが当初はなかった。そのために伝授は困難を極めたそうで、後世になってから楽譜にあたる墨譜(ぼくふ)が考案され今に至っているそうです。声明は五明の第一とされており「一切の教えは皆文字や文法が無ければ前に進めない」と云うことからとのことです。
「散華」とは
仏教の経典には仏が説法をする時には天から花が降ってくると説かれていますが、天人が仏を讃美することを示すもので、古くは蓮の花弁や樒(しきび)の葉を撒いていたそうですが、現在では蓮の花弁を形どった和紙を使用しています。
仏を讃美し供養するために仏のまわりを巡りながら花を地にまき散らすのが散華であります。
平成29年12月 八大
キリスト教に讃美歌があり聖歌隊があるように、仏教にも仏教を賛美してお経に節をつけて歌う専門の僧侶がいた。2年ほど前に声明を聞く機会がありました、地の底から湧きあがって来る感動を覚えたことがありました。
| 薬師寺の散華 |
多勢のお坊さんが堂内を回りながら声明を唱え散華を撒くとキラキラキラと散らされていく様子を見ていると、人それぞれにいろいろな思いが違って感じられることでしょう。
声明とは五明(ごみょう)の一つであるそうです。五明とは仏教の学における声明(言語学・文学)因明(論理学)工巧明(工芸技術・算法暦法)医法明(医学)内明(哲学・仏教学)の五つの領域を言い、明とは「究明」であり今の言葉で云うと「学」である。
声明は口伝(くでん)で伝えるため、現在の音楽理論でいうところの楽譜に相当するものが当初はなかった。そのために伝授は困難を極めたそうで、後世になってから楽譜にあたる墨譜(ぼくふ)が考案され今に至っているそうです。声明は五明の第一とされており「一切の教えは皆文字や文法が無ければ前に進めない」と云うことからとのことです。
「散華」とは
仏教の経典には仏が説法をする時には天から花が降ってくると説かれていますが、天人が仏を讃美することを示すもので、古くは蓮の花弁や樒(しきび)の葉を撒いていたそうですが、現在では蓮の花弁を形どった和紙を使用しています。
仏を讃美し供養するために仏のまわりを巡りながら花を地にまき散らすのが散華であります。
平成29年12月 八大
サトーココノカドー
先週の土曜日駅西口をうろついていて空を見上げたらヨーカドーの看板が目に入った、よく見たら鳩のマークが塗りつぶされて、コウモリのデザインを製作中・・・ハハ~これは二匹目のどじょうを狙っているのではと直感した。
今年の4月に特別企画「クレヨンしんちゃん25周年記念企画 オラのマチ・春日部にくれば~」の一環で「サトーココノカドー春日部店」に衣替えして営業したことは近隣に大きな話題となったことはご承知のことです。
クレヨンしんちゃんに登場する商品名や企業名は実在するものに似せており、「サトーココノカドー」もその一つです。春日部の「イトーヨーカドー」はそのモデルで伊藤を佐藤、八日を九日、ハトのマークをコウモリに変えたパロディーは、子供たちに大受けし売り上げにも大きく貢献したようです。
お店に聞くと年末15日から年明け8日にかけて『クレヨンしんちゃん展』を企画しているそうです。二匹目のドジョウを狙って商機タクマシク再挑戦する姿も、地盤沈下が心配される春日部市にとっては活気を与えてくれる楽しいカンフル剤になりそうです。
ここはひとつ、批判ばかりしてないで大きな心で見守りましょうよ!
平成27年12月12日 八大
先週の土曜日駅西口をうろついていて空を見上げたらヨーカドーの看板が目に入った、よく見たら鳩のマークが塗りつぶされて、コウモリのデザインを製作中・・・ハハ~これは二匹目のどじょうを狙っているのではと直感した。今年の4月に特別企画「クレヨンしんちゃん25周年記念企画 オラのマチ・春日部にくれば~」の一環で「サトーココノカドー春日部店」に衣替えして営業したことは近隣に大きな話題となったことはご承知のことです。
クレヨンしんちゃんに登場する商品名や企業名は実在するものに似せており、「サトーココノカドー」もその一つです。春日部の「イトーヨーカドー」はそのモデルで伊藤を佐藤、八日を九日、ハトのマークをコウモリに変えたパロディーは、子供たちに大受けし売り上げにも大きく貢献したようです。お店に聞くと年末15日から年明け8日にかけて『クレヨンしんちゃん展』を企画しているそうです。二匹目のドジョウを狙って商機タクマシク再挑戦する姿も、地盤沈下が心配される春日部市にとっては活気を与えてくれる楽しいカンフル剤になりそうです。
ここはひとつ、批判ばかりしてないで大きな心で見守りましょうよ!
平成27年12月12日 八大
可哀そうな皇帝ダリア
昨日久し振りに古利根川の散歩に出かけたところ皇帝ダリアが皇帝らしくない寂しい姿で咲いていました。その姿は痛々しいもので、歩道の手すりに紐で縛られており皇帝とは名ばかりそれはそれは悲しい姿を見せていました。じっと見つめる私は胸が痛くなり涙さえも滲んできました。こんな年もあるんだ・・・来年また頑張ろうと声をかけてきました。
私もここ6~7年程前から毎年皇帝ダリアを育てていますが、その居丈だかに立っている姿は皇帝の名に恥じない堂々とした姿は頼もしい限りでした。今年も二株が春先から順調に背丈を伸ばしお盆過ぎのころには隣のお宅の二階の窓下ぐらいに育っておりました。
ところが今年は9月、10月の異常気象の長雨と台風・大風によって3度の損傷に遭遇しま
した1,2度目は倒れ掛かって枝が何本か折れましたが、3回目は根こそぎ倒れてしまい
直径8㎝位に育った幹の中ほどで折れてしまいました。
それでも翌日に気づければ良かったけれど、あいにくと旅に出ており救急手当てが出来なかったので枝は可哀そうにバラバラ、根は天井を向いて乾燥してる・・・やむなく私が介錯人となったため、今の時期例年のような威厳のある皇帝ダリアを見上げることができず残念であります。
育成のための一言
皇帝ダリアはメキシコから中米に分布しており、茎が木質化して太くなり背丈が7~8ⅿぐらいになります。日が短くならないと花芽ができないので開花の時期が遅く11月の下旬頃から咲きます。また近くに街灯や電灯があると日が長いと勘違いして花芽をつけないことがあるので育てるには注意が必要です。 平成27年12月 八大
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| 古利根の皇帝ダリア |
私もここ6~7年程前から毎年皇帝ダリアを育てていますが、その居丈だかに立っている姿は皇帝の名に恥じない堂々とした姿は頼もしい限りでした。今年も二株が春先から順調に背丈を伸ばしお盆過ぎのころには隣のお宅の二階の窓下ぐらいに育っておりました。
ところが今年は9月、10月の異常気象の長雨と台風・大風によって3度の損傷に遭遇しま
した1,2度目は倒れ掛かって枝が何本か折れましたが、3回目は根こそぎ倒れてしまい
直径8㎝位に育った幹の中ほどで折れてしまいました。
それでも翌日に気づければ良かったけれど、あいにくと旅に出ており救急手当てが出来なかったので枝は可哀そうにバラバラ、根は天井を向いて乾燥してる・・・やむなく私が介錯人となったため、今の時期例年のような威厳のある皇帝ダリアを見上げることができず残念であります。
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| 昨年の我が家の皇帝ダリア |
育成のための一言
皇帝ダリアはメキシコから中米に分布しており、茎が木質化して太くなり背丈が7~8ⅿぐらいになります。日が短くならないと花芽ができないので開花の時期が遅く11月の下旬頃から咲きます。また近くに街灯や電灯があると日が長いと勘違いして花芽をつけないことがあるので育てるには注意が必要です。 平成27年12月 八大
皇室の彩(こうしつのいろどり)
先ごろ久し振りに東京芸術大学美術館に足を運びました。大正から昭和への時代の変化の時に、皇室の方々の御成婚や御即位などのお祝いのために、当代一の美術工芸家たちが技術の粋を尽くして献上品を制作されました。それらの献上品は宮殿などに飾られていましたが、その役目を終えて三の丸尚蔵館に静かに眠っていました。
今回百年前の文化プロジェクトとして特別展示されたということです。各分野の美術工芸家130人余りが力を結集してた80点の、絵画・木彫・陶器・蒔絵・螺鈿細工・・などどれをとっても伝統技術を受け継いだものが展示されており最高水準の室内に飾る美術工芸品であります。
その中で私の目に一際異彩を放ったものがあります。それは[御飾棚]鳳凰菊紋様蒔絵(おんかざりだな、きくもんようまきえ)であります。
5年もの歳月をかけて作られた縦横一間(1,8ⅿ)ぐらいの大きさで見事な文様の蒔絵と螺鈿細工であります。絵柄に近づいて覗き込むと皇室を表す菊の紋章の中を鳳凰が嘴に小枝をはさんで飛んでいる様子が見えます。これぞ新しい家庭を築くことを表していることであり皇太子ご成婚を意味するもので螺鈿細工の輝きが美しいものであります。この飾り棚の上に更にどんなものが載せられたんだろうと想像すると別世界を感じます。
鳳凰とは
中国神話での伝説の鳥、霊鳥である。日本や韓国など東南アジア全域にわたって装飾やシンボル、物語などに登場しています。
前漢時代に成立された類語辞典によれば頭は鶏、顎は燕、頸は蛇、背は亀、尾は魚であり
色は黒、白、赤、青、黄の五色で背丈は六尺ほどであると書いてある。
云います。
平等院鳳凰堂の屋根の飾りは有名ですが日本国政府の紋章となってい
る五七の桐はそこから来ていると言われています。
平成27年12月 八大
イチョウ(銀杏・公孫樹・鴨脚樹)
今年もカレンダーが最後の一枚になりました。朝一番で八幡様に詣でたところ、イチョウの落葉が敷き詰められなんとも贅沢な雰囲気を味わいました。
この時期鎌倉八幡宮や神宮外苑のイチョウの落葉は有名ですが、そんなに遠くに行かなくてもこんな身近なところでも初冬の雰囲気を味わうことができますよ。
神前の大木は今から約800年くらい前の鎌倉時代「春日部治部少輔時賢」という人物が鶴岡八幡宮を信仰・崇敬しており、その八幡宮を遥拝するために造営されたのが春日部八幡宮の始まりという。参道中央のイチョウの御神木は鶴岡八幡宮の一枝が一夜のうちに飛んできて育ったと伝えられる大木で春日部の総鎮守として崇敬を集められています。
イチョウの原産地は中国で日本には室町時代に伝来したとされ各地の神社や寺院に植えられたが、江戸時代の中頃に日本からオランダやイギリスに伝わりその後はヨーロッパ各地に広がっていったようです。
詩人のゲーテも「銀杏の葉」と名付けた恋愛詩を作っているそうです。
イチョウあれこれ
〇 燃えにくい木材であるため火事の延焼を防ぐという意味で神社や寺院にも多く植えら
れているが、物の本によると火を浴びると幹から水分を発生させるというが?
〇 公孫樹とは中国で公は祖父の尊称で、祖父が種をまいても実がなるのは孫の代になる
ことからその名がついた。

〇 鴨脚樹とは葉の形が水鳥である鴨の脚の水掻きの
形に似ているからとか
〇 東京都のシンボルマークはイチョウの葉と思って
ましたが、都では「T」の字から由来としていると
云いイチョウを否定していますよ。
〇 雌雄異種の樹で春の新葉とともに生じた雄の花粉
から精子を生じて受粉が行われるが、風媒花でそ
の範囲は周囲1㎞の雌株に影響を与えるとのこと
です。
〇 木材としての活用は碁盤や将棋盤としての他、木
魚やまな板に加工されて日常活用されています。
〇 街路樹としても各地で多く植えられていますが、
最近では果実のならない雄株のみを選んで植樹さ
れているところも多いそうです。
〇 大相撲の関取になると大銀杏という髷が結えます
が、その語源は形がイチョウの葉に似ているから
ということはご存じのとおりです。
短歌を一首
金色のちいさき鳥のかたちして 銀杏散るなり夕日の岡に 与謝野晶子
平成27年12月1日 八大
今年もカレンダーが最後の一枚になりました。朝一番で八幡様に詣でたところ、イチョウの落葉が敷き詰められなんとも贅沢な雰囲気を味わいました。この時期鎌倉八幡宮や神宮外苑のイチョウの落葉は有名ですが、そんなに遠くに行かなくてもこんな身近なところでも初冬の雰囲気を味わうことができますよ。
神前の大木は今から約800年くらい前の鎌倉時代「春日部治部少輔時賢」という人物が鶴岡八幡宮を信仰・崇敬しており、その八幡宮を遥拝するために造営されたのが春日部八幡宮の始まりという。参道中央のイチョウの御神木は鶴岡八幡宮の一枝が一夜のうちに飛んできて育ったと伝えられる大木で春日部の総鎮守として崇敬を集められています。
イチョウの原産地は中国で日本には室町時代に伝来したとされ各地の神社や寺院に植えられたが、江戸時代の中頃に日本からオランダやイギリスに伝わりその後はヨーロッパ各地に広がっていったようです。
詩人のゲーテも「銀杏の葉」と名付けた恋愛詩を作っているそうです。
イチョウあれこれ
〇 燃えにくい木材であるため火事の延焼を防ぐという意味で神社や寺院にも多く植えら
れているが、物の本によると火を浴びると幹から水分を発生させるというが?
〇 公孫樹とは中国で公は祖父の尊称で、祖父が種をまいても実がなるのは孫の代になる
ことからその名がついた。

〇 鴨脚樹とは葉の形が水鳥である鴨の脚の水掻きの
形に似ているからとか
〇 東京都のシンボルマークはイチョウの葉と思って
ましたが、都では「T」の字から由来としていると
云いイチョウを否定していますよ。
〇 雌雄異種の樹で春の新葉とともに生じた雄の花粉
から精子を生じて受粉が行われるが、風媒花でそ
の範囲は周囲1㎞の雌株に影響を与えるとのこと
です。
〇 木材としての活用は碁盤や将棋盤としての他、木
魚やまな板に加工されて日常活用されています。
〇 街路樹としても各地で多く植えられていますが、
最近では果実のならない雄株のみを選んで植樹さ
れているところも多いそうです。
〇 大相撲の関取になると大銀杏という髷が結えます
が、その語源は形がイチョウの葉に似ているから
ということはご存じのとおりです。
短歌を一首
金色のちいさき鳥のかたちして 銀杏散るなり夕日の岡に 与謝野晶子
平成27年12月1日 八大
老いの僥倖 (思いがけない幸せ)
終戦間もない昭和22年「読書の力で文化国家を作ろう」との決意のもとで11月17日から第一回の「読書週間」が開催されたと云います。翌年の第二回からは文化の日を挟んで2週間と定められ全国に広がって今に至りますが、最近ではケータイ・スマホの急激な普及によって本を読むことが少なくなっているそうです。
手帳に挟まっていた図書カードに気づき何気なく手に取った本が「老いの僥倖」という本、これは女性の論客である曽野綾子さんの書かれた話題の作品である。
多くの短文をまとめたもので、その一説一説ごとに頷いたり全く同感だったり自分で思い当たる事ばかり、素晴らしい言葉の質感を感じてしまいます。これこそが私にとっての僥倖と云うのでしょう。
「見出しだけ読んでも面白い」
◎ 肩書のない年月にこそ人は自分の本領を発揮できるもの
◎ 人間は苦しいことがあればあるほど上等になる
◎ 人生には立ち止まる時がなければならない
◎ 人間が熟れてくるのは中年以後である
◎ 一生に与えられる幸福の量はみな同じ
◎ 「病気は予防できる」とは思い上がり◎ 人は会った人間の数だけ賢くなる
◎ 終わりがあるのは救いである
◎ 体が衰えて初めて分かることがある
◎ 孤独を味わわないと人生が完結しない
◎ 人間はただ辛くて頑張れない時もある
◎ 健康が目的ではないそれは手段である
◎ 一生に与えられる幸福の量はみな同じ
◎ 「病気は予防できる」とは思い上がり
◎ 外見が衰えるころから輝きだすものがある
◎ いくつになっても気の合う人と食事が出来れば、人生は成功
平成29年11月 八大
石原裕次郎(ああ没後30年)
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| 裕次郎を称える碑 |
その墓地の一角に石原裕次郎さんが永眠して居られます。昭和を代表する稀代な映画スターでしたが52歳の若さで亡くなられてから今年で30年になるそうです。
今でもそのお墓の花立には生花が絶えることがなくきれいにお掃除が行き届いてあり五輪塔型の墓碑に「陽光院天真寛裕大居士」と、ご本人を良く表している戒名が刻まれております。
墓碑の手前には碑文石というのでしょうか、夫人石原まき子さん直筆の見事な文章が刻まれており近づいて読み取らせて戴きました。
「美しきものにほほえみを、淋しきものに優しさを、
たくましき者にさらに力を、すべての友に思い出を、
愛するものに永遠を、心の夢醒めることなく」 石原まき子
私たちの世代を代表するスターであり何とも言えない近親感があり、眼を瞑ると「陽のあたる坂道」や「夕陽の丘」・・「黒部の太陽」が思い起こされます。
みんなに愛されて余りにも早く走り去って行ってしまいましたね。 合掌
平成29年11月 八大
富弘美術館
AI革命 (人工知能で私たちの生活が変わる)
![]() |
| 人工知能搭載 トヨタ愛ⅰ |
「完全自動運転車」開発の問題点
最近AI業界の人の話を聞く機会がありましたそれはビックリすることばかりでしたが、自動車の完全自動化についての現況について簡単に述べてみようと思います。
今年も東京モーターショーが開催されているが性能が向上しているEV(電気)自動車の他に人間を超える情報分析能力を身に着けたAI技術導入による完全自動運転車が大きな話題になっています。
先日のニュースではスバルのアイサイト搭載車は事故率が6割減少したと云われる。またシンガポールでは世界初の自動運転タクシーの走行試験が始まり早ければ来年にもサービス開始が目標とか・・。
コンピュータによる自動車の電子制御は1970年代から始まり最近では車一台に数百個の車載コンピュータが組み込まれていると云われます。自動車メーカーにとってこれからの技術の延長線上に自動運転があると考えられるがトヨタは1990年代後半から研究を進めてきたが完全自動車運転の実用化はまだ先のことである云われていた。
しかしグーグルが自動運転車の開発を表明すると一気に世の中の流れが変わった。自動運転のためには認知、判断、制御と云った機能が重要である為カメラ・センサー・半導体と云ったアップルやインテル、グーグルなどと云ったIT企業や半導体メーカーが続々と自動車の開発に参入してきている。
現在のわが国では
レベル2 の段階にあり、テスラとニッサンが100㎞/ℎで自動的にセットが可能である。
レベル3 アウディ(独)は緊急時の対応以外は出来上がっていると云われている。
レベル4 ロボネコヤマトでは地域限定であるが自動化OK,無人で宅配便が可能である。
レベル5 またテスラでは完全自動運転が試作として完成していると云われている。
そこでAI技術の目覚ましい進歩は私たちの生活を変えると云いますが今何が一番の問題なのか聞いたところ何と驚くことに「法律が遅れていてブレーキが掛かっていることだそうです。即ち自動化が先行してしまっていることが問題である」ことだそうです。
平成29年10月 八大
「急須」のはなし
先日古くからの友達から陶器の展覧会の切符を頂いたので覗きに伺った。彼は会社を定年を迎えるとすぐに趣味の陶芸の道に入って「急須(きゅうす)」造りに専念している。急須の原型は中国で発明され、茶を飲む習慣がある文化圏であるアジアでは古くから使用されている。地方によっては「急尾焼(きびしょ)」とも呼ばれた。
「急須」という呼び名は、中国三国時代の呉の方言で酒を温める器、「急尾焼」は福建の方言で湯を沸かす器のこと云ったらしい。「急須・急尾焼」は本来中国で湯沸として用いられていたものを茶を出す道具に転用したのは江戸時代の中頃、儒学者の高芙蓉と云う人が広めたようです。
湯沸しに用いられるやかんは、漢字では「薬罐」となることからも分かるように、元来は薬湯を煎じ出すための器具である。
茶を注ぐ道具は取っての位置や有無によって四種類に分類される、本来は急須と呼べるものは横手の物のみと云われていたが今では拡大解釈されているようです。
1 横手(よこで) 注ぎ口を正面に見て右横に取ってがつく。大きく傾けて中身を注ぎきる
際にふたを抑えることを含め片手で使いやすい。
2 後手(うしろで)注ぎ口を正面に見て後方に取ってが付く。中国茶や西洋の紅茶のティー
ポットなどに良く見られる。茶壷をもとにしているといわれる。
3 上手(うわで) 本体上部につく。本体と一体化しているものと、別個に取り付けるものと
がある。別個に取り付けるものはいわゆる土瓶であり取っては弦という。
4 宝瓶(ほうひん)取ってのない急須のようなもの。泡瓶とも書く。基本的には玉露などを入
れるときに使用する。紅茶や中国茶では使用しない。
余計な一言 朝早く起きられた時には時間に余裕をもって、ゆっくりとお茶をたしなむこと
も考えては如何ですか。
平成29年10月 八大
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